2009/11/15 15:09
テーマ: カテゴリ:趣味・特技(その他)

満天の星

Photo

木枯しがピューピュー吹き、すっかり冬になりました。風って体温を奪って寒いですね。同じ空気でも風が吹かないとポカポカして小春日和になるのに。

先週、北八ヶ岳に登りました。11月3日の寒波で雪が降ったようで、寒いんじゃないか、道は凍っていないか、雪はどうか・・・などと心配していましたが、私たちの歩いた日は風もない良いお天気でした。雪の残り、霜柱、水溜りの氷などありましたが、歩くのに危ないほどではなく、とにかく気持ちよかった~~~。

土曜日、稲子温泉口から入山した時間がなんとお昼過ぎ!その日は“しらびそ小屋”に宿泊するからってことで、なんとものんびりの出発でした。
水の流れる沢に沿って歩くこと約1時間半で小屋に到着しました。小屋の玄関ではちょっとメタボ気味な犬の“キチ(吉)”が愛想よくシッポを振って出迎えてくれました。なんでも登山者がいろんなものをくれるので太ってしまったそうです。

その日の宿泊は私たちグループだけだそうで、夕食はご主人、奥さん、自称居候の山岳会のおじさんと一緒にいただきました。ご主人と居候さんは焼酎をお湯割りで飲んで、とてもご機嫌。和やかな雰囲気で、初めて会ったのに私たちもおしゃべりに加えていただきました。

  

小屋には不釣合いなコンサバ系ファッション誌の『oggi』が置いてありました。だいたい、この手の雑誌はほとんどがカラーページでツルツルした紙なので重い!誰が持ってきたんだ?
なんと「女子的山歩き」という特集があり、その中に“しらびそ小屋”が掲載されていました。なるほど、雑誌社の方が持ってきてくれたんですね。それにしてもまあ、ファッショナブルな山歩きスタイルが載っていますこと。スパッツはいてスカートを巻いたスタイルがおしゃれなんだそうです。へぇ~。
奥さんによると、最近この手の雑誌の取材が多いとか。私たちが宿泊した日も、どこかの雑誌の取材一行が見えていたそうです。

仏像ブームだけでなく、若い女性に登山(トレッキング?アウトドア?)ブームもきているのでしょうか。バブル時代のスキーブーム、華やかなウエアが次々と出現したのと同じかもって思いました。
一緒に行った後輩2名は30代前半なんだからまさしくoggi世代でしたが、
私も見ていて結構はまりました。楽しいですね。女はいつになってもファッションに興味ありです。私のスタイルは10年以上も前の地味な服装。男性、女性の区別なんかないやつです。(゚-゚;)ウーン・・・。

登山の途中で、私よりもやや年齢が高めのパーティに、手ぬぐいを姉さんかぶりにしている女性がいらっしゃいました。しかも、私が欲しい!と思っていた月の満ち欠けが描かれた手ぬぐいの方も。こんなおしゃれもありですね~。その方に「手ぬぐいいいわよ~。私の後輩としてあなたもやってみてー!」とゼイゼイした息使いの中、声をかけてもらいました。

山で出会う方たちは皆優しくて、知らない人でも繋がっているって思えます。気軽に誰とも話せちゃいます。
日曜日、帰路に着く時に小屋の前でお汁粉を食べていたおじさんたちがいて、彼らとも会話をしました。お餅の焼けるいい匂いがしたので、つい「いい匂い」って言ってしまった私。「たくさん写真とれましたか?」と返され、会話が弾みました。
出発も遅かった私たちですが、帰路も遅く、下山して温泉口に到着する前に太陽が落ちてしまいました。後から出発したお汁粉のおじさんたちが私たちに追いついて前を歩いてくれてよかったと思いました。駐車場で「来年の11月の第2日曜日にまた会いましょう!」と言われました。尾張小牧ナンバーの車でした。

また、しらびそ小屋のご主人は私たちを気遣って何度も電話をくれました。「今はどこを歩いているのだ」と。女3人で心配だったんでしょうか。ちっとも降りてこないし・・・。
私たちが登ったのは天狗岳です。晴れていたため、里や遠くの山まで大パノラマでした。もちろん、登っている時は心臓がバクバクして苦しかった時もありましたが、雄大な景色と風の少ないポカポカ陽気に、頂上で1時間30分も滞在してしまったのです。おでんを温め、お湯を沸かしてカップ麺をつくり、餅まで焼いて食べました。
もちろんビールで乾杯!(≧∇≦)/□☆□\(≧∇≦ )

下の右の写真が頂上付近からの撮影です。写真内右の下、木に囲まれるようにに写っている小屋が宿泊した“しらびそ小屋”です。


山中はネオンがありませんから、星空がとってもきれいでした。山小屋宿泊という日程を聴き、私は三脚を持っていきました。星を撮影してみたかったからです。お天気が良くて良かった~。
しかし、星空撮影は初体験な私。星は光が弱くてオートフォーカスに引っかかりません。マニュアル・・・ヽ(゚ロ゚; )・・・。ファインダーを除いても星は小さいですから、ピントがあっているかどうかわからないです。やばいな~。どうする・・・。
いろいろ考えた結果、遠いんだから∞でいいんじゃないかと。それから絞りはきっと開放にして、シャッタースピードは適当。たくさん撮影すればなんとかなるといつもの調子で1時間ほどいろいろやってみました。

その1枚がタイトル下の写真です。夕食後、19時頃の撮影です。ぜひ大きくして見てください。目では見えない星も写っているようです。
北東の空ですから、たぶん真ん中あたりのがカシオペアではないかと。ポラリスは木に隠れて写っていないようです。
今回は、星や星座を考えて撮影していません。次回、星空を撮影する時は星座早見盤を持参していこうと決めました。

下の写真は夜明け前の西の空です。オリオン座が沈もうとしています。実は、この時は月が天頂付近にありました。なので空がとても明るいです。また、月は私の歩く足元も照らしてくれます。19時の時は闇夜で、ライトがないと一歩も歩けませんでした。

 

下の写真左は、野辺山高原の通称『サラダ街道』から撮影した八ヶ岳です。ここは高原野菜を作る畑が一面に広がっているところです。採れたての野菜はおいしいでしょうね。下山して寄った小海町営の温泉“八峰の湯”で地元産野菜が売っていたので、つい購入してしまいました。お土産に買ったジャガイモのお菓子も職場で好評でした。

この温泉、しらびそ小屋のご主人に勧められて行きました。・・・というか、ちょうどおじさんも下山してこの温泉に入りにきたようで、私たちが暗くなりつつある山を歩いている時に、「今温泉にいるよ。帰りに寄りな~」という電話があったんです。結局、おじさんが食事もして帰ろうとした駐車場で会うことができました。居候の山岳会のおじさんも一緒でした。

なんだかこんなところに住んでみたいですね。ここに暮らす人たちも、山を訪れる人たちもみんな温かいです。せかせか追い立てられる毎日から逃げたいのかもしれません。都会は刺激的なものがたくさんあるし、便利な商品やきれいなネオンや飾りがありますが、生きていくのに本当に必要なものなのかって思います。人間、だんだん余分なものまで求めてしまい、本当に大切なものが見えなくなっているかもしれません。

 



2009/10/12 13:06
テーマ:身体 カテゴリ:趣味・特技(その他)

休日

Photo


研修のため東京にまたやってきた私。そのまま昨日帰宅でもよかったのですが、友たちとお酒を飲みたい!という理由で宿泊。今日は“何かをやらなくてはいけない”のない、なんとも贅沢な休日です。


ホテルでなんとなくぼ~っとした朝を迎えた私。大浴場で朝風呂を浴びた後、チェックアウトぎりぎりまでベッドに転がってヨンジュンさんの本を読んでいました。夕べ友たちと宴会をしていたということもあり、お酒の章を開きました。いつも適量にお酒を飲めない私は、味について語れるほどの味覚は持っていません。私の考えたのは腸とか酸素とかについてです。


発酵食品って世界各国にありますが、その国特有のものがあるんですね。韓国はキムチが代表的なんでしょうか?お酒も日本酒と似ているようで違うんですね。そこに暮らす人たちに必要な発酵というか、合ったものというか、昔から食べているものだから、身体がその発酵を欲するようになるのかなって思いました。発酵という文化は暮らす人々にしみこんでいる・・・(うん?)

生物にとって酸素って大事なんですが、実は酸素は毒です。昔、地球は酸素がなかったそうです。ところが植物が光合成をして二酸化炭素から酸素を作りだしたら酸素がいっぱいになっちゃったとか。そしたら、それを使う細胞(ミトコンドリア?)が生まれて、酸素を使った呼吸と言う酸化の方法でエネルギーを作り出すようになったそうです。どういうことかというと、呼吸という酸化はよりたくさんのエネルギーが生み出せるからなんですって。多細胞になった生物には最適でした。燃えるってことで、熱が発生しますが、それがエネルギーです。
錆びるのも酸素があるせいですね。活性酸素の蓄積という老化も酸素の影響かな。


発酵っていうのは、酸素がない状態での細胞の酸化です。それでもエネルギーは作り出せるのですが、ものすごく少ないです。多細胞生物が活動するのに必要なエネルギーなんか作れないんですって。だから栄養(ブドウ糖とか)を酸素を使って酸化させて、エネルギーをつくりでしているんですよ。
でも、人間の身体の中には酸素を使用しない細胞があります。一番代表的なのは赤血球です。酸素を運ぶのに酸素を使わない変な細胞です。


たぶん、発酵食品がおいしいって思うのは、きっと人に必要な何かがそこに含まれているんだろうなあと思ったりします。よくわからないですが。時代を経て受け継がれてきた発酵食品は、きっとそこに暮らす人々に必要な何かが含まれているんじゃないかな。
NHKの番組『Cool JAPAN』で醤油を取り上げていましたが、日本人はあのにおいだけでもおいしいと感じるのに、他の国の人はそうでもないとか。小さな時から口にしていて慣れているとかそんな理由なのかもしれないけど、きっと身体が欲しているような気がします。

腸を大事にしなくちゃいけないなと思うこのごろです。腸の中にはたくさんの微生物がいて、そこで彼らは宿主が食べた食物を発酵させて分解しています。腸からの栄養吸収を助けているんですよね。身体の回復には栄養はかかせません。私は、他人が良いと言うものではなく、慣れ親しんだ食べ物を口にするって大事なんじゃないかと、根拠もなく思っています。ヨンジュンさんも韓国でお母様の作ったものを食べて回復していってください。

それと、緊張すると腸に血液がいかなくなりますから、ゆったりした気持ちをもつことも必要です。手足が冷たくなって、皮膚への血液が低下しているときは、腸の血流も落ちているってことです。




ホテルを出た後、近くの芝離宮恩賜庭園というところになってきました。駅周辺はにぎやかですが、庭園内はお弁当を広げている家族連れやゆっくりと歩く方たちで、なんとなくのんびりムードです。

東京タワーや世界貿易センタービル、新幹線やモノレールが周りに見えるビルの谷間の緑地。きんもくせいの香りが漂って、桜の葉が色づいて、自然の季節変化を感じることができます。東京って意外とこんな公園があるんですね。日差しが気持ちよく、何か穏やかな気分になってきました。

下記の写真は絵画風に加工してあります。  

   

『Cool JAPAN』で醤油が隠し味として入ったロールケーキを紹介しました。品川駅でそれを見つけて購入。楽しみです。

私は納豆がどうしても食べられません。味がどうしても好きになれないんです(x_x;)

   




2009/10/08 00:59
テーマ:仕事 カテゴリ:趣味・特技(その他)

ホテルの部屋から

Photo


研修のため東京に来ています。数人の職場の人が一緒なのだけど、台風が近づいているからということで、今夜は早くからホテルにこもってます。じゃ、翌日のために早く寝ろよ!ってところですが、研修でちょっと興奮していて眠れず・・・です。
なぜかというと、ある講義に涙が出て止まらなかったからなんです。お堅い研修のはずなんですが、こんなに私の感情に入り込んでくるとは恐れ入りました。
なんとか自分のものにしてブログに記そうと思っていたのですが、なかなか言葉になりません。なので、講義ノートとして残します。


リーダーシップの本質は「非連続性を飛び越える」こと、変革。それは現実の矛盾に挑むことで、見えないものを見て新しい世界を作ること。あり得ないこと、つまり他人には見えない姿に挑戦すること・・・創造。見えないことを価値観や感情などに訴えると人の共感を得ることができる。それは自分の夢を皆の夢へと昇華する中で、自発的な協働を誘発することになる。
 I have a dream(キング牧師の演説)
自分の哲学や夢や理念を自分の力で語っていくと、followr(追従者?)が生まれ増えていき、語ったことがいつか現実になる。

リーダーとはなろうとしてなるものではない。何かに動かされて挑戦すること、つまり人は旅立ち、困難を克服し、そして帰還することがある。その旅を終えたときにリーダーに「なる」。
旅立つために必要なのは知識やスキルではなく、「見えないものを見る」力や勇気、「歩きたい、歩かなければ」という心からの思いと信念である。


すべてはひとりから始まる。リーダーシップは、まず自分をリードすることである。自分を駆り立てるのは誇りや夢や大望や情熱などで、自分を支えるものは、自分の行動についての納得感や自分自身のぶれない基軸である。自分が心から信じていないものには挑戦できない。

しかし、現実は他人や組織、社会のものさしで行動することがほとんどである。そのため、鏡の中の自分と向き合い対話をしなくてはならない。自分の現実を受け入れ、自分の「生」を考え、自分の内なる声に耳を傾けていく。つまり、「それでいいのか?」「誰にもこびない私」「何でがんばるのか」・・・と自分を探すことである。

リーダーシップとは「生き方」の後に残る轍である。そのため、自分が後悔しない生き方、自分として生きる力、生き様が大事である。他人や社会のものさしで行動するのではなく、自分を納得させるぶれないものさしを持つことである。



私たちは日々組織や社会の中で“やらなければならない”という業務に一生懸命取り組んでいる。“やるべき”ことに追われて多忙を極め、活動をすることで他人に認められて充足感やとりあえずの満足感を得ている。それは本当に自分のしたいことと一致しているのか・・・。「頭」と「心」は一致しているのだろうか。
「頭」で理解したことではなく、「心」から支持することにアクションを起こすのが旅をすることである。旅に出るというのは現実との矛盾と対峙して生きていくことで、覚悟を決めて「捨てる」勇気をもつことが重要である。嫌われる勇気も必要である。

矛盾と対峙するタフな心は、giftの自覚(感謝できる力)から生まれる。リーダーは皆に支えられているものである。ひとりではできないものを社会に創り出せるのは他人に支えられているからである。人の毎日のささやかな営み、「当たり前」の中に感謝すべきものがたくさんあり、それが現実と心の矛盾を引き受けられるエネルギーとなっている。「ありがとう」という気持ちががんばれる力を生み出している。


人々は見えないものには追従しない。でも一人で旅はできない。人を率いるのではなく、周囲を巻き込むよう共感を得ることである。その結果、振り返るといつの間にか人がついてくるというのがリーダーに「なる」ということである。


講義ではいろんな方の語りや生き様をビデオで見ました。自分の物語ですね。私はいつになったら自分を語ることができるようになるかなあ~。私の夢って、超えなければならないものって、挑戦するものってなんだろ。どうなりたいって思っているのかなあ。自分を見つめて心の声を聴いてみよう・・・聴こえるかしら。

講師の方(ISL:野田智義 氏)のインタビュー記事がここ↓にありましたので、よかったら読んでみてください。http://www.goodfind.jp/2011/obog/noda1.html

講義の聞き始めからヨンジュンさんのことが頭をよぎりました。ぶれない自分、語ることで現実にしていく夢、生き方に共感している私たちは追従者?『韓国の美をたどる夢』は自分探しですね。

NHKの番組で江戸時代に東大寺大仏殿の修復に貢献した公慶という人のことをやっていました。100年も裸でいた大仏、それが当たり前になっていたから誰も仏殿を再建することに積極的になりませんでした。出家した彼は「修行の身の自分は雨をしのぐ傘があるのに、仕える仏に傘がないなんて・・・」と思いました。そしてその夢を実現すべく語る行脚をしたそうです。
 天下の仏心を集めて一仏となす
大仏殿を創る作業が夢なのではなく、そこに集まる人たちが支えあって生きていくことを彼は夢としたそうです。大仏殿が完成した時に彼はもうこの世の方ではなかったとか。でも、落成供養祭が盛大に行なわれた日、集まってくる人々を救う救護所のようなものや迷子の子供を面倒見る迷子所のようなものが作られ、公慶の夢は次の人たちに受け継がれていったということでした。
彼もまた偉大なリーダーですね。



今日の写真はホテルの部屋で撮影しました。
ライトはパソコンを照らしてくれています。
文中の写真は今回私が持ってきた風呂敷たちです。旅の荷物の中身を風呂敷で包むのが我が家風・・・というか、母がそうしていたのでそうするものだと昔から思っていました。最近はエコバッグとしていろんな持ち方があるので、増えています。
なまずのがおもしろいです。東京タワーの淡水魚水族館にありました。右下のは阿修羅展で購入したものです。ペットボトルを包んでいるのはただのハンカチです。


2009/10/04 00:41
テーマ:『韓国の美をたどる旅』 カテゴリ:趣味・特技(その他)

月夜

Photo

『韓国の美をたどる旅』のイベントでヨンジュンさんが朗読してくれた“月夜に照らされた弥勒寺跡の石塔”をじっくりと読みました。会場ではヨンジュンさんの朗読に耳を傾けつつ、スクリーンの字幕とヨンジュンさんの動作を交互に見ていて、情景の想像が乏しかったからです。
あ~、ハングルでヨンジュンさんの語りが理解できたらいいのに・・・


弥勒寺跡について書かれているののは“捐”でくくられた章でした。皇龍寺跡と2つ、千年の昔に思いをはせながら現在の世界との対比で語られています。それは千年前の人と自分との対比のようでもあります。
“捐(捨てる)”ってどういうことなんでしょう。

広大な空間に千年前の人々が夢を積み上げたように、自分も何か夢をどこかに積もうとしている?積み上げる力は目に見える物質的なものやテクノロジーではなく、心とか希望とかそういう人の内側から出てくるもの?

古い都市は「刃のような現代都市」と違って人に優しいと感じるようです。欲望のために飾りたてる空間は人を疲労させてしまうから、もっとシンプルで自然な空間に身を置きたいと思っているのでしょうか。“捐(捨てる)”とはそういうごちゃごちゃしたものを取り除きたいという意味なのかなあと考えました。
どこの章だかわからなくなっちゃったけど、聖徳太子が夢殿にこもって夢想した姿に似た話がありました。ヨンジュンさんは自分なら本を持って部屋に入るといっていました。自分はまだ満たされていないというか、吸収したいことがあるからというか、だから身一つにはなれないというようなことでした。これと”捐”はつながるのかな。まだ自分は捨てる時期にきていないということでしょうか。難しいことを考えています。




文章を読むと、ヨンジュンさんはまだ陽のある明るい時間に弥勒寺跡にやってきて、ここで夕暮れを迎えたようですね。広野や博物館などを観て歩き、説明を聞き、土や石に手を置き、景色を眺めて、この寺を作ろうとした王と王妃、実際の建造に当たった工人、巨大な建造物を見上げた民などの様々な人の思いを自分の内に引き込んだようです。
そうして、あの詩のような一節ができたのですね。


日が落ちて暗くなった弥勒寺跡地に立った彼はそこをぐるりと見渡し、ゆっくりと歩いて東塔の下に座り、復元されたきれいな塔を見上げたのでしょう。イベントの時、舞台上で朗読しながらされたゆったりとした動作をもう一度思いおこしてみました。舞台の段に腰掛けた彼は振り向くように上を見上げました(私の記憶)。きっと弥勒寺でもそのように塔を見上げたのでしょう。なので、本にある塔のシルエットは月明かりを塔で隠すように写した写真なんだと思います。その時のヨンジュンさん目線がこれなんだって思っています。(実は、この輪郭のぼけた墨絵のような写真、月光で地面にできた影と逆光の塔とどっちなんだろうと考えていました。)

弥勒寺跡に座り込み、東塔を見上げた後、一度目を閉じて再び開眼したヨンジュンさんは、創建当時にタイムスリップしたようです。古の人も同じ風景を見ていた・・・。千年前にここに住んでいた人、できたばかりの巨大な塔を敬意な気持ちで見て夢を抱いた人のことを考えたのでしょう。

ヨンジュンさんは千年を行きつ戻りつすることによって、何かを悟ったのでしょうか。木蓮の華やかな花弁がパラパラと落ちるように、何かを捨てて夢を積む方向性が明確になったというか、悩みが吹っ切れたというか、よくわからなけど・・・(゚-゚;)
また、ヨンジュンさんは自分が叶えようとしている夢が千年後の人々にも伝わるといいなと思ったようです。西塔のように・・・

ヨンジュンさんの夢ってなんだろ。共に見ることができるのかしらん。



 


今夜の中秋の月です。
ススキと撮影したいと思ったのですが、場所を見つけることができず。
雲が出ていたので、それを一緒に撮影と思いましたが、満月が明る過ぎて難しかったあ


2009/09/30 08:07
テーマ:日常 カテゴリ:趣味・特技(その他)

アクセサリー

Photo

昨日の『もうひとつの冬のソナタ』イベント、ヨンジュンさんの頭が花道の先に少しずつ見えた時に胸が熱くなってしまいました。ちょっぴり黒ぶち眼鏡がいつもより大きく見えるくらい痩せてしまいましたね。歳月が経ったチュンサン、苦労をされたチュンサン・・・。そのように感じました。
でも、坂に躓きそうなジウちゃんをさりげなくサポートする姿は頼りがいのある男だわ・・・って、また胸キュンな私でした。私も彼の腕につかまって歩きたいぃぃぃぃぃ

ヨンジュンさんはイベントの最後にこんなことを言っていました。
「今日はカゾクの写真を撮りたいと思っていたんです。カゾクなのに写真が一枚もないのはどうかと思って。でも主催者の方に駄目と言われました。だから、今度撮りましょう。ソウルで・・・」
アジアにたくさん“カゾク”がいらっしゃるヨンジュンさん。どうやって撮るのかな~。ものすごーい広いところで集合写真?人文字でも作りますか?


今日のイベントは昨日のような甘い内容ではないでしょう。ヨンジュンさんがどんな風に韓国の匠たちとお話されるのか、韓国の美しさを伝えるのか楽しみにしています。また、旅でのエピソード、カメラや写真に対する思いを聞きたい私でした。



今日の写真はホテルの部屋で撮影した私のアクセサリー。レディースルームなのでちゃんとこのような台があり、並べてしまいました。
手前のピアスは昨日のイベントに合わせて雪。その奥は今日のイベントに合わせて装着します。たぶん太王四神記をイメージしたものだと思いますが、朱雀のようなものがついたピアスです。くすんだ緑と深い赤紫のビーズが韓国の色合いって感じがします。ちょうどそれと同じ色が入ったスカートを持っていたので、それに合わせて・・・。


[1] [2] [3] [4] [5] [6] [7] [8] [9] [10] ... [29] 次>

TODAY 264
TOTAL 506750
カレンダー

2024年10月

1 2 3 4 5
6 7 8 9 10 11 12
13 14 15 16 17 18 19
20 21 22 23 24 25 26
27 28 29 30 31
ブロコリblog