2008/11/04 20:35
テーマ:仲間 カテゴリ:趣味・特技(その他)

紅葉

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今年も那須塩原に住む友のところに遊びに行きました。今回は総勢5名での旅です。みなそれぞれの行路で那須入りしました。

私は当日朝、東海道新幹線→東北新幹線を利用。まあ、一番単純なコースです。
長崎の友は前日入りしていました。飛行機で羽田、東京駅から新幹線です。新幹線にほとんど乗ったことのない彼女は、東京駅でどの新幹線に乗ればよいのかわからず、駅員さんにお世話になったとか。
札幌の友は福島空港に降り立ちました。夜勤明けで仮眠をしてのフライトなので夕方到着の便でした。
日立からの友は自家用車で山を越えてやってきました。やはり夜勤明けなので夜到着。布団が足りないであろうと積んできました。


私が那須塩原駅に降り立ったのは10時少し前です。那須と長崎の友が2人で出迎えしてくれました。改札の向こうに手を振る人がいるってなんか、うれしい!
3人で札幌の友を迎えに福島方面へ車を走らせました。

夜まで時間があるので、“大内宿”と“塔のへつり”に寄りました。紅葉シーズンであり、観光バスがどちらもたくさんいました。
「ねぎ蕎麦」というのを初めて食べました。ネギがたくさん入っているかと思ったら、ネギで蕎麦をすくって食べるんですね。びっくり!

私も長崎の友も写真好きですので、行程がなかなか前進しません。また、2人とも目をつける場所が違い、す~っと消えてしまうので、那須の友にあきれられてしまいました。だからといって誰かがいらいらしたり、嫌な思いをしたりしません。みな自立しているというか、時間に縛られず思い思いのことをして楽しむのんびり旅なんですもの。

福島空港では到着ロビーから駆けてきた札幌の友を迎えました。誰かを待つのもやっぱりいいものですね。
ちょっと牧場の匂いがする場所のスーパーに寄り、4人で夕食のお買い物。それぞれが持ち寄ったお土産とスーパーのお惣菜が今夜のご馳走・・・おつまみ・・・です。
日立の友も那須入りし、5人でコタツを囲みワイワイがやがや。ずいぶん夜も更けてきました。翌日は日光で渋滞に巻き込まれぬよう早起きしなくちゃいけないのに。

修学旅行のような気分でしたが、布団に入ったら皆すぐ(∪。∪)。。。zzzZZ

みな朝早くからエネルギー全開ですよ。寝不足とは思えません。
良く考えたら、友たちは30代ですもの、そりゃー元気だわさ。


コンビニおにぎりを車の中でかじりながらまたワイワイがやがや。
いろは坂が「い・ろ・は」で終わりだと思った友。
途中「絶景展望台がある」というのを「絶叫」と聞き間違えて、「そんなマシーンがあるのか?」と聞く友。
「関が原まで行くのか?」と聞く友(それは名古屋の方。ここは戦場ヶ原だから・・・)
笑いが耐えません。やっぱり修学旅行のようです。


そういえば私の高校の修学旅行は会津と日光でした。しかも11月。そのままだ!

今から四半世紀以上前のことですから、新幹線なんぞない時代。
上野から特急に乗ってやってきました。
宿泊は猪苗代のスキー場付近と中禅寺湖畔でした。
磐梯山への登山、五色沼めぐり、鶴ヶ城や白虎隊の墓、竜頭と華厳の滝などが記憶にあります。
夜、キャンプファイヤーをしてみんなで踊った記憶も。クラスに女子は4名しかいませんでしたので、自然と女子が男子を選んだような・・・。
磐梯山では霧が出てしまい、「女子が先に下りろ~!」と言われがんばったのだけど、下についたら男子の方が早く、もう整列していました。そうそう、私たちが登山した翌日に初雪が降ったといいうニュースが入りました。

そういえば、修学旅行ではなく“高原教室”という旅だったようです。東照宮はコースになく、部屋でグループディスカッションをする時間がありました。
ベタな修学旅行ではない旅は今考えると面白かったかもしれません。


東照宮への参拝後、札幌と日立の友は帰路へつきました。なんと強行な旅なんでしょう。札幌の友は宇都宮餃子をスチロール3箱抱えて空港へ向いました。

残った私たちは塩原温泉へ宿泊。こんなオンシーズンなのにその宿の予約は前々日でした。長崎の友が那須入りした日の夜に2人で探してくれたようです。ありがとう!
温泉に浸かり、ビールを飲んで、しゃべって・・・のはずが、運転をしてくれた那須の友と私は夕食後、すぐに意識不明になりました。

翌日も晴れ!河川を散歩し、那須方面へ下りました。反対車線はもう渋滞です。こりゃ那須高原へは行かない方が懸命だと判断し、観光客の行かないキャンプ場やら公園やらを散策。
コテージがあり、次はこういうところに宿泊し、バーベキューして昼から飲んじゃうのもいいね~なんて話しました。
公園に桜が咲いていました。二期咲きなんでしょうか。紅葉背景の桜はなんともはかなげでした。


最後に黒磯駅近くのSHOZO Caffeに寄りました。那須高原にもあるこのカフェ。出発は黒磯だったそうです。http://www.shozo.co.jp/index2.html
店の雰囲気やお兄さんたちの立ち居振る舞いと言葉が心地よく、何時間もいたくなる空間です。コーヒーとケーキを口にいれながら、3人でまたおしゃべり。
帰りに数件の雑貨店もブラブラ周り、ちょっとお買い物。


夕日が沈んだころ、私は友と駅で別れて新幹線に乗りました。長崎の友はその日のフライトが取れず、翌日朝に羽田から帰路についたようです。


今回の写真(上から順に)
 塩原の山(タイトル下)
 大内宿、そこで撮影した紅葉
 塔のへつりの水面に映った紅葉、岩壁に写った私たちの影
 竜頭の滝、中禅寺湖畔
 日光東照宮の建物の装飾(象?)、華厳の滝
 河川のススキ、公園の桜


旅の写真をウェブアルバムにしましたので、どうぞご覧ください
秋旅2008


2008/10/29 08:46
テーマ:感情と心 カテゴリ:趣味・特技(その他)

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“泣く”ことが流行っているのだそうです。流行るってどういうことかというと、小説を読んだり、ドラマや映画を観たり、歌を聴いたりして泣きたい人が増加しているのだそうです。しかも、何度もそれを繰り返すということで流行っている・・・っていうことです。
夕べも「泣き歌」という視聴者を泣かせるための歌番組がありました。

そういえば私も時々泣きたいと思うことがあります。ドラマやドキュメンタリーや映画を観て泣くことはしょっちゅうです。アニメでも泣いてしまいます。でも、その心の動きって嫌じゃないんですよね。気持ちがいいんです。くり返したくなります。冬ソナを何回も観たくなったのはそのためじゃないかしら?


2005年の『四月の雪~再会~』イベント(さいたまアリーナ)ははじめから涙でした。ヨンジュンさんに会えた嬉しさやイベントのストーリーが涙を誘ったのでしょう。そういえばイエジンさんは大泣き、ヨンジュンさんも涙をこらえたような顔でした。

お酒を飲んで心のコントロールがうまくいかない状態で興奮してしゃべることがよくあります。すると、いつの間にか涙が出てくるんですね~。泣きながら訴えている風です。

生の音楽を聴いていると知らぬ間に涙が流れることがあります。歌詞の内容に情景が浮かんでというのではなく、クラシックの場合演奏そのものが私の何かを刺激するようです。そういえば“のだめ”でもそういうコンサートの場面がありました。

美しい自然の中に身を置いた時も感動して涙が出そうになることがあります。泣きたいというのは感動がおこす涙ということでしょうか。


では、何故泣きたくなるのでしょうか。しかもわざわざです。
泣くって身体がどのようになることなんでしょうか。

  


涙を出すのは自律神経の副交感神経の働きによるものだそうです。

自律神経は交感神経と副交感神経という一見相反する作用の2つの神経があります。
大まかに言うと、交感神経の活動亢進はキャノンという人が「闘争か逃走」の準備反応と呼んだ身体の状態を作ります。内臓よりも筋肉に血液を集め、脈が速くなり、血圧が上昇し、呼吸が速くなり、瞳孔が大きくなり、唾の分泌が少なくなり、胃腸活動が抑えられる・・・。まあ、緊張している状態って考えればいいのでしょうかね。
胸がドキドキして息が速くなる、手足が冷たく汗をかき、口が渇くけどお腹は空かないっていう体です。

副交感神経は筋肉をやわらかくし、胃腸の活動を活発化させ、瞳孔を小さくし、血管を開かせます。結果、体を休ませようと眠くなり、栄養を貯えるよう食欲が出ます。


交感神経と副交感神経は身体全体のバランスを保つようにお互いを調節しあいます。交感神経の活動を亢進させるような何らかの刺激が体にあったとします。その活動が続いたり強すぎると体は壊れてしまうので副交感神経がバランスをとろうと活動します。
つまり、2つの神経はどちらかが働いてどちらかが休むとかいうものではなく、どちらも働いているわけです。どっちが強く働いているかで身体の反応が違ってくるのですが、両方から強く引っ張られたら体は疲れるでしょうねえ。


ところが涙腺って副交感神経だけが支配しているようです。つまり、交感神経が緊張したからといって涙が出なくなるってことはなく、副交感神経の働きが強いかどうかだけで決まるようです。身体全体として交感神経の方が強く働いて興奮していても、副交感神経がそれなりに強く働いていれば涙は出るって考えられます。

   


  


涙には目を潤すために分泌される「基礎分泌」と、ゴミが入ったときに分泌する「刺激性分泌」と、情動反応が自律神経に影響して分泌を促す「情動性分泌」の3つがあるそうです。
感情の変化で泣くっていうのは情動性分泌だってわかります。

情動というのは怒り、恐れ、悲しみ、愛情、喜び、嫌悪とかの急におこる激しい一過性の生理的変化や行動を伴う気持ちと言えばいいのかなあ。言葉で表現されるというよりも身体変化として現れ、生物が生きていくのに必要な原始的なもののようです。恐くないと危険を遠ざけることができないし、子供を愛しめないと種が保存できないからです。大脳辺縁系というところが起源になっているとか。
感情はもっと複雑な機能で、大脳皮質と関係する・・・つまり、記憶とか思考とかも関係するため、言葉にすると多様であり、想起でも起こり、起こっても表面にでないことがあります。しかし、感情は情動反応を引き起こすきっかけをつくるともいえます。


実は自律神経系と感情の関係がはっきりしているのは拡張期血圧と心拍数と指先の皮膚温だけだとか。つまり、どの感情がおきるとどんな自律神経反応がでるのかっていうのははっきりしていないそうです。それは感情と情動反応の関係が明確になっていないということなのでしょう。
なので、私は自分勝手に感情が流涙させる機序を解釈することにしました。

涙は怒りとか恐いとか交感神経だけが働いた身体では出ないわけです。それをおさめようと副交感神経が急に働いた時に出る情動性反応ってことになるのかなあと思いました。
緊張が強い感情は嫌だからそれを収めてホッとしたい感情が副交感神経の働きをおこし、涙を出すということです。
以前、懐かしさについて考えたことがありました。胸を詰まらせる寂しい想いで興奮した身体を郷愁という感情が副交感神経を急に刺激して収めていくのではないでしょうか。
悲しみは交感神経と副交感神経が入り混じった情動反応が起きているのではないかと思います。感情のコントロールがつかない状態をつくり、自律神経の活動もいろいろ??

私の考えた結論は、涙が出る(泣く)時は感情が高まった緊張した状態からホッとした収まりたい状態に急に変化するときに起きる情動反応ではないかということです。




情動は生きていくためにコントロールをつけられませんが、感情は大脳皮質が絡んでくるのでコントロールをつけられるのだと思います。人間には理性とかいうコントローラーがありますから。
スジニ役のジアさんがタムドクとの別れのシーンを撮影する時、涙が止められなくてどうしようもなかったとおっしゃっていました。感情の高ぶりが大きく、大脳辺縁系を刺激し、自律神経が興奮し、情動反応の収拾がつけられなかったということでしょうか。
ヨンジュンさんが『四月の雪』の時、感情を外に出さない演技が難しかったとおっしゃいました。感情を素直に出す方がたぶん楽なんでしょうね。感情をコントロールしないとその結果である情動反応は素直に表現されてしまうのですもの。

もちろん、感情がおきることがなければ情動反応は単に生物的な反応でしかなくなり、大脳の発達した人間としては貧しくなってしまいます。


「泣きたい」と思う最近の人たちは、感情の揺れからくる身体変化の感覚を楽しんでいるのではないでしょうか。泣きは、緊張した身体を緩めようとするの神経の動きが感情とともに一瞬に起きる変化の結果であると私は考えます。
いつも一定で幅のない感情でいるのはつまらないと思います。一定という意味ではいつも楽しいとかいつも喜びだけ感じていても同じです。快と不快は両者が繰り返されるから感じるもので、それに自律神経という身体の感覚も加わる泣きは、心と体が同時に不快から快に移動するとても気持ちのいい感覚なんだと思います。
ただ、これも連日繰り返していたら慣れちゃうかも??


あるテレビ番組で“泣く”ことを「ストレス発散」という言葉で片付けてしまっていましたが、それは安易すぎます。「ストレス発散」するとはどういうことなんでしょう。ストレスとは発散するもの?
これはまた別の機会に考えることにします。





とても長い文章になってしまいました。本を読んでも感情と身体の関係は良く理解できませんでした。本を読んでいるとなるほどということはあるのですが、いざ自分の言葉にしようとするとチンプンカンプンです。なので今回は私の頭の整理のブログみたいになりました。

タイトル下の写真は堀の石垣にはまり込んで休んでいる鳩たちです。彼らにも生きていくための情動反応はあるでしょう。感情についてはわかりません。あったとしてもその表現は人間には理解不能です。

能面は見る角度で表情が違って、多彩な感情を表現できるのだとか。私にはわかりませんけど・・・。

落ち葉と花は先日の紅葉と同じ時に撮影したものです。季節の変化があるからワクワクします。左の黄色の花の名前はわかりません。ニガナかなと思ったけど、ちょっと違うかな。右はホトトギス。花言葉は「秘めた意志」または「永遠にあなたのもの」だとか。木々の下にひっそりと咲いていました。


2008/10/27 01:09
テーマ:仕事 カテゴリ:趣味・特技(その他)

萩落花

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いつも人手が足りない私たちの職場です。看護師はベッド数に見合った人数がいなければなりません。つまり、看護師がいなければベッド数は減らさないといけないんです。医療現場では小児科医とか救急医とか麻酔科医とか産婦人科医とかが不足していると言われていますが、実は看護師も不足しているんです。

看護師の国家資格をもっていながら働いていない人はとても多いようです。多くは子育てとの両立の難しさからやめてしまった方なのかもしれませんが、最近は結婚していなくても、子供がいなくてもやめていきます。
さらに、資格があるのに一度も働かない看護師もいるようです。

先日、大学の教員と立ち話をする機会がありました。その先生によると、看護に興味があって看護学部に入ってくるのではない若者が増えているとか。親に言われてとりあえず入学する方も多いようです。まあ、私だって他に行くところがなくて専門学校を受験したんだから、似たようなものなんですけど・・・。

できるだけ多くの方に働いてもらおうと、労働条件がいろいろになりました。同じ正規雇用でも労働時間が人それぞれだったり、夜勤の回数が違ったりと、その人の生活に合わせて働いてもらうということです。ワークライフバランスとかいうのだそうです。それでも働き手がないのが現状です。



医療現場を題材にしたドラマが増えているように思います。それは社会で医師不足や医療事故などの問題があるからでしょうか。とくに救急とか終末期とかが取り上げられているように思います。

その影響なのだと思いますが、大学生がERやICUを実習場所や就職時の希望部署に選択することが多くなりました。生命に直結するため恐い仕事のはずなのですが、何が学生をひきつけるのでしょう。もしかしたら華やかでかっこいいイメージをドラマが作り出しているのかもしれません。
(゚-゚;)ウーン、それは間違いです。
人が生きていくために必要な毎日の営みをコツコツと手助けし、患者や家族の苦しい感情を受けいれることが主な仕事なので、結構地味だと思います。

  

フジテレビの『風のガーデン』を毎週見ています。主人公“白鳥貞美”は麻酔科医です。一般にはなじみの少ない科ですが、私たちにとってはもっとも身近な医師です。相談したり、手伝っていただいたりと毎日一緒に仕事をしています。表舞台に立つ各診療科の主治医を支えるやはり地味なイメージがあるかもしれませんね。実際は“貞美”のように手術室、救急、ICUと颯爽と仕事をしていてカッコイイ(?)。まあ、あのような容姿だったら(。_・)
そういえば中井貴一さんは終末期患者を演じるために撮影中体重を9Kg落としたのだそうですね。すごいわあ。

このドラマに私が惹かれたのは、登場人物の年齢設定や環境が自分に近いものがあったこと、北海道の花やガーデンの美しさ、素敵な花言葉、音楽を奏でる風景、風に揺れるカーテンなど好きな映像がたくさんあるからです。ドラマ上の季節はまだ春から夏になったところですが、貞美の病状進行と共に秋へと移っていくのでしょうね。

  


ところで、「ワーキングプア」「格差社会」「ネットカフェ難民」とかいう言葉が社会で頻繁に登場するようになりました。企業の人件費削減が派遣という人々を増加させたからなのでしょうか。個人が努力してもそれに見合った収入が得られない社会構造になってしまったとか。その原因のひとつが成果主義であるとどこかで読みました。
以前の日本なら、成果があがらなくても努力に支払われる賃金があり、生活をすることができたようです。ところが現在は働いても働いても生活保護水準以下の収入しか得られない労働者があるということです。それは単に生活の貧富差だけでなく、子供の教育格差にも繋がっているのだそうですね。


何か不思議な気がします。私の周りでは正規雇用をやめていく人が年々増えているのに、社会は正規雇用してもらえない人がたくさんいて問題になっているんですもの。人手不足の現実があるのに雇用がない?


私は時間外の多さや責任の重さ、仕事内容が嫌で今の現場から逃げ出したいと思うことがあります。ここをやめても正規雇用の口はまだまだあるだろうし、少しくらい給料が下がっても自分の労働条件に適うところはあるだろうと甘い考えをもっています。だからといって、今まだ辞める勇気はありませんけど。何かが後押し、または引っ張ってくれれば行動しちゃうかもしれませんねー。

   




私の住むところも秋が深まってきました。今年は通勤途中に見る欅や桜の葉の色づきがとてもいいんです。紅葉は年によって当たり外れがありますが、今年はきっと当たりでしょう。山に行きたいです。なんて、来週那須の友のところに遊びに行ってきます!楽しみだわ~~~。


タイトル下はまた萩の花です。まだ咲いていたんですよ。でも、同じ場所からアングルを右に振るとこの下のような風景です。風が落ち葉を舞わせたのでそれを撮ってみましたが、動いている葉はうまく写りませんでした。

  


2008/10/08 12:03
テーマ:歳月 カテゴリ:趣味・特技(その他)

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もう25年も前の話です。私は看護専門学校に通うかわいい(?)学生でした。

学校の授業には病院の医師によるものがいくつかありました。しかし、臨床で働く医師たちは忙しく、休講が時々ありました。授業がなくなるというのは学生にとってうれしいことです。

私には待ち焦がれていた医師の授業がありました。その医師の授業は2回に1回は休講になっていましたので、授業前の休み時間になると教室の窓から校門を眺めて、今日はいらっしゃるかと車の出入りを見ていたものです。
病理医でした。顕微鏡で細胞を覗いて診断をする方です。
容姿がかっこよいわけでなく、当時36歳でしたから、学生の私からみるとかなりおじさん(大人)でした。なのになぜ、その方に憧れたのか・・・今でもよくわかりません。ただ会いたかった、話をしたかったのです。


結局、その医師の授業は予定の半分ほどで終了になってしまいました。私は一大決心をし、友を誘って病院まで医師を訪ねて行きました。授業中に「訪ねて来てもいい」とおっしゃったその言葉を信じて!
連絡をせず勢いで出かけてしまいました。
実習をほとんどしていないころのことで、どこに行けばいいのかもわかりません。とりあえず病院の玄関でここに来た理由を話すと、総務に行くように言われ、またそこで説明して・・・。
しばし待っていると、事務の方が病理検査科の場所を案内してくれました。

恐る恐る入ると医師は顕微鏡を覗いていた顔をこちらに向けてくれました。でも、忙しそう・・・。今考えると無謀な学生でしたね。病理医は手術中の迅速診断をしていたと思います。その診断によっては手術中の患者の術式さえかえてしまう仕事です。


私は会いたかった人を目の前にして、何を話していいやらわかりませんでした。部屋の椅子でしばらく座ることになった私たち。
部屋を見渡すとたくさんの本がありました。診断に必要な難しそうなものばかりでしたが、そうでもないものもちらほら。その中の一冊を手にとって見ていると・・・
「もう、整理しなくてはいけないからあげるよ。」と言ってくれました。

医師はアフリカに行くつもりであることを話してくれました。実現までようやくこぎつけた彼の夢のようでした。野口英世かシュバイツァーか。早く行きたいのだが、後継者がなかなか決まらずに行けないとか。



その医師が病院を去って2ヶ月ほど経ったある日、私の二十歳の誕生日のことです。私と友は新しい病理医の元を訪ねていました。その時、医師に電話がはいりました。
アフリカであの医師が亡くなったと。うそ!
マラリアに罹患したとのことでした。病理解剖をしたら脳まで原虫が入っていたとか。
ようやく行けることができたのになんてことでしょう。あわてて出かけて予防接種をしなかったのでしょうか。わかりません。


先生にもらった本が形見のようになってしまいました。

デズモンド・モリス著(石川弘義訳)の『ふれあい―愛のコミュニケーション』という本です。
タッチングの大切さについて書かれています。人は誰かに触れてもらいたい動物のようです。

D・モリスは動物の行動学を研究した方で、「裸のサル」という本が有名だそうです。


本をいただく時、先生にサインをお願いしました。そうしたら、表紙裏に左のような言葉を書いてくれました。

当時の先生の年齢を超えた今の私ですが、まだ意味がわかりません。

    ひとにさわられることと
    ひとからさらわられることとのあいだで
    ひとは自分を「愛」にもって行くこと。
    自分に「愛」がないのではなくて
    「愛」に居て、自分をひとの中の「愛」にもって行くこと。


人は誰かにふれられることやふれることを求めているそうです。
触れることは人間のコミュニケーション手段で、親密度によって触れ方がちがってくるようです。
また、触れられることは成長にかかせせず、心身の癒しにもなるようです。もし、触れられる機会のない場合、代替としてリフレクソロジーとか美容院とかタッチのプロにふれてもらうこともあるようです。(よく読み込んでいないのでうまく説明ができません。)

私の仕事は病気の人にたくさん触れる仕事です。きっと先生の言葉には看護師になろうとしていた私へのメッセージが入っているのだと思います。いつか解けるでしょうか。。。



タイトル下の写真は生まれたばかりの姪の手です。いろんな人に触れてもらって大きくなりました。お姉ちゃんになった彼女は弟の手を引いてあげられるようになりました。



突然昔のことを思い出したのは、さだまさしさんの♪風に立つライオン♪を久しぶりに聴いたからです。

http://www.youtube.com/watch?v=VyaWPCojkpk

この歌は宮崎の外科医・柴田紘一郎氏の実話から作られたそうです。機器に囲まれてバタバタと仕事をしていると、時々自分の足元がわからなくなることがあります。これを聴いてまたがんばろうと思いました。


2008/10/04 21:52
テーマ:自宅 カテゴリ:趣味・特技(その他)

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   君待つと 
   我が恋ひ居れば 
   我がやどの 
   簾動かし 
   秋の風吹く          
                額田王

                  万葉集 巻四・四八八

恋する女性の秋の歌ですね。
千年以上も前の出来事なのに、想像するとちょっとドキドキします。
先日、NHKの「日めくり万葉集」でこの歌が紹介されました。
紹介者である俵万智氏はこんな素敵なお話をしてくれました。

この情景は女性のいるところで秋の風が吹いたというそれだけのこと。ただ、その女性が恋をしていて、しかも歌詠みであったがために、千年後の私たちにも届く景色になった・・・

秋風が簾を揺らすことはあたりまえのことなのに、三十一文字の言葉に切り取られると、なんと素敵な物語になるのでしょう。

この歌は額田王が天智天皇を想って詠んだとされています。
「あなたを恋しく想いながら待っていたら、私の家の簾が動いた。訪れたのは秋の風。」

額田王ははじめ大海人皇子(のちの天武天皇)の妻として十市皇女をもうけました。でも、後に天智の恋人になります。
あの有名な「茜さす・・・・」とその返歌「紫の・・・・」だけを考えると、大海人と額田は別れたあともずっと惹かれあっていたのかなと思ってしまいます。
でも、この「君待つと・・・」は額田が天智を恋しく待つ女性であることを伝えています。額田の心はどんな変化をしたのかしら?なぜこのような恋をすることになったのかしら?静かな大人の恋愛かなあ・・・なんて想像しています。

    

日に日に涼しくなる秋は寂しさをおぼえて人恋しくなる季節なんでしょうか。知人のメールに「秋だから落込んでいます」とあったんです。
秋だから・・・誰かと一緒にいたくなる、誰かとおしゃべりしたくなる、誰かとお酒を飲みたくなる、誰かとどこかに行きたくなる、誰かのぬくもりを感じたくなるのでしょうか。
四季のある国で生きているのですから、その自然の変化に影響されて心身も反応するんですね。


これもNHKの番組なのですが、「Cool Japan~発掘!かっこいい日本」で日本人の写真好きを取り上げました。番組の終わりの方で、風景写真に情熱をかけるアマチュアカメラマンを紹介していました。
歴史的な言い伝えも何もない単なる木の美しい一瞬を撮影したくて通いつめている人たち。coolかどうかは別として、外国の方は「風景写真は彼らの自己表現で、日本人と自然の結びつきを感じる」ということでした。
またコメンテーターは、日本には大きなものをスパッと切り取って小さく表現する文化(俳句、茶道など)があるのではないかと言ってました。二度と来ない瞬間を大事に表現することで時間とか自然とかの大きさを知るということかなと思いました。
う~ん、coolだ!






今日の写真は簾です。
私の部屋は西日の当たる部屋なので、室内が日焼けして色が変わることが嫌な母によって、窓に掛簾がつけられました。外掛けです。
実は内側にちゃんとカーテンはあるんですよ。しかも、レースと二重で・・・。簾がつくことによって窓はなんと三重に光がさえぎられることになったわけです。

そんな簾とレースカーテンがつくる影がなんだか気になっていました。きれいだと思っていたんです。簾はレースカーテンより厚いけど、隙間が大きいので濃淡によるはっきりした影、レースカーテンは細い糸なので全体がぼんやりした影ですね。

下の二つは簾による影です。

    

真ん中の写真はレースのカーテンが風で揺れた瞬間です。白くぼやっと写っているのがカーテンということになります。簾で風を感じるのは無理でした(^o^)ゞ



恋しい人は遠くて・・・


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