『太陽を抱く月』第1話(2)
それはそれは 月のように輝く可愛い女の子だった。
その娘を愛おしそうに胸に抱きながら 貞敬夫人は言った。
「本当に月のように可愛いわ。ヨム。あなたも妹が可愛い?」
ヨムと呼ばれた幼い子も それはそれは可愛い男の子だった。
ヨムは生まれたばかりの妹の顔を覗き込んで 微笑んで言った。
「はい。とても可愛いです。」
貞敬夫人は満足そうに娘を見つめて、幸せそうに言うのだった。
「赤ちゃん。あなたは煙雨(ヨヌ)。許煙雨(ホ・ヨヌ)よ。
父上が明の国へ行かれる前に名前をつけてくれたの。気に入った?」
ヨヌと名付けられたその子は 母親の問いかけに可愛い笑顔を見せた。
夫人もヨムも そのあまりにも可愛い笑顔に
またまた頬が緩むのだった。
そのヨヌと呼ばれた娘こそ アリが行く末を心配し、
ノギョンに守るように頼んでいた女の子だとは
貞敬夫人も誰も 知る由もなかった。
ヨヌの生まれた晩。
ノギョンは こっそりアリの墓参りをしていた。
八つ裂きにされたアリの体を集めて 墓に葬ったのはノギョンだった。
突然、アリの最後の言葉が響いた。
「私の代わりに 守って欲しい子がいるの。」
ノギョンは途方に暮れながらふと天を仰ぐと 満月が輝いていた。
”月のような女の子よ。”アリがそう囁いた気がした。
それから年月は流れ・・・
宮殿では放榜礼のために 大勢の者が準備に忙しく働いていた。
放榜礼とは 科挙の合格者が
国王から褒美を受ける華々しい儀式である。
そんな中「ここにあった赤い傘と椅子はどこへいったんだ?」
といぶかしげな声がした。
「大変です!!お菓子がなくなりました!!」
慌てる女官の声もする。
「ここにあった油紙はどこだ?」
なにやら 式典で使われる様々な物が
いくつか消えてなくなっているようだ。
嫌、消えていたのは物だけではなく・・・
実は国王成祖の次男、王世子のイ・フォンも消えていた。
いつものように 内官のヒョンソンが
「邸下。昼の講義の時間でございます。」と言うが
世子の部屋の外から合図するが応答がない。
「遅れていますので 急いでお召し物を・・・」と言いかけて、
ヒョンソンは嫌な予感がした。
もしや、また悪い癖が!!そう思って
フォンの部屋を覗いてみれば そこはもぬけの殻だった。
式典用の傘や椅子、菓子などを盗み出したのは
悪戯好きの王世子、フォンだった。
フォンはこっそり使われていない宮殿の部屋に隠れて、
世子の衣装を脱ぎ捨て、翼善冠も頭から外し
頭巾を被って平服に着替えた。
そして油紙に書かれた宮殿の地図を広げた。
そして隠月廊を確認すると、
まとめてあった荷物を 鞄に詰めて背負い
フフッと微笑むフォン。
その明るい微笑みは まるで太陽のように眩しかった。
一方、宮殿の外では
輿に揺られて到着した高貴な夫人とその娘がいた。
貞敬夫人と娘のヨヌだった。
ヨヌは宮殿に到着したのも気が付かず、
輿の中で本を読みふけっていて なかなか出て来なかった。
「本を読んで酔わないの?急ぎなさい。ヨムの晴れ姿を見逃すわ。」
ヨヌを促し、輿から手を引いて連れ出す貞敬夫人。
夫人は月のように輝くほど美しい娘を たいそう可愛がっていた。
そして娘と同じく美しいその兄、ヨムもまた、
夫人にとっては愛する自慢の息子だった。
今日はそのヨムが 放榜礼で科挙の首席合格として
国王から直々に褒美をいただくことになっていた。
科挙・大比科には文科と武科に分かれており、
文科では学問を武科では武術を習う。
文科の首席合格者が許炎(ホ・ヨム)が、ヨヌの兄。
武科の主席合格者は金題雲(キム・ジュウン)という
これまた美しい好青年だった。
賢く優しく美しいヨムと凛々しく美しいジュウンは同じ歳で、
この美しい若者が並んで座る姿は 誰もが見とれてしまうほどだった。
そして、国王が主催のこの式典には臣下たちも勿論、列席した。
ユン大妃の命でウィソン君の暗殺を成功させたユン・デヒョンは
大妃の後ろ盾で”史曹判書”という高い位について、
下品な顔に似合わない高貴な衣装で参加していた。
その横で上品な穏やかな顔で列席しているのが
ヨムとヨヌの父、”弘文館 大堤学”のホ・ヨンジュだった。
学問を積み、知識が豊富で誰にも公平で、
穏やかなヨンジュは 君主、成祖の絶大な信頼を得ていた。
デヒョンは内心面白くなかった。
ホ・ヨンジュの息子が主席となれば 彼の株がまた上がる。
成祖が益々ヨンジュを大切にするのではないかと懸念したからだ。
中身がなく、ただ大妃の後ろ盾だけで出世した
野心だけは大きなデヒョンにとって
ヨンジュは大きな大きな壁だった。
式典の準備が整い、王のお出ましとなる寸前に
母の貞敬夫人に連れられて走って会場入りしたのはヨヌだった。
式典が始まる直前に ヨムは横に並んだ武科主席のジュウンを見た。
ジュウンもヨムと目が合って、二人は笑顔で軽く会釈を交わした。
この二人は同じ師(ヨンジュ)に学んだ学友で、
実はとても親しい仲だった。
お互いにそれぞれ 主席で合格できたことを喜びあっていたのだ。
母はヨムを見つけて 嬉しそうに
「あそこにヨムがいるわ。」とヨヌに小声でささやく。
ヨヌも すました顔の兄を見つけて嬉しそうに微笑んだ。
ヨヌにとって、ヨムは大好きな自慢の兄だった。
そして、この二人は互いを尊敬しあう 本当に仲の良い兄妹だった。
「息子には負けるけど ウンもいい顔をしてるわね。」 貞敬夫人が言う。
「ウンて誰?」とヨヌが聞く。母は「あなたは初めて見るわね。」と言って
「あっちに座っているのがウンよ。
ヤンミョン君と一緒に父上の下で学んだの。
2人ともヨムとは大の仲良しよ。」と言って説明する。
「文武科の首席合格者が父上の教え子だから 盛大にお祝いしましょう。」
そう言う母の横で「また倉がからっぽになりますね。」横でヨヌが笑った。
それには母もつられて 声を出して笑うのだった。
その笑い声が届いたのか、ヨムが気が付いて 2人に微笑んだ。
美しい3人親子の微笑む姿は
式典の参列者の中で際立って輝いている。
内官のヒョンソンは 世子のフォンの姿が消えてしまったことに
大慌てで宮殿を探し回っていた。
ヒョンソンは警備の禁軍兵士たちに命令する。
「昼食を下げたばかりだ。まだ宮中にいらっしゃる!
殿下のお耳に入ったら 我々は厳罰を免れないぞ!
早く探すのだ!!」
ヒョンソンは生きた心地がしなっかった。
そこへ「殿下のおなり!!」と 宮殿中に大声が響いた。
「ひれ伏せ!」と命じる声がして 国王成祖が輿に乗って登場した。
放榜礼の参列者は みな地面にひれ伏して君主の成祖を迎えた。
優美な雅楽が響く中、「敬意を表して礼を尽くせ!」と声がして
成祖は玉座へ堂々と向かう。参列者は深々とお辞儀をした。
ヨヌも礼儀正しく地面にひれ伏して、お辞儀をしている。
しかし、そのヨヌの頭上を可愛い黄色の蝶が飛んでくる。
その蝶はまるでヨヌに「こっちよ!」と誘うように
ヨヌの周りでヒラヒラ揺れた。
ヨヌはその蝶が気になって仕方がない。
突然、蝶は空に舞い上がり 「こっちよ!」と飛んで行った。
隠月廊の塀から宮中から出ようとしている世子フォン。
隠れていた隠月廊の扉を開け、外を覗くと誰もいない。
しめしめと外へ出れば 太陽がまぶしい。
「日焼けはいかん!」とつぶやいたフォンは
盗んで用意していた真っ赤な傘を広げた。
そして満足そうに 堂々と隠月廊の庭を歩いた。
その頃、科挙の入学の式典では
主席合格者の表彰が発表されていた。
「文科 首席合格者 ホ・ヨム!
武科 首席合格者 キム・ジュウン!前に出よ!!」
成祖は微笑んで 美しい2人の青年を見つめていた。
それから成績の順に合格者が呼ばれる中、国王の前で
自分の息子と教え子の名前が真っ先に呼ばれたヨンジュは
今日ほど嬉しく晴れがましいことはないと思っていた。
そのヨンジュを妬ましく見つめているのは デヒョンだった。
デヒョンには息子はいなかった。
いたとしても、ヨムのような優秀な息子であるはずもなかった。
しかし、野心家で強欲なデヒョンは
ヨンジュが成祖に気に入られていることが面白くない。
私利私欲をただ肥やしたい一心で 出世がしたいデヒョンと
正しく清く生きて 多くの民に幸せをもたらす世にしたいと
息子や教え子たちに 世のために働いてほしいと心から願い
君主に仕えるヨンジュとは 天と地ほどの差があったのだ。
そして華やかな入学の式典は順調に進む中、
貞敬夫人は夫のヨンジュが
息子を目を細めて見つめているのに気が付いた。
「父上を見てごらんなさい。嬉しそうだわ。
ほら、口角が下がっている。
あれは 嬉しさを我慢している時の顔よ!」
娘のヨヌにそうささやく貞敬夫人だったが、ヨヌの反応がない。
あら?と思って隣のヨヌを見ると 姿が見えない。
ヨヌはどこへ行ってしまった?
貞敬夫人は 急に青ざめるのだった。
母の隣で式典を見学していたはずのヨヌは
黄色い蝶に導かれて 宮中を一人で歩いていた。
なぜ、こんなに何もかも忘れて蝶を追いかけたのか
後から思い返しても ヨヌには答えが出なかった。
"ただ、蝶が自分を誘ったのだ。
あのお方との縁を結ばせるために・・・。"
ヨヌは美しい微笑みを浮かべながら
可愛い黄色の蝶を追いかけた。
蝶は 隠月廊へ向かって飛び続けた。
隠月廊では フォンが塀に梯子をかけて
宮殿を脱出するところだった。
片手で赤い傘を持ちながら 慎重に梯子を上るフォン。
一番上までようやく上ると 塀の外の景色が見えた。
ようし!!と思って 塀を乗り越えようとした時
突然、隠月廊の庭の木戸が開く音がした。
ギョッ!!と思って 振り向けば そこに現れたのは
フォンが予想したヒョンソンや兵士の姿ではなく
そう。それは 式典を抜け出したヨヌだったのだ。
その美しさ、可愛らしさといったら言葉にならないほどだ。
フォンは ヨヌに思わず見とれて 釘づけになった。
ヨヌはフォンがいることなど知らずに 蝶に夢中だった。
蝶は隠月廊の庭をヒラヒラ舞って、塀の外へ飛んで行った。
ああ行ってしまった!と思ってふと我に返ったヨヌは
塀を乗り越えようとしているフォンの姿に気が付いた。
ヨヌとフォンが目が合って、しばらく互いに見つめ合った。
ヨヌの驚いた顔もまた、フォンには可愛く見えた。
しかし、脱出するはずだったことを思い出したフォンが
マズイ!!と思った瞬間に 体制を崩して梯子の上から
ヨヌに向かって 真っ逆さまに落ちてしまった。
しかし、咄嗟に 運動神経の良いフォンはヨヌを庇って
自分の腕の中にヨヌを倒れこませた。
その時、フォンの持っていた赤い傘が 天から
花びらと共に 2人の上に舞い降りた。
傘は倒れて気を失った2人を隠すように
まるで相合傘のように フォンとヨヌを包んだ。
そして 優しい風が花びらと傘を吹き飛ばすと
2人は同時に目を覚まして 見つめ合った。
フォンもヨヌも 親兄妹以外に こんな近くで
異性と向かい合ったことはない。
2人の胸の鼓動は高鳴り、慌てて立ち上るフォンとヨヌ。
そしてお互いに また目を合わすと
すぐに反らして 恥ずかしそうに2人は下を向いた。
フォンは1つ咳払いをして 気持ちを落ち着かせてから
「見たところ 女官ではなさそうだが
どうやってここへ入った?」とヨヌに尋ねた。
ヨヌは即座に「そういう若君は なぜ塀を
乗り越えようとしていたのですか?」と聞き返した。
するとフォンは 怒って言った。
宮中には 自分に言い返す者など
国王の父以外にはいなかったからだ。
「生意気な!!質問は私がする。早く答えよ!
宮殿への無断侵入は大罪なのだぞ!!」
ヨヌはひるまずに答えた。
「私は文科に首席合格者した兄上の放榜礼に参りました。」
するとフォンは鼻で笑って「信じられるか!」と言った。
「信じないのは勝手ですが、
泥棒を見過ごすわけにはいきませんから!
今、禁軍を呼びます!」
ヨヌにそう言い返されて 慌てるフォン。
禁軍の元へ行こうとするヨヌの腕をつかんで
「禁軍とは何だ!泥棒だと?」とフォンはまた怒った。
しかしヨヌは フォンが地面に落とした鞄を
ほら!というように見た。
ヨヌはその鞄の中には盗品が入っていて
フォンを 宮殿を逃げ出す泥棒に違いないと思っていた。
「出口を探していたのだ。」とフォンが言い訳をした。
「私も兄上が文科に首席合格して・・・」と言いかけ
ヨヌがいぶかしげな顔をするのを見て
しまった!文科はヨヌの兄だったと思い出し
「武科に合格したから 放榜礼に出席を・・・」と言い直し
鞄を拾い上げると 中から盗んだ菓子などが転がってしまう。
ほら見たことか!とヨヌは フォンを睨んだ。
フォンは激しく動揺し「こ・・・これは だから その・・・」
言葉に詰まりながら「これは兄上が殿下から・・・」
と必死で フォンが誤魔化そうとする途中でヨヌは叫んだ。
「誰か~!!泥棒ですよ~~!!隠月廊に・・・」
隠月廊に泥棒がいると言おうとしたヨヌの口を
フォンは慌てて手でふさいだ。
ヨヌの声を聞きつけた禁軍の兵士たちが
「何者だ!」と言いながらやってくる。
絶体絶命!!のフォンだった。
フォンはヨヌを憎らしげに見ると
ヨヌの手を取って 隠月廊から逃げ出した。
フォンは決してヨヌの手を離さなかった。
どんどん宮殿の庭を走って 禁軍から逃げ出した。
禁軍からはるばる逃れて 遠くの庭までやってくると
フォンはヨヌの手を離して 怒って言った。
「お前のせいだ!お前がいなければ 走ることもなかった!」
ヨヌも怒った。「さっきから失礼ですね!」
フォンは「年下だから当然だろ!」と言い訳をした。
まさか、自分が世子だとは明かせない。
「年下だと断言できますか?若君のお年は?」
ヨヌも負けずに言い返す。頭の回転の良いフォンは
「お前の歳から2つ引いてみろ。」とヨヌに言った。
「では11歳ではありませんか!だから・・・」
ヨヌが言いかけると フォンは得意そうに
「ほらみろ!私のほうが2つ上だ!」と胸を張った。
ヨヌは悔しくてそっぽを向いて、フォンから離れようとした。
するとフォンは慌てて「待て!何処へ行く?」と
ヨヌの手をまた握って、捕まえた。ヨヌは怒ったまま
「先ほど話した禁軍に・・・」と言いかけると
フォンが遮って言う。「言ったではないか!私は泥棒でなく
武科に首席合格した兄・・・」と言かけると
今度は ヨヌが怒って遮る。
「口を開けば 人のせいにして嘘をつく!!
武科の首席合格者は兄の親しい友人で
弟はいないと聞きました!」そうヨヌは言い切った。
しかし本当はキム・ジュウンには 弟がいないなどということは
ヨヌは知らなかった。賢いヨヌはフォンが嘘をついていることを
確かめるために 自分もよく知らないジュウンのことを
そう言ってみせたのだが、これにフォンはまんまと引っかかった。
「そ・・・そうなのか?弟はいないって?」
おどおどして、ヨヌに聞き返す。
ヨヌはやっぱり フォンを嘘つきで泥棒だ!と思って
禁軍を呼ぼうと背を向けた。するとフォンは
またヨヌの手を握って「そうか!分かった!」と観念した。
「正直に話してやる。」そう言うと腰を下ろして話し出すフォン。
「今さら隠しても仕方ない。実は・・・兄上に会いたかったんだ。」
ヨヌは呆れて「また武科の首席合格者だと言うんですか?」と言う。
「いや。そうではない!」フォンは強く言い返すと
「私の兄上は 母親が違っても 誰よりも温かい人だ。
文武に長けていても 科挙を受けられない人だ。
国を支える人材だが、出世はできないんだ。
父上を敬っていても 父親の愛を受けられない。
大勢に愛されているが 大勢の前に出られない。
そして、そうするしかないのは 私のせいなんだ。
父親の目を恐れてか、兄上は私に会おうとしない。
だから、私が兄上に会おうとしたんだ。
これで分かったか?」
ヨヌはいつの間にか フォンの隣に座って
フォンの話に素直に耳を傾けていた。
ヨヌはフォンの話を理解して 優しく言うのだった。
「自分を責めないでください。」
フォンは驚いて「えっ?」と聞き返すと、ヨヌは言った。
「若君が嫡子であることも 兄上が庶子であることも
自分では決められません。
ですから 自分を咎めることではありません。」
ヨヌに今まで責められてばかりのフォンは
優しい言葉を急に ヨヌの口から聞いて戸惑った。
「さっきは口を開けば 人のせいにすると言って
叱ったではないか!」とフォンはヨヌに言う。
すると美しい顔で 透き通ったヨヌの声が横で響いた。
「君子は天を恨まず。人を咎めません。」
フォンは驚いた。「論語を読んだのか?」
「そして農夫は畑を咎めず。楽工も楽器を咎めません。
問題は自分にあり 相手にあるのではありません。
若君を大事にしてくれる温かい方なら
たぶん、弟を咎めないでしょう。
ですから、若君も自分や人を咎めないでください。」
ヨヌの言葉は フォンの心を温かく満たした。
しかも 理にかなった説明で フォンは納得できた。
今まで思い悩んでいたことが 明るく吹き飛んだ気がしたのだ。
ヨヌは話を続けた。
「それに嫡子庶子の問題は 殿下が解決すべきです。
人材が埋もれ 兄弟が疎遠になる制度は
正す必要がありませんか?
朝鮮の法は理解できないものが多いです。
同じ人間なのに 貴賤があるのもそうですし・・・
父上がよく女が書物を読むのは
法に反すると言いますが・・・」
フォンは 自分より年下の女の子なのに論語まで勉強し
ましてや国政まで論じられるような
ヨヌのような 聡明な女性に出会ったのは
生まれて初めてだった。
フォンは 口をポカンと開けてヨヌを見ていた。
それに気がついたヨヌが あっ!と口を手で押さえた。
女だてらに殿下や政治を批判してしまったのだ。
ヨヌは困った顔をした。フォンはそれを見ると呆れた顔で
「つまり・・・殿下の政治が間違っていると言いたいのか?」
とヨヌがあまりにも可愛いので からかった。
すると、ヨヌは慌てて
「いいえ・・・そうではなくて。」と口ごもる。
困った顔のヨヌもまた それはそれは可愛かった。
フォンは立ち上がって、わざと意地悪そうに
「今度は私が禁軍に行かねばならないな。」と言った。
ヨヌはフォンの腕をつかんで
「お待ちください!」と懇願した。
「では どうすればいいかな?」と面白そうにヨヌを見るフォン。
「あの・・・今日言ったことは 聞かなかったことに。」
と言うヨヌに フォンは笑って
「では 私が泥棒でないことも分かったか?」と言った。
しかしヨヌは「いいえ。」と言う。
「何でだ?何が問題だ?」と驚くフォンに ヨヌは言った。
「さっきの荷物はどこから持ってきたのですか?」
するとフォンは「私の物だ!すべて私の物だ。分かったか?」
と言うのだが ヨヌは納得しなかった。
「あれはすべて高価で珍しい物でした。
若様が持てる物ではありません。」
ヨヌにそう言われて フォンは怒りだす。
「大目に見てやったら 調子に乗って!
私を馬鹿にしているのか?私は我が国の・・・」
世子と言おうとして フォンはためらった。
王世子たるものが 塀を乗り越えて
宮殿を抜け出そうとしたなどと知られては
マズイと思い直したからだ。それで結局、仕方なく
「私は我が国の・・・内侍だ。」
と 言ってしまったフォンだった。
その頃、宮中では 放榜礼の儀式が滞りなく済み
いなくなった娘のヨヌを心配した貞敬夫人が
泣きそうな顔で禁軍の兵士に訴えていた。
「いなくなってから2時間は経つ。
奥には行ってないから 宮中にいるに違いない。
何としても見つけてちょうだい!」
そう言う夫人の目の先に 突如・・・
ヨヌが男の子と並んで歩いて来る姿が飛び込んでくる。
ヨヌは内侍だというフォンに
「教えてください。高価な物が買えるほど
禄が高いのですか?」と質問して歩いていた。
貞敬夫人は安堵して ヨヌの方へ走って叫ぶ。
「ヨヌ!」母の声がして気が付いたヨヌは
「母上!」と言って、自分も母の元へ急いで駆け寄った。
貞敬夫人はそれは嬉しそうに ヨヌに走り寄って
「どこにいたの?」とヨヌを胸にしっかりと抱きしめた。
貞敬夫人の後ろから走ってくる兵士に向かって
今度はフォンが駆け寄った。そしてお辞儀する兵士に
「黙っていろ!」と口を開かないように命令した。
「ずいぶん探したのよ!」心配していた貞敬夫人は
ヨヌが無事に戻ってきた嬉しさが勝って
ヨヌを叱るのではなく、優しい笑顔で娘を迎えた。
それだけ深くヨヌは母から愛されていたのだ。
フォンはそんなヨヌを横目にして 凄い形相で
「ひと言も話すな!絶対にだぞ!
口を開いたら処罰する!!」と兵士を脅した。
ヨヌは禁軍の兵士を見つけて「すみません!」と声をかけ
フォンのことを言いつけようとするのだが フォンは
「罪を認めて 禁軍に自白した!これでよいか?」と
ヨヌに確認する。まだいぶかしげな顔のヨヌ。
「ああ・・・盗んだ物はすべて隠月廊にあるから
今から一緒に行こう!」と兵士に言うと
困った顔で口をつぐんだ兵士を引きずって
フォンはヨヌから逃げるように去って行った。
それから ヨヌが母親と一緒に宮殿の門を出て
輿に乗って帰ろうとしていると 門の中から
一人の女官が慌てて走って来て、ヨヌを呼び止めた。
「これを渡してほしいと頼まれました。」
そう言って、女官は小さな包みをヨヌに差し出す。
ヨヌが驚いて「誰がですか?」尋ねると 女官は
「”隠月廊の若様”だとおっしゃいました。」と言う。
ヨヌはすぐにフォンのことだと気が付いて
「ああ、あの内官様ですね。
ところで何ですか?」と包みの中身を聞くヨヌ。
それは フォンがヨヌにしたためた手紙だった。
「話したいことは多いが 話せないのが辛く
考えるほど腹が立ち 悔しいと伝えろ!」
と言いながら書いた手紙には ナゾナゾが書かれていた。
「賢い子なら 意味が分かるだろう。」
そう言ったフォンの言葉を そのままヨヌに伝える女官。
「その他には?」と質問するヨヌに
「夜道に気をつけろと言え。」と言ったフォンの言葉を
伝言する女官に ヨヌは嬉しそうに微笑んで言った。
「心配してくれるなんて 悪い人ではないんですね。」
そしてヨヌは手を伸ばして フォンからの手紙を受け取る。
そして女官に微笑んでお辞儀をすると
ヨヌは楽しい思いをした宮殿から離れるのだった。
そう。ヨヌはフォンを世子とは夢にも思わずに
しかし、品の良い男の子を悪い泥棒とも思えずに
ただ思う存分、兄ではない男の子と
初めて言いたいことを言い合って
とても面白かった時間を過ごしたと・・・
この日の出来事は ヨヌの胸に深く刻まれたのだった。
つづく
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