2009/06/20 14:01
テーマ:身体 カテゴリ:趣味・特技(その他)

ホタル舞う季節の風景

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6月19日は桜桃忌。今年は生誕100年ということでニュースでたくさん太宰治がとりあげられていました。なんで桜桃忌で誕生日の話題なんだと不思議でした。なんでも入水自殺した日は6月13日で、遺体発見日が太宰の誕生日である6月19日だとか。そのために命日を桜桃忌として19日にしたそうです。
太宰のことも太宰の文学にも興味がない私ですが、永井龍雲の♪桜桃忌~おもいみだれて~♪を聴くと物悲しい気持ちになってきます。


 襟元に吹く風が心地よく肌になじむ
 衣替えが恋しく思える今年も夏がくる

http://www.youtube.com/watch?v=WTcthPmu_OE  
 


臓器移植法の改正案が衆議院を通過したとか。なんでも脳死を人の死とし、臓器移植に年齢制限がなくなるそうです。もちろん、子供の虐待による死とか、家族の拒否による脳死判定について配慮された文面はありました。私は臓器移植を前提として人の死を法律で決定したのかなと思ってしまいました。

日本の文化と西洋文化は違いますから、死の受容とか臓器をとりだすことは難しいと考えます。「フランダースの犬」(訂正しました)の最終回、ネロはパトラッシュと共に神に召されています。西洋的にはあれはハッピーエンドなんですよね。魂が神のところに行くことができた・・・つまり、肉体は仮の姿であり、魂の抜けた肉体にネロはもういないという考え方になるからなんだと理解しています。別の人がその肉体を使ってもいいということですね。
日本だと髪の毛一本にもその人の魂が宿るとされる考え方がありませんか?昔々は復活を願って何日も殯(もがり)ということが行なわれていましたもの。
臓器移植にあたって、ドナーに親しい方は亡くなった方が他の人の身体で生きていくんだと思うでしょう。でもそれは、レシピエンからみたらきっと重荷になるに違いありません。別の人間が自分の中で生きる?恐いです。
また、「あげた」⇔「もらった」の力関係ができてしまうかもしれません。


この法案について報道が始まった頃、ちょうど私の勤める部署に臨床的に脳死であると判断された方と、臓器移植をしなくては助からないだろうという方がいらっしゃいました。どちらも移植という医療が実施されることはありませんでしたが・・・。
私の仕事はトレシピエント側の切羽詰った思いも、ドナーになりそうな方の家族を失っていく思いも知る機会は何度かあります。しかし、私自身は上に記したような考え方が心の奥底にあるので、脳死による臓器移植には慎重派です。今回の法案決定も懸念しています。



先日、書店で『動的平衡~生命はなぜそこに宿るか~』という本を目にし、その帯の言葉も気に入って購入しました。福岡伸一さんという分子生物学者が書かれた本です。

  “生命とは絶え間ない流れの中にある動的なものである。”

職業柄、人間とは何か、人が生きているとはどういうことか、人の身体はどうなっているのかを考える癖がある私。分子単位というミクロな世界から人間を掘り下げた内容が面白く、時間を忘れて入り込んでしまいます。
最初の章で「脳」について語っているのですが、脳細胞の違いで人の個別性が違うのではなく、神経回路の形成によるものなのだと書かれていました。知覚、感情、思考、行動、記憶・・・すべてが脳の神経回路をどのように電気信号が伝えられていくかできまるのだとか。例えば、記憶は脳細胞のどこかに貯えられているのではなく、何度か想起したことのある記憶はそのパターンで回路が刺激されたということのようです。福岡先生は星座のようなパターンなんだと言っています。な~るほど。細胞内では常にタンパク質が合成と分解を繰り返していて、引き出しのような動かないものがあるわけではないんですよね。

脳は身体内外からの刺激をうけてそのたびに電気信号の動きが活発になったり、ゆっくりしたり、パターンが変わったりめまぐるしいのだと思います。その人らしさというのはその回路によるものなので、いくらクローンが作られても同じ人間にはならないとのこと。

こう考えると人間の肉体と心は決して離れているものではなく、両者でその人なんだって思います。脳がなくなったら身体もなくなるし、別々になってどちらか一方が残るというのは人間の自然に対するおごりがあると私は思います。


タイトル下の写真、暗くてみえないかしらん。ぜひ大きくしてみてください。実はホタルの光の軌跡が写っています。ホタル撮影ははじめて。
明るいうちに行って、場所を決めてピントをあわせたりした方がよかったようです。とりあえず三脚を立てて、レリーズで押してみました。
ところが観光客がたくさんいる場所だったので、携帯やデジカメのフラッシュがパカパカ・・・( ̄  ̄;) 邪魔だ!
ホタルの光はフラッシュよりも弱い静かな光ですよ~。写りませんよ。ホタルがいなくなっちゃいますよ~。

子供のころ、近所の田んぼで蛍狩りを毎年しました。こんな梅雨のころだったかなあ。夏休みだったような記憶。従弟が遊びに来ていたもの。
虫かごに入れてきて、部屋の電気を消して光をながめたり、部屋の中にはなしたり。でも、朝になるとみんな死んでいたホタルたち・・・。
ごめんなさい。
いつの間にか特別な場所に行かないと見れなくなってしまったのですね。

太宰治が入水した用水路にホタルは舞っていたのでしょうか。


ホタルを観た翌日、ハーブ&ローズガーデンを歩き、撮影をしました。残念ながら、バラとか紫陽花とかというくくりでしか名前のわからない、植物については知識の乏しい私でした。

       
    
   
              


2009/06/08 22:07
テーマ:自宅 カテゴリ:趣味・特技(その他)

キャンドルナイト

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NHKの「地球エコ2009」の宣伝番組で「100万人のキャンドルナイト」のことを知りました。夏至の日の日没後2時間、照明を落としてキャンドルの灯りで過ごしてみましょうという取り組みです。

でんきを消して、スローな夜を。
http://www.candle-night.org/jp/index.html

上記ホームページにある呼びかけ文を読んだら、なんかやさしい気持ちになってきました。“エコ”というと“節約”という目の前の現実に注目してしまいますが、アンプラグな灯りでゆっくりした時の流れを感じようという取り組みのようです。そして地球について、生きることについて、世界のいろんな国の人について、好きな人について、家族について、自分についてなどなどをちょっと考えてみるのかな。追われるような日々のほんの2時間でいいから、薄明かりの中でスローな時間を過ごしてみる・・・。いいなあ。

        

夏至じゃないけどやってみました!

ろうそくの灯りは窓から入り込んできた風にゆらゆらと揺れて、静かな生を感じます。静寂な動というか・・・。
ついでにアロマポットにティートゥリーのオイルを垂らしてみました。でも、アロマの香りよりもろうそくの炎の匂いの方が気に入ってしまいました。なんとなく懐かしい気持ちををおこさせる匂いです。
やさしくなれるなあ。気持ちが落ち着くなあ。(゚-゚*)(。。*)ウンウンいいよ。
でも、ひとりではちょっと寂しげ・・・。

薄暗い部屋の中で私のしたことは、好きな音楽をかけて、コーヒーを飲んで目を閉じて静かな時間を・・・過ごすつもりだったんだけど、結局カメラを持ち出して撮影(*^^*ゞ

こんな空間で好きな人とワインでも飲みながら会話をしたら、どんなことを話すでしょうかね。昔を振り返ったり、未来を思い浮かべたりするでしょうか。理屈っぽいことではなく、ギスギスした現実ではなく、やや抽象的な世界を語るかもしれないなと思いました。

上記ホームページの“よびかけ文”の中に「子どもに絵本をよんであげるのもいいでしょう」とありました。いいかもしれません。物語と絵で一緒に空想の世界に入り込んでみるのは楽しそうです。同じ非現実でもゲーム機がつくりだす世界とは違う、人のぬくもりのあるやわらかい世界が作れそうです。ただ、残念なことに私には子がない・・・。今度姪や甥にあったら、これやってみようっと。彼らだったらろうそくの炎を絶対「きれい!」と言って、私の提案にのってきてくれるはずです。

 




キャンドルを入れた器はアロマポット、ステンドグラスのキャンドルスタンド、百均で買ったお皿、不二家のペコプリンのグラス、何かの景品のコップです。何を使用しても炎はきれに瞬いています。
ステンドグラスは以前、月夜野のビードロパークで作ったものです。

キャンドルとは関係ないのですが・・・。
先日、久しぶりに美容院へ行きました。行きつけの美容院は中学時代の同級生がやっています。その彼がこんなことを言っていました。「夜、部屋を暗くして音楽を聴くことが好きなんだけど、最近CDのジャケットが読めなくて困るよ。」
暗いところで小さな字が見えない・・・それは老眼です。
その彼の計らいで今度同級生が数人集うことになりました。中学を卒業してから一度も会ったことのない人たちとの集まりです。どんな会話をするのか楽しみです。


2009/06/01 23:42
テーマ:奈良 カテゴリ:趣味・特技(その他)

飛鳥大仏

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昨日、NHKのETV特集「日本と朝鮮半島」を観たら、私の古代史好きな気持ちがワサワサと落ち着かなくなりました。といっても、昨日の放送は古墳時代のことなので、私の興味ある飛鳥時代よりやや古かったかな。私としては次回の『仏教伝来』が楽しみでしかたがありません。私が興味をもった時代は聖徳太子から聖武天皇あたり(飛鳥時代から奈良時代、6世紀後半から8世紀前半)までですから・・・。

何度かブログにも記していますが、私がその時代に惹かれたのは里中満智子氏の歴史マンガ『天上の虹』と、永井路子氏の現代小説『茜さす』を読んだことがきっかけでした。当時、まだ20代だった私。初めての一人旅は明日香村でした。甘橿丘付近の民宿に宿泊して明日香村を徒歩や自転車で周りました。当時の明日香村民宿協会からの領収書、宿泊したお宅の地図がアルバムに残っていました。懐かしい!平成3年の4月です。

本日の写真はその当時のものです。ネガプリントをスキャンしました。一眼レフを使用しはじめたころです。まだうまく使えず、結局ただのバカチョンカメラ状態で撮影しています。もったいない!

下の左は蘇我入我の首塚といわれているもので、後ろに見えるのが飛鳥大仏のある飛鳥寺です。アルバムには「大きないいカメラを持った人がレンゲの中に大勢いたので、私も中に入って撮影してみた」と書いてあります。青空のもと、一面のレンゲ畑に古代史を映し出すものがあちこちにあるんですから、そりゃ~シャッター押したくなるでしょ。今のようにデジカメだったら何百枚って撮影しただろうなあ。

タイトル下の写真は飛鳥大仏です。仏教を積極的に取り入れた蘇我氏の氏寺である飛鳥寺にあります。今はあまり大きなお寺ではありませんが、創建された当時は塔のある大きな伽藍だったそうです。まあ、時の権力者の氏寺ですからね。
入鹿は板蓋宮で中大兄皇子に首を切られました(大化の改新)。それがここまで飛んできたということで、ここに塚が作られているとか。のどかな風景の村ですが、結構血なまぐさい歴史があります。




明日香には不思議な石がいくつもあります。歴史を感じながら遺跡をめぐるほかに、不思議な石物をめぐるのも明日香を楽しむ方法です。最も有名なのは石舞台古墳かな。蘇我馬子(入鹿の祖父)の墓と言われています。50トン以上の石が30個ほど積まれて横穴ができていますが、どうやって積み上げたのか謎。クレーンなんてなかったのですから。

上の右の写真は須弥山石のレプリカで、明日香資料館の庭にありました。噴水のような仕組みになっているらしく、水が出ています。庭の池の真ん中に置いてあった?飛鳥人は風流な庭園を楽しんでいたのかしら?

下の左は亀石です。亀と言うよりはカエルですけどね。この石が西を向くと大和は洪水になってしまうという伝説があります。今は南西をずっと向いています。
他にも鬼の雪隠、益田岩船石、二面石、三光石、猿石・・・。1400年も前のものなんでしょうけど、それが資料として展示されているのでなく、ここに生活する人々の中、道端にそのまま置かれているのが不思議感覚を生みます。古代と今が繋がっているって感じるんですもの。

お酒を造るために使われたと言われている“酒船石”という妙な石が飛鳥寺から石舞台古墳に行く途中あたりにあります。松本清張氏の『火の路』というミステリー小説はここから始まっています。明日香の変な石たちを題材にした小説なんですが、なんと大和からペルシャのゾロアスター教まで繋がった壮大なストーリーです。ちょっと難しかった記憶が。もう一度読んでみようかしらん。

若かりし頃、古代を題材にした歴史小説をいろいろ読みました。
黒岩重吾氏の『天翔る日々(大津皇子)』『天の川の太陽(壬申の乱)』『落日の王子(蘇我入鹿)』『聖徳太子 日と影の王子』など。
邦光史郎氏の『飛鳥残影』『幻の法隆寺』『幻の高松塚』など。
永井路子氏の『美貌の女帝(元正天皇)』『裸足の皇女(山辺皇女)』など。
里中満智子氏の『長屋王残照記』『女帝の手記』、池田理代子氏の『聖徳太子』。
トラベルミステリー系(浅見光彦や赤カブ検事とかの)や紀行でこのあたりが出てくるものも読みました。もちろん万葉集やいろんな方の写真集も。
会津八一氏の歌集『自註鹿鳴集』を読んだら、なんと杉本健吉氏の画集も欲しくなってしまい・・・(f^^)エヘヘ・・・関連するものが次々連鎖してしまいました。

学生のころは歴史の授業は好きじゃなかったのに、こんなに夢中になるなんてびっくりです。
今の仕事をやめて発掘のアルバイトしながら奈良に住んでしまおうかと考えたこともあります。なんで古代史って惹かれるんでしょうね。資料が少ないところがロマンなんでしょうか。よく考えると争いの耐えない時代なんですけどねえ。日本書紀や古事記のような文書だけでなく、万葉集という心を伝える文書が残っていることも、その時代の人たちに興味を持たせるのかもしれません。


以前、NHKで『聖徳太子』というドラマがありました。厩戸皇子は本木雅弘さん、蘇我馬子は緒方拳さん、推古天皇は松坂慶子さんが演じました。もっくんの妖しさと不気味な緒方さんの対決は迫力がありました。
架空の百済人・伊真をソル・ギョングさんが演じていました。厩戸に仕えた渡来系の氏族・秦河勝(國村隼さん )と通じていると言う設定でした。
秦氏といえば山背、京都広隆寺が氏寺です。みなさんがヨンジュンさんに似ているとおっしゃる弥勒半伽像があるお寺です。厩戸皇子の長男である山背皇子は秦氏に育てられたという説があります。山背皇子一族は蘇我氏に皆殺しにあっちゃうんですけど・・・。

その後、大化の改新で蘇我氏が討たれ、中大兄皇子の重臣であった中臣鎌足からのちの藤原氏が出てくるんですよね。先日見に行った阿修羅は鎌足の子の不比等の娘・宮子と、文武天皇(持統天皇の孫)の間に生まれた光明子(聖武天皇の妻)が創らせたもの・・・?。


明日香にはもう何年も旅していません。先月、山の辺の道を歩こうと思っていたのですが、新型インフルエンザ騒ぎで関西方面の用事がなくなってしまいました。ざ~んねん( p_q)
次回のETV特集を見たら、きっといてもたってもいられない状態になりそうな私です。また一人旅しちゃおうか。


最後の写真は“坂乃茶屋”です。岡寺に向う坂道の途中にありました。自転車をこいでいくにはちょっときつい坂です。
ここにたどり着いたとき、ちょうど昼食時間でした。自転車で寺まで行くのは無理と判断した私。ヘトヘトだったので、まずはここでお腹を満たして、自転車をここに置かせてもらって行こうと決めたのです。ところが「先におまいりをして来なさい」とおじさんとおばさんに言わました(と、アルバムに記録してありました)。帰って来てからそうめんセット&ゴマ豆腐をいただきました。
店内にはここを訪れた人々の色紙がたくさん飾ってありました。今もこの茶屋はこの昭和の色のままのようですね。



【追記】

「日本と朝鮮半島2000年」の第2回“任那日本府の謎”の放送の終わりがとても印象に残っています。

4~6世紀は古代国家(ヤマト政権)がまだ統治されていたわけではなかった時代。地方豪族も独自に朝鮮半島と交流していた。つまり国対国ではない多元的な交流があった。そして、それは一方的な力関係ではなく、お互いに必要とするものを相互にやり取りした交流だった。

国家というものに縛られた交流ではなく、もっと個人的なやり取りだったということなんでしょうね。日本と朝鮮半島ってそういうご近所さんという関係だったってことでしょうか?


2009/05/30 12:56
テーマ:自然 カテゴリ:趣味・特技(その他)

森のレストラン

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気温が高くなってきたこの頃、毎日夏野菜をバリバリとサラダで食べたい衝動にかられています。豆、トマト、にんじん、キュウリ、レタス、大根、アスパラ、茗荷などなど。大きめの器に山盛りにし、塩ポン酢とマヨネーズで食べます。食べすぎてちょっと顎が疲れてくることも。


ゴールデンウィークに出かけた那須で高原野菜を食べたのがきっかけだったのかもしれません。道の駅で食べたいものを購入して夜の宴会です。春の草たち(行者にんにくやたらの芽)の天ぷら、肉厚なシイタケ焼き、ネギからしをつけた豆腐、そして大きなアスパラ!
中でも私はアスパラが気に入ってしまいました。な~んともうまい!茹でてポキポキ、天ぷらでポキポキ・・・。歯ごたえのいいことといったらありません。やっぱり旬の採れたて野菜は違うねとかなんとか言いながら食べました。ビールと赤ワインがすすむわ^^


那須で山の幸宴会をした日、昼食は『創造の森レストラン』という自然食レストランで摂っていました。レストランは那須街道沿いにありますが、ちょうど林の中に隠れているので道路からは見えません。レストランの横には農園があり、そこで作られたものが料理として出されているようです。
私は“玄米定食”をいただきました。ご飯と野菜いっぱいのけんちん汁、野菜の和え物、豆腐など・・・。シンプルな味付けで野菜のおいしさが口の中に残りました。食物の味って味覚そのものだけでなく、匂いや歯ごたえや温度やいろんな感覚の総合だということを改めて理解したように思います。

レストランの窓からは農園の様子が見えます。都会からさえぎられたゆったりとした空間の世界で、何だかのんびりとしたくなりました。農作業を眺めながらテラスでお茶するのもいいかもしれません。
この風景を見ていたら、ヨンジュンさんが歳をとってから農業をしたいという言葉がなんとなく頭によぎりました。彼もこんなレストランをやってみたいのかなって・・・。似合うかも=^-^=うふっ♪




有機野菜って言葉は知っていますが、その意味は知りませんでした。2年以上化学的に合成された肥料や農薬を使わない土地で栽培された野菜なんですね。堆肥などを使用しており、微生物によって土が生きている状態っていうのかな。作物が本来の姿になっているような気がします。だからよりおいしいって思うのでしょうか。
無農薬野菜は化学的な農薬を使っていないということで、有機野菜とは土が違うのだそうです。

季節のものを食べると体が丈夫になるって聞いたことがあります。その時期に体に必要な栄養素が取れるからなんだそうです。四季のある日本に生きている私たちです。長い歴史の中で土地に適応した身体になってきたのだろうし、季節のものを欲する身体になっているんだろうなと、なんとなく納得しています。つまり、季節の有機栽培の採れたて野菜がおいしいと感じるのは、身体が必要としているからなんだと思います。


このレストランの横にはシュタイナー教育の幼稚園があるようです。人智学というのはわかりませんでしたが、知識を教えるのではなく、芸術を通して人を育てていくということかな?ドイツの教えのようです。絶対性のある神が出てくると東洋人である私はうまくわかりませんが、自然の中で様々な体験を通して感性を磨きながら生きていく能力を身につけていく・・・たぶんそんな理念なんだと思いました。
有機野菜の農園もその理念からされているようです。




今日の写真は那須の『創造の森レストラン』です。
花はブルーベリーかな?

下の二つは塩原の森で撮影した木です。木肌の写真は一見白黒ですが、カラー写真です。植物って美しいですよね。


それから余談なんですが・・・
那須に行った日、私は地元の桜海老祭りで生桜海老を購入してお土産にしました。茨城の友はカツオの刺身とエボダイの干物を持参。そのため桜海老のかき揚げと刺身、カツオの刺身等でその日は宴会をしました。海無し県で海の幸パーティーとか言いつつ(⌒▽⌒)アハハ!


2009/05/23 03:01
テーマ:東京 カテゴリ:趣味・特技(その他)

東京国立博物館

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先週、ようやく阿修羅展に行ってきました。仏像ブームとかで若い女性を中心に多くの人が拝観に訪れているそうですね。ゴールデンウィークほどの混雑はありませんでしたが、阿修羅の舞台周りは人が群がって身動きできないほどでした。阿修羅の立っている円舞台の周りを人が時計回りに少しずつ動き、360度の方向すべてから眺めていきます。回り舞台の逆バージョンです。係りの人がその人垣の中にいなかったら、きっと回らないだろうなと思うくらいのギューギューさでした。


阿修羅はなぜこんな人気ものなのでしょう。
阿修羅はインドの神が仏教に帰依して仏法の守護神になった八部衆の一神だということです。今回の阿修羅展でも阿修羅像だけではなく、興福寺の八部衆像すべてを拝観できました。どの像も憂いをおびた少年のような顔をしています。
阿修羅だけ特別に思えるのは容姿が他の七像と違うからかしら?

阿修羅は古代インドの「アスラ」という戦闘の神が元だと言うことです。アスラは弓と矢を手に持ち、怒りで赤くなった肌で険しい表情をしているのだそうです。帝釈天と戦いをくり返し、いつも負けているのだとか。両者の戦いの場を表す言葉から「修羅場」という語がきているそうです。
でも、八部衆の中で阿修羅だけが鎧をきていないんですよね。不思議!
これは京都の三十三間堂や中国の雲崗石窟の阿修羅も同じらしいから、興福寺の像に限ったことではないのかな?



雑誌『一個人』の記事によると・・・
興福寺の阿修羅像は『金光明最勝王経(こんこうみょうさいしょうおうきょう)』の「夢見金鼓懺悔品(むけんこんくざんげほん)」に関係するものであると考えられていると説明されています。“懺悔の手本を示すような役割りを担っている”と考えられ、あの表情は“懺悔によって揺れ動く心に対峙する複雑な表情”と記者は書いています。

私は何かに耐えて進もうとしている強い意志をもった表情ではないかと思いました。3つの顔を持っているというよりは、真ん中が表像された顔で、左右は心を映しているんじゃないかと思いました。左右のは真ん中に比べて小さくてオマケのようですもの。
一緒にいった友と、向って左の唇を噛んでいる顔は怒りを堪えている、右の眉をひそめた顔は悲しみを感じているのかなと話をしました。真ん中の顔は左右の心のすべてを飲み込んで何かに葛藤しているように見える・・・
ナンテ、そんな単純に言葉にできる表情じゃないんですよね。
真ん中の顔の横顔がステキです。惚れそうでした。


タカハシガニのような手は、①掌を上にむけて何かを受け止めようとしている2本、②合掌している2本、③何かを抱こうとしているような2本があります。雲崗石窟の阿修羅は①の2本の掌にそれぞれ月と太陽を載せているのだそうです。

合掌している手は体の中心よりやや左手側(向って右)にずれています。写真家の小川光三氏によると、斜め右やや下側からみると顔と手の中心が揃ってバランスよく見えるようになっているとか。真ん中の顔の右目(向って左)がつりあがっているのもそのためらしいです。そこから阿修羅像はお堂の向って左上に安置されていたと考えられるのだそうです。
なるほど、確かに右斜め下から見ると全体のバランスがよく見えます。真横からみるとひょろ長い手が混みあって見え、なんかきれいじゃないし、全体が薄っぺらいので倒れそうって感じです。
『一個人』の中に、上半身を向って左斜めから撮影した写真があります。合掌した手が胸からかなり離れて見え、その空間が奥行き感というか像全体の厚みを感じることができます。もちろん照明による影の影響もあるかもしれませんが。右斜め下から見るほうは二次元的なバランス良さ、こちらは三次元的かもと思っちゃいました。


3つの顔、4つの耳、6本の手なのですが、とても人間ぽい体をしていらっしゃいます。身につけているモンペのような服装もそうですし、くびれたウエストあたりにお臍のようなものもあります。履いているのは草履みたいだし・・・。こんな人間臭さも惹かれる理由なのかもしれません。

目が大きいですね。一重なんだけど。鎌倉時代の筋骨隆々な仏像たちの真ん丸な目とは違った切れ長の大きな目といったらいいのかな。二次元世界のマンガを読んで育った世代(私も)にとって、大きな目はお気に入りにさせる理由のひとつかもしれないって思います。加えて少年のような丸い顔にすらりとした体ですもの。若い女性が好みそうなスタイルだわ。イケメンという雰囲気です。


司馬遼太郎氏は『街道をゆく』の中で阿修羅のことを“蠱惑的”と書いています。“性が未分であるための心もとさが腰から下のはなかなさにただよっている。眉のひそめかたは、自我にくるしみつつも、聖なるものを感じてしまった心のとまどいをあらわしている。”と。多くの人が好きになるかもしれない若い異性のようだということかな。



今回、東京に行ったのはパク・ヨンハ大好きな友から「イ・イニョン氏の衣装展 に行きたい!」と電話がかかってきたからです。彼女は2月にヨンハくんのコンサートで訪韓した際、イ・イニョン氏の店に立ち寄ったのだそうで、東京の衣装展のことを聞いていたとか。店には色とりどりのたくさんの生地があって、とてもきれいだったと。先生は気さくな方で、ヨンハくんのお母様に「ファンの方が見えてるよ~」とその場で電話をされたとか。「ヨンハは寝てる」とのお返事だったそうですが、ヨンハくんてご家族と一緒に住まわれているのね。

イニョン氏の衣装はどれもこれも美しく、私も着てみたいなあと思ってしまいました。
ヨンジュンさんのまぼろしの衣装は細かい刺繍が全体に施されていて、もしかしたら和服の帯のような重量感があるかもしれないと思いました。
チュムチと戦った衣装のズボンの右下に血液の染みのようなものがありました。ヨンジュンさんの血?
友はヨンジュンさんの衣装を後ろからみて「大きいねえ」と何度もつぶやいておりました。衣装は台の上にあったから、身長は実際より高く感じたかもしれませんが、肩幅とかからがっちりした体格も想像できました。私は自分と並んだらどのくらいか・・・と妄想にふけっておりました。


今日の写真は東京国立博物館です。タイトル下と次の左は本館、右は表慶館です。阿修羅展は平成館でしたが、あまりライトアップされていなかったので写してきませんでした。
グッズは衣装展で購入したストールと携帯電話入れとティッシュカバー、阿修羅展の風呂敷とポストカードを飾る台紙です。
最後は東京駅の銀の鈴広場です。


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