帰ってきたカメラマンから・・・
昨日、干した布団を取り込んで、ブログをUPしてから
夕食の買い物に行こうと思ってたのだが・・・
PCを離れた途端に 頭痛と吐き気で
またまた倒れてしまった歌姫(;一_一)
原因は 極度の肩凝り・・・いつものことだ(笑)
姪や甥たちがいる間、年甲斐もなく一緒に遊び過ぎたのか
姪たちが去った後片付けで くたびれたのか・・・。
まぁ、姪たちがいなくなって 気が抜けたのが
一番の原因だって思うけど・・・寝込んじゃった(笑)
午後の3時前から 夫が帰る8時までずっと寝てた歌姫。
義母には電話で「今日は夕食作れない!」と言って
自分の自宅で食べてもらって、夫には帰る途中で
コンビニに寄って 好きなお弁当を買って来てもらって
歌姫は リビングのホットカーペットの上で
毛布を被って 寝てたのでした(>_<)
でもね・・・寝てる間に
BANAZOさんからメールがあってね・・・
横になりながら メールでお喋りしてた(笑)
実は メールをくれたBANAZOさんも 倒れてたの(>_<)
”現在病院通いとなったため
また時間のある時にお伺いいたします。”
というメールで始まった 私達の会話。
BANAZOさんが ここに掲載してもいいと言ってくれたので
私達の会話を 今日は紹介いたします。
”病院通い??凍傷が酷いの??
それとも疲れ過ぎて倒れた??”私が返信すると
”凍傷と疲れです。どっと疲れが。
さすが○○さん予想完璧。
張り詰めてる間は良かったんですが・・・”
とBANAZOさんの答え。
”頭痛や吐き気?熱も出たのかな??
凍傷もしっかり治してお大事に❤
実は 私も妹たちが一週間いて、昨日帰った後に
毛布やシーツを洗濯したり、布団干して仕舞いしてたら
頭痛が酷くて、今日の午後から倒れてる(笑)”と私。
BANAZOさんの返信。
”けだるさと動悸です。
ショックが大き過ぎてでしょう。
向こうでは 自分がやらねば誰がやる!と
必死に言い聞かせてました。
しかし、その緊張から解き放たれて
温かい所で寝ると安心してしまって・・・。
でもまた行きたい。自治体の動きは遅過ぎです。”
”動悸?そうなんだ・・・。めまいはしない??
よっぽど過酷な日々だったんだね・・・。
寒さも半端じゃなかったろうし・・・。
暖かくなったら、また頑張って行ったらいいよ。
それまでに、しっかり体力を養って・・・
仕事もしなくちゃね!!”と私。
”そうですね~・・・めまいはないです。
>よっぽど過酷な日々だったんだね・・・。
否定はしません。
香川の真冬で早朝はマイナス4度くらいでしょうか?
あの凍てつく寒さ。気仙沼はマイナス6度でした。
その中を外でテントに寝袋というのを
想像していただけると・・・。
普通に雪の中で寝てました。
また、子どもを抱いたお母さんが
瓦礫で傷だらけになりながら 亡くなっていました。
子どもを離すことがなかったのですね。素晴らしい。
尊い命は奪われたけど・・・
お母さんと一緒で
最後まで幸せな子どもだと思いました。
思い出すだけでも辛いです。
こんなことは 多分、話できないでしょう。
血を流している女子高生(これは生理です)や
70cmくらいの高さのトイレの壁で
用を足さなくてはならない人達。
たまりません!!
瓦礫に足を踏み入れると
マネキン?と思わせる足や腕。
地獄そのものです。
でも、力強く生きなくてはならない人達が
何万人といます。想像できません。
現地に行ったけど・・・
夢だったのかと思うのです。
涙も枯れずに いくらでも出て来ます。
ちょっとは 枯れたらいいのにって思います。
気仙沼で泣きながら起きたら
涙が凍ってました。
パキッて音を立てて落ちましたけど
それが人の命のような気がして・・・
また涙が溢れる毎日。
現地の子どもには 涙を見せずに
何とか最後まで乗り切ました。
死んだ方が幸せだったと 思わせない今後を
今から 作らなければいけませんね。
ではでは またお話に行きます。
4月10日以降になりそうです。
凍傷は軽傷なので 完治します。
ご心配おかけいたしました。
Photographic Artist BANAZO”
そして しばらくして
私のブログを読んでくれた BANAZOさんから
またメールがありました。
”ブログ読みました。
ありがとうございます。
また 温かなコメントの方々のメッセージも
嬉しい限りです。
まぁ戦場カメラマンはおいといて
今回の事を写真に収めて後々・・・
これが津波の恐ろしさだと
伝えることもできるでしょう。
でも私には 今回その役目じゃないと思いました。
テレビも入ってるし
新聞社もかなりの数入ってるでしょうから。
それなら まだ受け入れてない
ボランティアだと思ったんです。
私一人じゃ誰も助けられませんが
それでも 何かの力になれると
それだけで 嬉しかったので。
被災地を想像したら
やはり行くしか無かったのです。
ブログで紹介いただけて 読んでいただけて
共感していただけるのなら、
今回のも掲載してください。
ちなみに赤ちゃんを抱えた母親を見つけたのは
自衛隊でした。米軍も近くにいましたけど・・・
どっちだろ・・・。
思い出すと 胸が苦しくなるのでこの辺で。
ごめんなさい。
動悸が苦しくて・・・。
Photographic Artist BANAZO”
"こちらこそ・・・大変な思いをして
被災地で活動してくれて ありがとう❤
今は とにかく寝て!!!
では またね!!”
頭痛と吐き気に襲われながら・・・そう返事を返したものの
私は BANAZOさんのメールを読んで
たかが肩凝りで倒れている 自分が情けなくなりました。
そして BANAZOさんがその目に焼き付けた
被災地の地獄というものを
私達も 知らなければならない・・・
そうも思いました。
だって・・・それが真実なのだから・・・。
今日の内容は カテゴリー★ペ・ヨンジュンでは
とうていありませんが・・・
ヨンジュンにも知ってもらいたい
被災地での出来事です。
そして ヨンジュンが用意してくださった
医療車両が どんなに現地で必要とされる
貴重なものであったのか・・・。
改めて ここでヨンジュンにお礼を言わせてください。
ヨンジュン。
災害を逃れて 助かった命が
悲惨な避難所暮らしで 消えそうになるのを
救ってくださる あなたは天使なのです。
ありがとう!!ありがとう・・・ヨンジュン❤
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