2009/09/19 23:57
テーマ: カテゴリ:趣味・特技(その他)

枝垂れ柳

Photo


今夜も虫の音がリリリン♪リリン、リッリッリッリ・・・と響き、涼しい風はカーテンを揺らし、秋が深まってきたことを知らせています。まだ自転車をこぐと汗まみれになっていた8月の終わり、桜の葉がハラハラと落ちる姿を見て、季節が変わったんだと実感しました。今年は梅雨明けがはっきりせず、なんとなく夏が来てしまったけど、秋はその姿を主張しているなと思います。

余談ですが、翌年芽吹くために葉が落ちることを「アポトーシス」といいます。個体の生を保つために終わっていく死です。プログラムされた細胞の終わりなのだそうです。人の体でも毎日アポトーシスは繰り返されています。例えば、赤血球は約120日、皮膚は2~4週間の寿命です。そうそう、ターンオーバーって、そうやって細胞が入れ替わっていくことです。


先週末、もう萩が咲いているかもしれないと思って、昨年撮影した場所に行ってみました。・・・が、まだ少ししか咲いていません。あれ~?昨年は9月6日にたくさんの萩を撮影したのになあ。気温の変化具合が違うのかしら?そういえば、中秋の名月、今年は10月3日です。昨年は9月14日でした。同じ月日でも地球号の様子は全然違うんだろうなあ。ちなみに、本日は新月で空は星だけです。


この↓左の写真は今年の撮影です。花が少ないので接写しました。
右は昨年の撮影です。

 
花が少なく、かといって夏のようなキラキラした華やかな緑もない木々。少しだけ色づいた、どちらかというとくすんだ葉を撮影していた私。なぜか、いつも気に留めない枝垂れ柳に見とれてしまいました。
風を受けてゆらゆらさわさわ。青い空にその揺れている姿がきれいだったんです。

枝垂れ柳は水辺の道や街路樹として植えられていることがよくあります。銀座の柳はシンボルなんですってね。私の街でも、お城の堀周りの道沿いにありました。ただ、道路の脇を走る自転車族としては、伸びた枝葉は顔に当たるので、ちょっと迷惑かも。

毎日出会っているこの枝垂れ柳たち。そういえばこれまで撮影したことがありませんでした。猫柳のモサモサした芽はかわいいと思うことがありますが、枝垂れ柳をきれいとか、かわいいとか思ったことがなく、気に留めなかったのだと思います。私には路傍に立つ地味な存在の木のイメージがあります。柳も落葉樹だから四季折々に姿を変えているのに、私は欅の街路樹ばかり注目していたようです。
春に花が咲くのね・・・見たことありません。


日本語には「柳」をたとえて使用する言葉がたくさんあるのですね。柳はしなやかだけど強い、やわらかいけど折れずにしっかりしている、つまり、柔軟性があって芯がしっかりしているという、結構いい意味として比喩されているみたいです。また、女性を表現するにも使われているんですね。柳髪、柳眉、柳腰・・・。そうえいば花柳界と言う言葉もあります。
そのような言葉の意味が揺れる柳を見てわかったように思います。

柳というと、花札の図柄にもなっている小野道風と蛙の話が浮かびます。何度跳んでも柳の枝に届かなかったのに、風が吹いて柳がしなった時に跳びつけた蛙。一生懸命努力をして偶然を自分のものにしたその蛙を見て、道風は自分の努力の足りなさを反省してがんばったという。
“あきらめない”ということなんでしょうかね。
日々努力の足りない私は胸の奥が痛くなります。
ところで、なぜ花札の画で柳は11月なんでしょう(「・・)??

タイトル下の柳、下から見上げているんですが、自分に向って放射状に伸びてくるこの角度が一番見ていておもしろいなと思いました。
この下の写真右は柳の下に生えていた草です。色づいて秋らしかったので・・・。
 




最近、毎日のように聴いているお気に入りの曲があります。
佐藤竹善さんの「届いたらいいな~Gratitude~」です。

http://www.youtube.com/watch?v=-egRJjIeEVA

 大切なものに迷ったけど 届いたらいいな このまま
 素敵なことだと思えるまで 届いたらいいな あるがまま

早くヨンジュンさんの『韓国の美をたどる旅』のパンフ(もちろん本も)が届かないかな~と思いつつ口ずさんでいます。
 
 阻まれたような自由のない日々がいつも
 研ぎ澄まされた夢をつくる
 これからどれだけの涙で  ぼくは泣くのだろう 笑うだろう
 ぼくが決めていく景色の色 届いたらいいな ここから

誰かに決められた、何かに追われた、余裕のない殺伐とした景色に囲まれた毎日でも、柳のようにしなやかな心を持ち、夢を失わず生きていきたいものです。

この歌の歌詞の中に“幾星霜も越えた声が・・・”というフレーズがあります。
“いくせいそう”???聴いただけでは何を表現しているのかわかりませんでした。字を見てもいまひとつ?
広辞苑によると「(星は1年に天を一周し、霜は年ごとに降るから)歳月」とありました。だから“幾星霜”は“幾年月”という意味なんですね。きれいな言葉を知りました。

 重ならない時代を生きて重ねる想いを
 放つよ
 ・・・同じ空に出会えたらいいな

   


2009/08/30 01:07
テーマ: カテゴリ:趣味・特技(その他)

花火大会

Photo

景気が悪くなった今年、いくつかの花火大会が中止になったそうです。企業がお金を出せないからってことのようです。
でも、私の街の花火大会は開催されました。

私の街の花火大会は観光用ではありません。由来は、空襲で亡くなった方たちの供養なのだそうです。水が欲しくて河川に人々が集まった・・・と聞きました。なので、夜は花火大会なのですが、イベント(?)は昼間の供養祭から始まります。河川敷でお坊さんがお経をあげるのだそうです。その後、踊りがあったり、音楽演奏があったりします。
辛い過去に生きた人々を忘れず、現在の繁栄におごることなく私たちは生きていかなければ・・・。

私の街の花火も企業が出資しているのだと思いますが、「市民花火」という個人や町内の募金などによるものも結構あります。花火の値段ていくらなのかな。市の募集記事を見ると、「市民花火」は6号からあり、10号(尺玉)で58,000円、仕掛けで32万円だそうです。本部近くで放送を聞いていると花火の提供者のお名前が放送されます。結婚祝いとか、長寿の祝いとか、何かの記念にと個人で上げる方があるのでしょうね。



 

由来のためか、この花火大会はとてもゆっくり進行します。15000発を2時間以上かけていますから。わー!っと迫力ある花火大会というよりも、お料理を食べながら家族や友人たちとのんびり会話しながら見ます。盆の行事ではありませんが、懐かしい人たちが家に集う日だなと思います。


今回は橋の上から写真を撮りました。会場からかなり離れた橋なので人が少なくてよかったです。涼しかったし、蚊に刺されることもなかったし・・・。
遠くから撮影して感じたことは、ネオンよりも花火は明るいのだということです。下の方に鉄道の橋や街の灯りが少し写っていますが、その差は明確です。ネオンはかすかな点でしか写っていません。時々、新幹線が通ると白い筋になって写りました。
そういえば昔、祖母が花火を見て「照明弾のようだ」と言ったことを思い出しました。町中が照らされたとか。恐かったんだろうなあ。


昨年よりも花火撮影に慣れた感じがします。でも、ついスターマインばかり撮影してしまいました。大きな玉を狙いたかったのですが、上がる位置が微妙に捉えられなかったり、タイミングがわからなかったりしました。
来年の花火撮影はもう少し近いところからレンズを広角にして写したいです。そして、何か建物を対照物として入れてみたいですね。または川の水面に映るような構図とか・・・。また、多重露光にもちゃんと挑戦したいと思います。

それにしても、ネギみたいに写っているのがあって笑ってしまいました~。実物を見ていてもそう思わなかったのに^


 


2009/08/22 22:43
テーマ:日常 カテゴリ:趣味・特技(その他)

ミニひまわり

Photo

今日はとてもよいお天気で、夏の終わりの太陽がサンサンと照りつけていました。おかげで洗濯物をたたんでいたら、お日様の匂いがホワンと私の鼻を通り抜けました。う~ん(*゚.゚)いい香り!

梅雨のころ、ちょっと気になった製品があります。P&Gから出ていたレノアとファブリーズの『おひさまの香り』です。雨の降っているあのころは、ジメジメしてなんとなくカビのような匂いがしました。これらの製品を使用したら気持ちがいい太陽の匂いがするのかしらん・・・と思ったものです。
私は柔軟剤は「ハミング」ファブリーズは「無香料緑茶成分入り」に決めている(わけではないが・・・)ので、それらをお試ししたことありません。
本当にお日様と同じ香りがするのでしょうか。お日様の匂いって何でしょう。


私と同じ疑問を持った人ってやっぱりいるんですね。

P&Gのホームページによると、『おひさまの香り』は“おひさまの下で干した洗濯物の、清潔であったかいイメージの香り”なのだそうです。お試しした方の記事を読むと、洗濯物や布団を干したときに感じる匂いとは少し違うようです。もう少しフルーツ(パイナップル?)のような感じと言っている方もいらっしゃいました。太陽のイメージですかね。


以前、カネボウが『太陽の香り』という香りを作ったのだそうです。なんでも、
綿のタオルを快晴の屋外で干し、タオルが放つ揮発性の成分を分析し、人工的に合成させたとか。それによると、お日様の匂いは
石鹸洗剤と人体から出た汗や脂とが紫外線によって分解したもので、アルデヒドやアルコールや脂肪酸などの化学物質が香りの主成分らしいです。
その香りはどんな人でも「心地よい」と感じるようで、嗅ぐと脳波にα波がでるそうです。

http://www.aist.go.jp/NIBH/indexcontents/
j4reseachperformance/j401contents/press001115.html


カネボウでは「エアー・パフューマンス」というシリーズのフローラル、オゾンブルー、シトラス、ハーバル、フルーティ、シュージュという6つのオードトワレにその香りを使用したそうです。“太陽の輝く青空の下に座っているかのようにリラックスできるフレッシュな香りのナチュラルフレグランス”とありました。私が想像している香りが単純に再現されていたのではないってことかな?2001年に非売品としてでたオードトワレ「太陽の香り」を使った人は“最初爽やかで、徐々にパウダリーになっていく郷愁溢れる香り”と表現し、その後、お日様の匂いとは違うとコメントしていました。
しかし、“懐かしくて少しパウダリー”っていうのはお日様の匂いでも共通した表現のように思います。似たような感覚はあるってことかな。


私は、干した布団よりも洗濯糊をつけた綿のシーツに一番お日様の匂いを感じるのですが、どうでしょう。カネボウが分析&合成した匂いは結構いい線いってたかもって思います。香水とするためにはいろんな香りと混ぜて商品にしなくてはならなかったのかな。それらのシリーズはもう売っていないらしいので、お試しできず残念です。多くの人が好む匂いだったのに化粧品としては売れなかったのかな?柔軟剤とかだったら絶対にいいのにね。P&Gの匂いはこれと同じなのかな?
誰かわかる人いたら教えて欲しいわあ。患者さんのシーツにお日様の匂いがしたらいいかもしれないって思います。



その他、お日様の匂いは「土埃の匂いも入っているのではないか」とか、「酸素が分解されたオゾンの匂いではないか」とかとネットにありました。「ダニの死骸や卵」っていうのもあったけど、それは嫌だなあ。












7月の上旬に撒いたミニひまわりが今週花を咲かせました。ひまわりはやっぱり太陽が似合います。蕾は先週撮影したものです。

下は折鶴蘭です。ひまわりと正反対のはかなげな花です。


マクロレンズを持っていないので、なかなか接写はとれませんが、最近マクロフィルターというものを購入しました。
標準レンズに装着すると、少し焦点距離が短くなるようです。


」   


2009/08/09 10:08
テーマ:奈良 カテゴリ:趣味・特技(その他)

水しぶき

Photo


8月になってようやく夏らしい空がみられるようになりました。蝉のジイジイした音や入道雲のモクモクしている姿はなんだか嬉しいです。肌にジリジリくる陽射しを受けつつ、「夏だ~!」と叫び、(;´д`)ゞ アチィー!!とエアコンに飛び込む私です。そういえば下駄を履いてのチャリンコ通勤をしているため、足の甲はすっかり鼻緒型に日焼けしてしまいました。

暑い日の夕方はやっぱり打ち水しないとね。夕立が降った日は本当に涼しいもの。液体が気化したときにエネルギーが奪われる・・・だから温度が下がるんですよね。まあ、昔の人はそんなこと考えもせず、過ごしやすくなるからと撒いたのでしょうが。
私が小さいとき、祖母はバケツに汲んだ水をチョイチョイと撒いていた記憶がります。現在の私は・・・。ホースから水をジャーッと出します。アスファルトやコンクリートが多くなった現代は地面に水がしみこむことはないので、溜まってしまいますが、それでもジャージャーと撒きます。

余談ですが、病院で使用している酸素は元は液体で、それを気化させて使います(酸素ボンベは気体を圧縮しています)。なので、壁から出てくる酸素は冷たいんですよ。たくさん酸素を使用している人の水がブクブクしているところは、冷えて水滴がついていることがあります。

実はこの撒いている水、水道水ではなく、地下水をポンプで汲み上げたものです。だからとても冷たい!我が家は10年前に建て替えましたが、それまでは水道が通っていませんでした。というと、すごいところに住んでいるように思われますが、普通に街です。ただ、昔から地下水がよくでましたので、水道が必要なかったんです。建て替えたとき、2つあった井戸の1つを埋めてしまいました。私は埋めてしまった方の水が好きだったんですけど・・・。同じ地下水でも深さが違ったのか、味が違いました。
今時の土壌は何が溶けているかわからないので、ちゃんと水道の方がいいのではないかということで、今は庭だけ地下水を使っています。


「白村江の戦い」は661年の8月と記されていました。その日も太陽が照りつけ、蝉の鳴くあつーい日だったのでしょうか。

7月のETV特集「日本と朝鮮半島2000年」は律令国家としての日本が整った背景についてでした。中大兄皇子と中臣鎌足が蘇我入鹿を倒した「乙巳の変」から、持統天皇が藤原京で「大宝律令」を公布した7世紀のころです。「日本」という国ができてきた背景に、唐や朝鮮半島の国の変化が大きく関わっていたということがよくわかりました。番組の最後のあたりで言っていましたが、現在の東アジアの国々の原形ができたのがこのころであったのですね。それまでは“国”というレベルの交流ではなく、豪族による個人的なものでした。
白村江の戦いは唐が大国であったから負けたのではなく、集団としての統率が整っていたかどうかにあったようです。戦い後、中大兄皇子をはじめとした倭のリーダーたちは国防力を強化するために、急ピッチで日本という国を造り上げたのでしょうね。




  熟田津(にぎたづ)に 船乗りせむと 月待てば
        潮もかなひぬ 今は漕ぎ出でな
 
【万葉集巻3・8】


これは額田王の有名な歌です。白村江の戦いのために出兵する人々の精気を高めるために斉明天皇の代わりとして詠んだそうです。道後温泉あたりから船出をして九州に向う時のものだといわれています。とても力強く、情景が鮮明にイメージできる美しい歌だなと思います。
今だったら近畿から九州へは飛行機であっという間ですが、当時大軍を率いての行幸はそりゃー時間がかかったでしょうね。兵士だけでなく、大王一家とおつきの女性から子供までが動いているんですから。月単位か、年単位のことかな。旅の途中で大王の孫である大伯皇女は大津皇子を出産してます。出兵というよりも、引越しですね。朝倉宮を建てたっていうのだから、遷都に近かったのかもしれません。

この時、594年生まれの斉明はなんと67歳ってことになるんですよね。女性の大王としては推古についで二人目で、しかも重祚になります。「乙巳の変」の時の大王であった皇極天皇が前の彼女です。あの後、彼女の弟である軽皇子が孝徳天皇になったのに、中大兄皇子たちに難波に置き去りにされて亡くなり、また彼女が天皇になりました。中大兄皇子が即位すればよかったのにね。たぶん、実権は母である斉明ではなく、皇子にあったであろうと推測できます。
聖徳太子も即位せずに厩戸皇子でした。いろんな権力者に狙われず、しきたりに縛られずに政を行なうには、即位しない方がやりやすかったのでしょうか。母を盾にして自由に行動していたのかもしれません。


  香具山は 畝傍を愛しと 耳成と 相争ひき 
  神代より かくにあるらし 
  古も しかにあれこそ うつせみも 妻を争ふらしき

                         【万葉集巻1・13】

香具山は畝傍山が愛しくて耳成山と争ったそうだよ。
神代からあったそうだよ。
昔からそうだから今も美しい妻を争うことはあるよね。


この歌は中大兄皇子が大和三山を歌ったものです。これを中大兄皇子と大海人皇子と額田王の三角関係になぞらえて解釈する説は有名です。
この歌も白村江の戦い前、百済からの援軍要請を受けて九州に赴く途中(明石辺り?)の宴で歌われたそうです。そのため、三山を百済、新羅、唐または倭のことであると考えてもいいかもという説がありました。
『万葉集の風景』というサイトの雑記帳のページにそんな考えが詳しく書いてあるので読んでみてください。おもしろいです。

http://viewmanyou.web.fc2.com/index.html


それにしても、戦いに行くにしては切迫感がありません。古の人ってすごいスローライフなの?


白村江の戦いで大敗をした後、天智天皇は飛鳥に戻りましたが、すぐ都を近江の大津に遷します。当時は大王が変わるたびに宮が変わっていたからですが、天智天皇は唐からの攻めを考えて飛鳥を離れたということでしょうか。まだ中央集権国家としては発展途上でしたので、遷都といっても人々がそんなにくっついてはいかなかったのかな。飛鳥→難波→飛鳥→朝倉→飛鳥→大津って20年あまりで移動しすぎです。

)



「大化の改新」とは律令国家としての体制を整えていったその後の歴史を指していうのですね。そうすると、天智天皇、天武天皇、持統天皇と3代が行なってきたことでしょう。でも、この間に「壬申の乱」が起きています。天智が亡くなった時、息子の大友皇子が即位します(弘文天皇)。大友を倒そうと吉野で旗揚げしたのが大海人皇子です。

彼は天文、占星、陰陽に興味を持ち学んだようです。飛鳥浄御原宮で即位しましたが、後に大きな都を計画します。それが藤原宮です。場所を選定する際、四神の考えを参考にしたといわれています。東の香具山が青龍、西の畝傍が白虎、じゃ、耳成が玄武ということかな。南に朱雀門があったようです。また、朱雀大路を南に延長した土地にある古墳たち(キトラ、高松塚とか)には星宿図があり、天武・持統陵も同延長上になります。
天武天皇は藤原宮の着工前(686年)に亡くなってしまい、それを成し遂げたのは妻の持統天皇になるんですけど。

↓『キトラ古墳の星宿図』というページです。
http://astro.ysc.go.jp/izumo/kitora.html


この時代、朝鮮半島から多くの人たちが日本に渡ってきて、どんどん新しい文化が入ってきたのでしょう。電子通信も文字も紙もなかったのですから、人から人へ伝えることが唯一の伝承手段であったと思います。たぶん、朝鮮や中国の言葉と日本のいろんな方言がグチャグチャに入り混じった状態であったかもしれないって想像します。

藤原宮瓦拓本日本書紀や万葉集は後の人が書いたものですから、脚色も多いでしょうね。どこまでが本当なのかわからないけど、残されたものを関連付けて想像するのは楽しいことです。考えるのは自由ですものね。
人間は関連付けるのが好きな動物なんですって。(⌒▽⌒)アハハ


右は藤原宮址から発掘された瓦の拓本です。着工が690年で完成が704年だから、今から1300年以上も前に作られた瓦からとられたものということになります。
飛鳥資料館で購入しました。




久しぶりの記事になりました。
かなりマイナーなブログだし、あまり更新がないけれど、ここを覗いてくれる人があるのだとカウント数を見てびっくりしました。ありがとうございます。
ボチボチですが、マイペースでこれからも更新します。
ホントは記事にしたいことは次々と出てくるんですよ~。
ただ忙しく、写真も撮れず・・・( p_q)

今日の写真は水撒きの時のしぶきです。
太陽に照らされてキラキラしてきれいでした。

空港は窓から見えた青空と差し込む陽射しが夏っぽくて・・・。
その右は飛行機が止まる瞬間です。電子機器で動いている飛行機ですが、この瞬間パイロットは導いている方を目視して動かしているのですね。

男の子が手を上げているのは、上から霧が出ているからです。
少しでも涼しくしようという工夫があったわが街の駅前の空間です。
並べられたタイルもきれいでした。


2009/07/05 15:54
テーマ:歳月 カテゴリ:趣味・特技(その他)

生き物

Photo


姪がてんとう虫を飼っていると妹から聞きました。なんでも、近所の空き地にたくさんいたので、10匹ほど捕まえて虫カゴに入れてきたのだとか。エサはカブトムシ用として売っているものをあげているらしいが、いいのだろうか?だいたい、てんとう虫ってどのくらい生きているものかねえ。「飼いはじめてから数日しか経っていないので、わからん!」と妹は言ってました。

そういえば、夏の初めはオタマジャクシを飼っていたと聞きました。おじいちゃんが卵をとってくれたので、孵してお世話をしていたらしい。それはどうなったのか聞いてみたところ、カエルになったから空き地と学校に放したそうです。まあ、虫とかを獲ってきてカエルにエサをやるはたいへんだものね。ただ、そのうちの1匹が家の中でどこかに行ってしまい、いまだに見つからないそうです。箪笥の裏とかでカラカラになっていないだろうか・・・。かわいそうに・・・。

それにしても、小学校3年生になる姪は何か生き物の世話をするのが好きなようです。うん!(^^)いいんじゃないかな~。たまごっちの世話をするよりも。「生きる」とか「命」とかがどんなものなのか、人がコントロールできるものではない、リセットなんかない、二度はない・・・とかが学べますからね。




私たち姉妹も子供のころいろんな生き物と出会いました。我が家は父が動物好きだったので、ネコ、ハムスター、犬、チャボといろんなものを飼ったのです。たいていは拾われたり貰われたりしたものです。たまにはザリガニとか、メダカとか私たちが遊んでいてとってきたものもいましたね。

夏に沢蟹を獲ってきてバケツに入れておいたことがあります。エサをあげることをしなかったので(何をあげてよいかわからなかった?)、共食いしていましたね。数日後、バラバラになったカニがいました。

昔、我が家には庭に小さな池があり、そこでは金魚を飼っていました。たぶんお祭りの金魚すくいでとってきた小さな金魚たちです。時々その池の掃除を家族みんなでやりました。池の底の栓を抜くと、水は家の横を流れているドブに出て行くような仕掛けになっていました。中の金魚を全部すくってから栓を抜くのですが、たいてい数匹はドブに水と一緒に流れてしまいました。ゴメンナサイ。きっとそこでは生きていけないでしょうね。


インコをよく飼っていました。ペットショップで雛を買って来て、自分たちでエサをあげて育てたことがあります。粟のようなエサをお湯に浸して、割り箸の先を耳かきのように削ったものであげるのです。雛の口がかわいかったあ。よく見ると舌がピョコピョコ動いているのがわかるんですよ。
そのインコが成長して棒にとまれるようになったときはとても嬉しかった記憶があります。ただ、籠から出して遊んでいて、家の外に逃げてしまったような・・・。

私も妹も生き物を飼うのは好きだったんだと思います。
妹なんか、親に内緒で捨て猫を友達と空き家の縁の下あたりに飼っていたことがあるんですもの。小学校2年生くらいでしたよ。それを題材にしてその友達とマンガを描いていました。ふたりで交互に描いた連載ものです。姉の私だけ特別に見せてもらった記憶があります。そのネコはどうしたんだろう。



小学生の時、私のクラスは飼育係でした。学校で飼っていたインコ、チャボ、鯉の世話をしていました。夏休みなどは毎日当番が出かけて様子をみたり、エサをあげたりしました。鳥小屋や池の掃除もみんなでやった記憶があります。
巣から落ちてしまった雛をみんなで育てたこともあります。交代で家に持って帰り、エサをあげていました。成長して小屋に戻した時は「やったー!」って思いました。人工飼育だからか、その鳥だけ色艶が薄く、たくさんいる中でもすぐ自分たちが育てた鳥だってわかりました。

そういえば、インコに皮膚病が出てしまったことがあります。小屋全体を消毒しなくてはならないということで、中の鳥を全部外に出すことになりました。いくつかの鳥籠を用意して、捕まえて入れていきました。巣箱には雛が数匹いました。親鳥がどれかわかるわけないので、私たちは分担して雛を育てることになりました。私の担当は緑色のちょっと頭にハゲのあるインコ。箱に入れて家に持って帰り世話をし、登校するときはまた持って行き、教室の窓際に置いていました。
ある授業中、私のそのインコちゃんは箱からピョコピョコと出て歩いていました。おや?と思ったのですが、授業中だったためそのままにしていたら・・・
||||||||||||||(* ̄ロ ̄)ガーン||||||||||||||||
インコが水の入ったコップに顔をつっこんだまま動かなくなっているじゃないですか。水を飲もうとしたのか?コップは深く、どうも起き上がれなくなったようです。
。・゚゚・(>_<;)・゚゚・。泣きましたね。見守ってあげられなかった自分が情けなかったです(たぶん)。


姪のてんとう虫の話から自分の昔を思い出してしまいました。きっと姪はこれからもいろんなものを飼いたいっていうだろうなあ。





ネコの名前はタマといいます。友達が飼っているのですが、もう17歳とか。かなりのおじいちゃんです。彼が亡くなったら友達は泣き崩れてしまうでしょうねえ。

バッタは10年ほど前に撮影したのものです。家のベランダの手すりにいましたが、なんでこんなところに飛んできたのか不思議です。朝陽が当たって身体が透けて見え、不気味な感じがしました。今はもうバッタが出るような草むらは近所にありません。

ハチですが、道を歩いていて発見したものです。たぶんスズメバチなんだと思いますが、ブロック塀に挟まっているように見えました。生きているのか死んでいるのかわからず、刺されると困ると思いつつ、そっと近づいて撮影。もっといろんなアングルで撮ってみたらどうなっているのかわかったかも・・・。近くに巣があったのか?

最後の2つは夏らしいモビールです。いろんな生き物が生きられる地球であればいいけど、人間が中心になってしまっている現代、バランス悪い世界になっているのだろうなあ。


[1] ... [2] [3] [4] [5] [6] [7] [8] [9] [10] [11] ... [29] 次>

TODAY 167
TOTAL 506653
カレンダー

2024年10月

1 2 3 4 5
6 7 8 9 10 11 12
13 14 15 16 17 18 19
20 21 22 23 24 25 26
27 28 29 30 31
ブロコリblog