反省するということは・・・
今日は 夫の弟の月命日である。
その弟というのは 夫と10歳違いで生まれて
数時間しかこの世で生きられずに 亡くなってしまった。
医療の進んだ今なら 生きていられたであろう
未熟児で生まれた 可哀そうな弟だった。
だから新家で 仏壇が家になかった義父母は
この子のために仏壇を買い・・・
毎月 命日の13日には欠かさずに お寺さんに頼んで
お経をあげていただいていたのだった。
歌姫は その赤ちゃんで亡くなった弟の話は
結婚して今まで ほとんど詳しく
義父母の口から聞いたことがなかった。
”辛い話”であることは 分かっていたので
こちらから聞くようなこともしなかったし・・・。
しかしながら・・・
義父がこの5月に入院して 看病していた際に
義父の口から 初めてこの話を聞くことが出来た。
義父は言った。
「自分のせいで あの子を死なせてしまった。」と・・・。
「自分が商売に欲を出し過ぎたから あの子が死んだ。」
そう病床で 義父は語っていたのだった。
それは 新しい電化製品が出れば 何でもすぐに売れた時代。
その当時から 電気屋を営んでいた義父母が
商売繁盛、てんてこ舞いで・・・
義父は 身籠った義母を労わる余裕もなく
商売に励み過ぎたために 義母にも無理がたたって
お腹の子どもが育たずに 未熟児で流れてしまったことを
深く嘆き悲しんでいた内容だった。
「ほんまに奇麗な赤子だったのに・・・可哀そうなことをした。」
義父はそう言って 病院のベッドの上で嘆いていた。
「お父さんは 自分のせいで亡くなったって言ってたよ。」
この話を月命日の今日、義母に話したら驚いていた。
「私にはそんな話は せななんだ (しなかったという方言)」と義母。
「きっとお父さんは お母さんにも申し訳なかったって・・・
そう思って、ずっと生きて来たんだよ。」
そう私が言うと 義母の目が潤んだ。
きっと 義母は義母で ずっと自分を責めて生きてきたんだろう。
この義父の懺悔で 義母の心は救われたかもしれない。
この度のことで 仏壇が我が家にやって来たため
今日は 我が家に お寺の住職がやって来て
その弟のために お経を唱えていただいた。
人間って・・・生きてる間には 様々なことがあって
色々な失敗や成功を 繰り返して生きてゆくのだと思う。
そして 自分の本意でない失敗や失言・・・。
素直に謝れなかったこと・・・お礼を言えなかったこと。
振り返って見て ああ、あの時・・・。
そう思って、反省するのが人間だと思う。
そして反省できるということは 素晴らしいことだとも思うのだ。
反省できるからこそ 人間は死んだら仏様になれて
極楽浄土へ行けるのだ・・・
そう 今日、お寺の住職さんが 私におっしゃいました(笑)
ところで話は変わって・・・
ヨンジュンは アメリカで何をしてるのかな??
悲しみを癒して・・・元気に戻って来てほしいね!!
コメント作成するにはログインが必要になります。