淡い過去の記憶・・・
先日 次男の親友である例のチャヌ君が
お嫁さんを連れて遊びに来てくれた時・・・
2時間以上も食べたり お茶を飲んでいたので
途中で お嫁さんが我が家のトイレを使用した。
そして帰って来るなり 興奮して・・・
「トイレの中に ピエロがいっぱい~!!」
と笑顔で話していた♪
♪チャヌ夫婦からの可愛い内祝い♪
そうなの・・・実は 我が家のトイレには
小さなピエロが 沢山住み着いている(笑)
たとえば 窓辺はこんな感じ・・・ ↓
「なんでですか?」と聞かれた時
「ピエロが好きだから・・・」
と答えたんだけど・・・
はて・・・なんで 私はピエロが好きなんだろう??(笑)
ピエロというと日本では道化師とも言われるが・・・
実は”道化師”という言葉で 私は過去の情景が思い浮かぶ。
ピアノの前に座って 弾き語りをしている男性の姿だ。
ヤキモチ焼きの夫には 死ぬまで話すことはないであろう(笑)
19歳の頃の 淡い恋の記憶だ・・・。
19歳の頃・・・ああ 遠い昔・・・(爆)
当時 私にはjoonちゃんという親友がいた。
高校の頃から一緒で 同じ大学に上がった友人で
可愛くて ピアノも上手で・・・
彼女には 作曲の才能もあった。
そして クリスチャンだった彼女は
性格も良い 生きてる天使のような女の子だった。
その彼女が 恋をした。
同じ大学で 声楽科だった1学年上の先輩。
彼は 作詞作曲が出来て・・・
実は大学に入学する前から 音楽事務所に誘われるくらい
アマチュアのシンガーソングライターとして活躍していた人だった。
いつも一緒にいる私とjoonちゃんだったから
当然、私も毎日のように 彼と会ってお喋りをしていた。
そして・・・いつからか 私も彼のことを好きになっていた。
当然、joonちゃんには言えやしない。
そして そのうち彼がjoonちゃんと同じくらい
私にも気があることが なんとなく分かってしまった。
そう・・・彼はめちゃくちゃプレイボーイだった!!(笑)
joonちゃんにはしない電話を 私にはしてきたりした。
joonちゃんに内緒で 渋谷で待ち合わせて
雨の中 相合傘で歩いたこともあった・・・。
でも 私はjoonちゃんが大好きだったから 凄く辛かった。
だから私は 彼の前ではいつも”道化師”のように振る舞った。
「あなたのことは お兄ちゃんだと思ってる。」
そういつも 話していて・・・”女”にはならなかったのだ。
ある日 彼が大病をして 大学を離れた。
大学にいた彼の大勢の取り巻きも 姿を消した。
joonちゃんも なんとなく 彼との隙間を感じて
クリスチャンの道を深く歩み出して行った。
そんな中、しばらくして
私が彼にお見舞いの電話をすると
もう病気は治ったから 会いに来てと言われて
彼の家に誘われて ご両親と暮らす彼の家に
私は初めて 招かれたことがあった。
joonちゃんも 以前の取り巻きも・・・
誰も彼の実家には 招かれたことはなかったのに・・・。
その時に彼が 私に聞かせたい歌があるから・・・
そう言って 自宅のピアノで弾き語りをしてくれた
彼が作詞作曲をした その曲が「道化師」だった。
今 覚えているのは
サビのメロディーと歌詞だけ・・・。
道化師
本当は 悲しいくせに・・・
いつまで 笑って演じているの?
彼は それからすぐに 大学を辞めてしまい
前々から誘われていた音楽事務所から
プロとして シンガーソングライターとしてデビューする。
初のレコーディングも 見学させてくれたり
他の人のコンサートに 初めて新人ゲストで
ちょこっとだけの出演が決まった時も・・・
「チャコ。聞きに来て!!」と言ってくれた。
彼が実家から離れて 一人住まいした際、
彼に誘われて joonちゃんには またまた内緒で
一人で 遊びに行ったこともある。
だけど・・・考えてみれば・・・
私は joonちゃんのことが ずっと引っかかっていたから
彼の前では ずっと”道化師”のままだった。
昨日 忙しかったのが一区切りして
ふと 彼は今 どうしているかな? 元気なのかな?
と思ってしまった・・・。
で・・・インターネットで 検索してみたら
元気だった!!
もうシンガーソングライターはしていないが
彼は現在 作曲家、編曲家として活躍している。
そうなんだ・・・。
ちょっと嬉しくなった歌姫なのでした。
ねぇ君・・・
私も元気だよ!!(*^_^*)
あなたから 遠く離れたこの土地で
生徒や友人たちに囲まれて・・・
そして 何よりヨンジュンという
心の恋人に巡り合えて・・・
毎日 幸せに生きてるよ!!
あなたも 素敵な曲を沢山作って
これからもみんなに
幸せを届けてください・・・。
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