2008/11/28 20:09
テーマ:奈良 カテゴリ:趣味・特技(その他)

春日山原始林

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紅葉の奈良へ行って来ました。
春日山、神社仏閣の境内、奈良公園・・・
こんなにたくさんもみじがあるなんて知りませんでした。

記事は明日、ゆっくり書きます。
今日は春日山の林道の写真を掲載します。
うっそうとした原始の森に紅く映えるもみじに感激しました。

鹿は若草山山頂で撮影。後ろが春日山かな。


 


2008/11/23 11:36
テーマ:日常 カテゴリ:趣味・特技(その他)

デニムパンツ

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元厚生次官殺傷事件の容疑者が警視庁に出頭したニュースへのあるコメントを新聞で読みました。「今の40代は幼稚な20代に見える」というものです。事件の方法は計画されていたのだが、動機やパフォーマンスからそのようなことが伺えるというものです。確かに・・・。40代の私としてはいろいろと考えさせられます。
↓新聞の記事と同じものがここにありました。
http://sankei.jp.msn.com/affairs/crime/081123/crm0811230023000-n1.htm    



今年の流行語のひとつに“アラフォー”があります。これはTVドラマ『Around 40~注文の多いオンナたち~』がきっかけで、アラフォーとは40歳前後の女性のことだそうです。その特徴は「男女雇用機会均等法のもとで仕事をし、キャリアを積んだ世代。結婚と仕事の選択がそれまでの世代より自由に行えるようになり、キャリアウーマン、女性ベンチャー企業家も珍しくなくなる世代」(日本俗語辞書より)とか。バブルの追い風に乗ってバリバリに働いてお金を稼ぎ、稼ぎを自分に投資して磨きをかけて「いい女」を目指した・・・ということでしょうね。「バリキャリ」っていう語があるそうで、私は知りませんでした。
急いで結婚をすることはないと考える人が増え、この世代には結婚の判断を保留して歳を重ねてきた人も多いとか・・・。また、一人旅を楽しんだり、ひとりでレストランを気軽に利用したりと、「おひとりさま」という文化(?)を確立したのもこの世代だそうです。
仕事、趣味、結婚、出産、友達・・・などいろんな選択を自由に選択してきたといろんな記事に書かれています。

(〃^∇^)o_彡☆アハハ・・・。なるほど~ですね。自分のことを言われているようでした。がんばったら自分にご褒美としてお金を使うことが喜びだったりするんですね。
「自分の人生の幸せは自分で決めていくのだ!」という信念、「他人に依存しないで生きるんだ」という強がり、「この生き方が自分らしいんだ」という誇りみたいなものがあるのかもしれません。


1ヶ月ほど前、高校時代の私を知る友と話をする機会がありました。男から見ると(女からみても同じかもしれないが)私は「我が強い」のだそうです。「私はわがままなのか」と聞いたら「わがまま」とは違うとか。自分の意見を強く主張するという意味のようで、わがままはもっとかわいいと言ってました。∑(゚◇゚;) ゲッかわいくない私・・・。

そういえば30代のころも男性に「かわいくない」と言われたことがあります。あーいえばこー言うところがのようでした。
また、20代の後半、もしかしたら結婚するのかな~っていう男性と別れ話が出たとき(私が切り出したね)「生意気になった」と言われたのですが、それも同意味のような気がします。現在の部署に移動し、仕事が面白くなってきたころでした。その彼と別れた直後、私は初めて一人旅をしました。奈良だったんですけど。


  
 

アラフォーと40代はピッタリと一致しませんが、“私”という軸に考えを進めていくと、他に1960年代生まれとか新人類とかいうのが当てはまります。

1960年代生まれの日本女性はまれにみる結婚しない人たちとか。2000年(30代)でも2005年(40代)でもこの世代の未婚率が13%くらいと変わらなかったそうです。つまりこの世代の女性が10人寄れば1~2人は独り者ってことです。まあ、類は友を呼ぶでしょうか、私の回りは独りは多いです。はじめから一人の方、途中からひとりになった方も含めて・・・。数年前に「負け犬」って言葉がありましたが、私たち世代が30代後半の時に出た言葉だから、それも私を修飾しているかな。


新人類ってオタク第一世代というのだそうですよ。大学がマークシートで共通一次試験をした世代が卒業したころの話です。

成熟した成人として、社会を構成する一員の自覚と責任を引き受けることを拒否し、社会そのものが一つのフィクション(物語)であるという立場をとる。現実から逃避してフィクションに埋没してゆくオタクとは対極にあるとみなされた。オタクが仮想現実と現実を峻別して人生の目的として仮想現実世界を選択することに対し、新人類は情報化社会によって現実世界のほうが仮想現実化し、現実社会で生きるとは情報化された現実を情報処理することであると唱え、それをさまざまな哲学的命題を用いて理論づけようとした。(Wikipediaより)

わかるようなわからないような・・・。情報の送り手の決めたメッセージよりも、自分の哲学や思想で語ったとあります。やはり「自分」なんですね。そのために自分を成長させたいというか、エリート志向が強いのかもしれません。私は?
洋服やバックなどのブランドはこだわらなかったけど、バブルのころは和装してディナーショーに行くとか、有名なお菓子を求めてお店を訪ねるとか、高級ホテルに宿泊するとかはありました。また、いろんな趣味に挑戦したり、セミナーに出かけたりと自分投資をしました。


   


最近、自分の生きかたの選択はどうだったんだろうと思うことが多くなりました。それってどこかに後悔があるのかもしれません。あの時に別の選択をしたら違う人生だっただろうと思うのです。
父が亡くなり、年老いた母とふたりになってこの先のことを考える機会が増えたからかもしれません。ひとりでいることがちょっと寂しくなったのかもしれません。


NHKの土曜ドラマ「陽炎の辻~居眠り磐音 江戸双紙~」が好きで見ていました。昨日の最終回、磐音のようなカッコイイ人と一緒に歩めるおこんがちょっとうらやましかったです。両替商で長いこと働いてきたおこんさん。ご主人の奥さんが亡くなってから奥をとりしきってきたのですが、後妻がきたことで自分の役割りが宙ぶらりんになってしまいました。「自分は弱くないのだ!」と強がって気持ちばかりが空回り。そんな彼女を包んでくれた強くて優しい磐音。いいなあ・・・。

「宮廷女官チャングムの誓い」の最終回も見ちゃいました。チャングムが医女として働けるように支えてくれたミン・ジョンホ。いいなあ・・・。
もしかしたら私の中にシンデレラコンプレックスが残っているのかもしれません。いつか王子様が・・・(/||| ̄▽)/ムリムリ・・・いや、来たら飛びついちゃう。


なんだかんだ言っても人生は一度きりでやり直しはききません。だからといって構えてもしょうがないかもしれません。流れに身を任せて、分岐点ではとりあえず考えて決断して、これまでどおりに生きていくしかないのでしょう。


今日のタイトル下の写真は私のデニムたち。20代のころからのものがありますから、私の歴史(?)チャリンコ通勤には欠かせないアイテムです。
デニム専門に入れている引き出しがいっぱいになってしまったので、全部出してみたらこんなにありました。ストレート、スリム、ブーツカット・・・。さすがにバギーやスキニはないね。
駄目にならなくてどれも着られるので捨てられないんです。ただ、サイズがちと・・・。昔のものはウエストまである深い股上です。ボタンがはまらないのがあります。最近のものはローライズなのでウエストのくびれがなくてもはけるのがよい(肉が乗るけど)。とはいうものの、少しがんばって無理すればどれもはけると見込んで、自分への戒めもあって時々古いものも着ています。


記事中の写真は通勤途中の寄り道で撮影したものです。天気の良い朝の公園はやわらかい太陽で照らされてキラキラしています。いつかこんなところを一緒に歩いてくれる人ができたらいいなという気持ちです。

 


2008/11/13 21:41
テーマ:身体 カテゴリ:趣味・特技(その他)

風邪薬

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風邪をひいて仕事を休んでしまいました(>o<;))((;>o<)

昨日の夕方、肩こりと少し寒気がしました。まだ残務が残っていた皆を置き去りにしてそそくさと帰宅。葛根湯とビタミン剤を服用し、夕食を食べて床に就きました。
宵の口にやや汗をかきましたが、とにかくそのまま寝続けました。

早朝に目が覚めました。喉が痛い!(≧д≦)ゝ
どうも開口したまま寝ていたようです。カラカラになった喉は唾液さえも飲み込むのが辛い状態でした。口の中を見ると、喉が真っ赤。戦場です。
さらに頭痛、倦怠感。頸をさわるとちょっとリンパ腺がコリコリとふれます。
やばいなあ~~。
なんとか早期に治さなくてはと本日欠勤しました。


中学1年生の時、似たような症状から肺炎になったことがあるんです。あの時は喉の痛みはもっとひどく、声がでなくなってしまいました。その状態でも登校できたのは若かったからなんでしょうかね。
登校したはよいけど、翌日ダウン。病名は異型肺炎でした。
息ができなくなって死んでしまうかと思うくらい咳が出て、夕方になると熱が出て苦しかった記憶があります。それに毎日注射されるし・・・。


今日は、がんばってご飯を食べ、水分を摂り、ずっと寝ていました。
この調子で受診すると、たぶん抗生物質が処方されるんだろうなあと思い、受診はしませんでした。最先端の西洋医学にどっぷり浸かって仕事をしていますが、薬は毒にもなりえるので必要なければ口にしないのが私流。感冒くらい自力で治さなくては。
とは、いうものの悪化してほしくないので、葛根湯とビタミン剤と整腸剤を服用。結局、薬飲んでるじゃん・・・。

その結果、夕方まで発熱はしませんでしたが喉の痛みと腫れは引かず、倦怠感も少し残っています。
今夜は夜勤もありましたが、後輩が交代してくれるとのこと。申し訳なさいっぱいです、なんとか明日の日勤には出勤できるようにしなくては・・・。


葛根湯でよいのかネットで調べると、どうも喉の痛みがある場合は違うようです。腫れている=熱が表面化しているということのようですね。
葛根湯は風寒で服用とあります。私のように熱が表面化している場合(風熱)には銀翹(ギンギョウ)解毒散とありました。
やばい!早く治らないじゃない!

早速薬局へ。
葛根湯類はたくさんありましたが、なかなか銀翹という文字は見つかりません。じっと棚をみると・・・ありました!1種類だけですが。

   

黒い粒が銀翹解毒丸です。匂いがちょっと紹興酒のようです。
先ほど服用しました。
今夜はもう寝ます。明日すっきりした気持ちで目が覚めますように!


2008/11/09 23:04
テーマ:音楽 カテゴリ:趣味・特技(その他)

島原半島

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映画「まぼろしの邪馬台国」が11月から上映されているそうです。これは盲目の文学者宮崎康平氏の同名著書が原作で、妻の和子さんの二人三脚の物語です。このことで第1回吉川英治文化賞をおふたりが受賞しているとか。
邪馬台国というまぼろしの国にロマンを感じて探究をした彼は、邪馬台国論争を学者達の世界から庶民にきずりおろしたと言われています。目の見えない彼に奥さんは日本書紀や古事記等を読み上げ、彼の杖となって九州を一緒に歩き、彼の考えを口述筆記されたそうです。


私はこの本を読んでいませんし、まだ映画も見ていません。私が“宮崎康平”という名を知ったのはさだまさし氏の♪
邪馬臺♪でした。確か高校生のころだったと思います。

  盲しいた詩人はいつも ザボン口に運びながら
  想い出たどる様に 見えない目を開いて
  静かに海を観てた

  幻の国の事を まるで故郷を語る様に
  道程について 風景について
  優しく僕に話した               
                   
【邪馬臺】』 byさだまさし より 
 

とても不思議な雰囲気のする曲だなという印象でした。宮崎康平という方はどんな人なんだろう、有明海を望む山のある風景はどんなところだろうと想像したものです。

宮崎氏は♪島原の子守唄♪を作った方です。彼に「フォークならその土地を歌わなければダメだ」と言われてさだ氏は♪精霊流し♪を作ったとか。Falk songだけではないと思いますが、素敵な歌に出会うとその場所に行きたくなるものです。
上の写真は昨年長崎へ旅した時、飛行機の中から撮影した島原半島方向です。山は雲仙であると思います。
長崎は地形が複雑です。海が西にも東にも南にもあり、その先に半島がまたあるから、自分がどこにいるのか、どちらの方を向いているのかわからなくなります。特に、昨年は地元の友にお任せ移動だったため地図を見ることもしませんでしたから・・・。

せっかく島原半島、雲仙方面に行くのならこの歌を思い出せばよかったのですが、忘れていました。あの時、私の中で長崎は長崎市街地のイメージしかありませんでした。映画を観て、本を読んで、またここを訪ねたいなあと思っています。

  有明の海に風が吹く
  あの人を追いかけて夢が吹く
  ああ悲しい程に 焦がれ続けた
  幻の人が 今
  きっとあなたを抱きしめている
  不思議な夢を観た 
 
       
さださんは宮崎氏に褒められるような歌を作りたいと思っていると聞きました。彼に日本の風景を題材にした歌がたくさんあるのはそのためでしょうかね。私がもっとも好きなのは宮崎氏も大変褒めたという♪まほろば♪です。ただでさえ奈良好きの私ですが、これを聴くと奈良に行って春日山の上に昇る満月を観たい!という衝動にかられます。


  寝ぐらを捜して鳴く鹿の
  後を追う黒い鳥鐘の声ひとつ
  馬酔の枝に引き結ぶ
  行方知れずの懸想文
      ・・・
  日は昇り 日は沈み振り向けば 
  何もかも移ろい去って
  青丹よし平城山の空に満月
                  
『まほろば』 byさだまさし より

【まほろば~修二会←メドレーで聴けます。


   

夕日は小浜温泉からのものです。だから有明海ではありません。
有明海というと私は混声合唱組曲♪筑後川♪の終曲『河口』のフレーズがすぐ浮かびます。

  筑後平野の百万の生活の幸を
  祈りながら川は下る
  有明の海へ
  筑後川 筑後川
  その終曲(フィナーレ) ああ
         
【筑後川/河口】』 by作詩:丸山 豊 作曲:團 伊玖磨

これは筑後川を歌ったものなので島原半島の有明海を挟んだ東対岸の歌になるのですね。
        
   



2008/11/08 00:37
テーマ:自宅 カテゴリ:趣味・特技(その他)

老犬の最期

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私が栃木の旅から戻った翌日の夜、我が家の老犬は息をひきとりました。食事も水も口にしなくなって一週間、立てなくなって5日目のことでした。亡くなる前の夜は一晩中フィン、フィン、フィン・・・キャン!キャン!・・・と啼き続けていました。どこか苦しいのか、命の終わりを悟って恐いのか何かわからず、私はただただ彼の顔を覗いて体をさすることしかできませんでした。

    

 
彼が我が家にやってきたのは1993年。他の兄弟たちよりも少しだけ母犬の元に長くいたためか、気が小さいと思えるところがありました。
玄関前が彼の定位置。訪問者に向ってよく吠えました。
散歩が何より好きで朝晩せがむように甘え声を出しました。

彼の中の優劣で私はたぶん一番ビリだったと思います。一番は2月に亡くなった父です。夕方、父の車が近所に近づくだけでシッポを振ってキャンキャン喜んでいた時期があります。また、玄関前にいても、家の中の父がいる方向をいつも向いて座っていましたもの。

父が亡くなってから彼は時々遠くを見つめるようになりました。また、犬小屋と物置小屋の間の狭い空間に入り込んで動かないというよくわからない行動も見られました。
食餌量も減って、夏には全く食べない日も何日かありました。
私と母はエサの種類を変えたり、好きな肉や魚などおかずを入れたりして何とか食べてもらおうとしましたが、それまでの半分以下でした。そのためか痩せて骨が目立つ身体になり、散歩距離も短くなっていきました。


秋になって少し食べる量が増えたな、元気になってきたかなと安心していたところでした。
10月29日の朝、少し朝焼けのする空が気持ちよく、私は久しぶりに遠出の散歩を決意。彼もがんばって歩いてくれました。しかし、この日が私と彼の最後の散歩でした。
翌日の朝は母と少しだけ歩いたようですが、足取りが悪かったとか。

その翌日の朝は立っていることがやっとという感じになりました。むしろ、立っていなければいけないと踏ん張っているように見えました。後ろ足がガクガクしているのです。また、今まで小屋の前で排泄をしたことがなかった彼が周りを汚していました。

そんな彼を母に託し私は那須へ。旅の途中、母から立てなくなったとか、吠えているとか、失禁をしてしまったとか弱っていく彼の情報を電話でききました。私は出かけた罪悪感がありましたが、実は最期を見たくないという気持ちもありました。ごめんなさい。
   

那須から戻って目にした彼は目やにで右目が開かず、排泄物が毛に付いて汚れていました。虫がたかると嫌だなと思った私は翌日お風呂の残り湯でシャンプーを実行!弱った身体によかったのかどうかは不明。動けない彼は私にされるがままでしたが、そのときは声を出すこともなくうつろに目を開けていました。
タイトル下の写真はそのシャンプー後に撮影したものです。ドライヤーで乾かし寒いといけないと毛布にくるんでみました。


最期の晩は彼を玄関に置きました。夜勤を終えて帰宅した私は玄関のドアを恐る恐る開けました。左目を半分開いた状態で彼は呼吸を止めていました。しかし、身体はまだ温かでした。

   
この写真↑は最後の散歩の日に撮影した空です。


先日の朝、母が「夜ないている声がきこえたような気がしちゃって・・・」と言っていました。父が亡くなり、母の感情の受け皿になってくれた彼も亡くなり、独りで家にいることになった母が一番寂しいのかもしれません。






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