鳳仙花が咲くまでに 1話 「彼女」
今週から「鳳仙花が咲くまでに」を毎土曜日連載いたします。
バーニーと運命の女性、操。劇団メンバーも健在です。
「いつか、あの光の中に」の第3シリーズ。感想など頂けると励みになります^^
― 昔、美しい女神が罪を犯したと疑いをかけられました。
やがてそれは意地悪な神様の悪戯と分かって、女神の疑いは
晴れましたが、女神はそんな自分が許せませんでした。
暫くして女神は・・1つの花になりました ―
ひと夏の幸せが、私を臆病にする。
彼の声を思い出す度、体が震える。
どうして私はここにいるのだろう。
心はあの坂の上に置いてきたのに。
ごめんなさい。
私はどうしても護りたかった。
あなたと、
あなたに愛された証しを・・
僕が彼女と初めて逢ったのは、
早朝の下北沢駅のキオスク前だった。
その朝。
僕はいつもの時間に起き、
劇団前から日課のジョギングに出掛けた。
早朝の下北の街は、前夜の芝居の余韻や学生達の合コンの
跡やらで、およそ爽やかな朝とは程遠い風景だ。
道端には芝居のチラシやら、飲み捨てた酎ハイの空き缶が
散乱しているし、最近では商店街の壁一面にカラースプレーの
らくがきが、所狭しと画かれている。
NYにいた頃から毎日自分に課していた日課。
その頃の僕は、走る事で、自分の体を苛める事で、
かろうじて精神を保っていたのかも知れない。
“もう踊れない”
医者に言われたその言葉は僕に絶望をもたらした。
働けないマムのために6才から働き、
いい成績を取って、奨学金も手にした。
その僕にとって踊る事は、マムの笑顔を得るための
唯一の手段だったのに。
激しい運動は無理だと決め付けた医者の鼻を明かすように、
僕は毎日走り続けた。例え、足首は動かなくとも。
どんなにフォームが可笑しかろうとも。
11才でマムが入院し、
1人、ポートランドのアパートで膝を抱えていた頃。
孤独に耐えながら、海の向こうの仁を想う日々。
恋しさを憎しみに変える事で、僕の体は動いていた。
仁と瞳が僕の心を開放してくれた時、僕は初めて心から笑えた。
そして舞が生まれた時、
初めて心から愛しい存在がある事を知った。
今の僕には、仲間と家族がいる。
かけがえのない存在の片割れがいる。
止まっていた時の針が再び動き出した時、
僕は本当の自分に戻っていた。
39歳になった今、
僕はやっと人間になれたような気がしていた。
その朝。
僕はいつものジョギングコースを走り終えた後、
仁の家に寄ろうと駅前のガードをくぐり、
南口商店街に入った。
一昨日から舞が熱を出し心配だったのと、3時間後に行われる
今年度の入団試験の事で仁に話があったからだ。
駅前のキオスクで、舞の好きなポカリと自分用のミネを買い、
走って3分のMIYUKIに向かおうと走り出した時、
その声が僕の足を止めた。
「キャー!!すみません!歩かないで。踏まないで!
止まって、止まって下さい~!!」
その破壊的な悲鳴に振り向き駅に戻ると、顔面蒼白で地面に
這いつくばる女性が、両手を大きく振り回して通行人を止めて
いた。
大袈裟なその行動の理由はすぐに想像がついた。
「 Contact lens?」
掌をパーに広げ、慎重に目を階段にくっ付けるようにして探り、
近くに人が通りかかると、
「ごめんなさい!下見てくださいね。そーっと通って~~!」と、
大声をあげている。
その間も目は階段に集中したままで、
時々「ああ~~!!もう~!!」と天を仰いだりしている。
まだ7時前だし、日曜日だった事もあって乗降客も少なく、
皆、彼女の必死の願いを聞き入れ、階段の端を静かに歩いて
いた。
気が動転していたからか、初め裸眼で探していた彼女は、
急に“ハッ”とした顔をしたかと思うと、巨大なバッグの中から
メガネを取り出し(今度はブラシやポーチが派手に散乱した)
やっとのことでそれを掛けると、また地面にしゃがみこんだ。
僕は何分そこで彼女を見ていたのか。
その一連の動作が、あまりにも可愛くて、面白くて・・
ただじっと見入ってしまっていたのだ。
僕が我に返ったのは、
僕の足元に霧吹きの様なボトルが転がってきたからだった。
「寝癖直し?プッ・・あの、これ、落としましたよ」
「あ、すみません。ありがとう・・・・・ね、あなた、暇なの?
誰だか知らないけど、そこに突っ立ってるんだったら手伝って。
この状況、見て分かるでしょ?
他の人にとっちゃ、たかがコンタクト1つかもしれないけど、
今日、あのレンズには間違いなく私の一生が掛かってるのよ」
彼女は僕の顔も見ずに、目は地面を追ったまま、僕に命令した。
「一生ですか?これは大きく出ましたね、それは大変だ。
どこから落としたんですか?僕、探し物得意です。
実は3年前にも大切だったもの、やっと見つけたんです。
31年ぶりだったんですよ。ちょっと凄いでしょう?」
「31年?無くしてからそんなに経ってから出てきたの?
それは見つけたのが凄いんじゃなくて、それまで探さなかったの
がいけなかったんじゃない?横着者の極みね」
「あ、そうか。そうですね。もっと早く探せばよかったんだ。
逢いたいなら、逢いに行けばよかったんだ・・
あは、気付くの遅いよね。
・・ところで、あの・・横着者ってどういう意味ですか?」
それから30分程、僕と彼女は下を向き、
手は地面を這いながら話していた。
初対面の、どう見ても10才は年下の女性に説教されながら。
驚くくらいに彼女の話題は豊富だった。
“まもなく始まるかもしれない消費税10%時代問題”
“地下深くに閉じ込められた作業員の安否と家族愛”
“田舎のお母さんが韓国の俳優に夢中!
去年だけで5回も渡韓!”
彼女は手を動かしながら、口も休む事なく喋り続けた。
「・・・ね、笑っちゃうでしょう?
父はPCをすっかり母に占領されて拗ねちゃって。
だって、あんなにお金掛けてスクール通って習ってた父より、
見よう見まねでいじってる母の方が断然使いこなしてるんだもの。
私なんてPCどころか機械と名がつく物、全部ダメなのに。
母を変えたのはね、、たった一人の韓国人俳優なの。
その人のドラマを、母は両手を組んで祈るようにして見ているの。
同じDVDを何回も何回も。時には涙でぐしゃぐしゃになって・・
そしてね、ネットで知り合ったお友達と意気揚々と遊びに行くの。
気持ちまで若返った母を見てたら私、何か感動しちゃったのよ。
母をそうさせたその人って凄い人だなって。
だって何万人もの人達を虜にしてるのよ?
役者ってこんな事も出来るんだなって。
国境なんか平気で越えちゃうんだなって。
・・ねぇ、そういえば、あなたどこの出身?東京じゃないわね。
私、芝居なんかやってるから訛りには敏感なの。
大体の出身県は分かるんだけど。そうだ、訛りっていうより・・
あなた。もしかして、日本人じゃないの?」
そこまで話して、彼女はやっと僕の顔を覗き込んだ。
上下のトレーニングウェアに黒のサングラス。
黒髪に黄色い肌は見た目には日本人に見えたはずだ。
ただ、サングラスを外せば、
僕の目が灰色なのが分かっただろうけど。
「ん~その質問、答えが難しいですね。
それに初対面の方に話すには、少し複雑かな。
・・あ!ありましたよ。これじゃないですか?」
その探し物は、階段下のキオスクの新聞立ての傍に落ちていた。
少しグリーンがかったそのレンズは
コンクリートの上で小さく光っていた。
「キャ~!!これよ、これ!!ありがとう。助かった~!
これがなかったら今日のオーディション、
受ける前から落ちたも同然だもの」
「Audition?ですか?」
「ええ。あ、下北の人なら知ってるわよね。
今日、“劇団宇宙(そら)”の試験なの。
こんな年で研究生試験なんてちょっと不安なんだけど、
やっぱり芝居が好きだから。実は私、芝居辞めようと思ってたの。
色々思い出したくない事があって・・でもね、従姉弟に叱られた。
お前にとって芝居はそんなに簡単に捨てられるものなのかって。
私、影山仁が好きで、舞台もDVDもこの2年、何本も何本も見て・・
ふふ、私も母と同じかも。“宇宙”に運命変えられちゃったのね。
私、もうすぐ30なの。だから決心したのよ。
本当にこれを最後の挑戦にしようと思って」
「そうですか、受かるといいですね。あそこは年齢制限なんか
してませんよ。本当に見つかってよかった。
それにあんな所に落ちてて踏まれなかったなんて奇跡ですね
きっといい事あります・・まだ2時間半あるね。
じゃ、Audition、がんばって」
「え?あ。お礼!」
「いいですよ。“暇”でしたから・・・・・すぐまた逢えるし」
「あ、あなた、どっかで」
「“宇宙”への道、分かりますか?このガードを超えて本多の前を
真っ直ぐ行ったら左です。途中急坂があってその突き当たり。
すぐ分かります。じゃ!」
僕はサングラスを外し、彼女に会釈をするとまた走り出した。
きっかり10秒後。
さっきの悲鳴に勝るとも劣らない大音量の彼女の声が背後から
聞こえると、僕は振り向かずに走りながら、大声で笑い出した。
「・・・くっくくく・・・ハハハハハ!!!」
彼女の悲鳴はまだ聞こえる。
「きゃ~~!!やだ!か、げ・・影山 仁??
やだ!!私、なんて事・・どうしょ~~!!」
「ククク・・・ハハハハハ」
玄関に入るなり思い出し笑いをする僕を、
瞳が怪訝そうな顔で出迎えた。
「おはよう。朝から何?バーニーが思い出し笑いなんて。
何か楽しそう。いい事でもあったの?」
「くっくっ・・ごめん。ちょっとね、仁の顔少し借りたんだ。
あいつ、スターだから」
「彼の顔?どういうこと?」
「ん、何でもない。ね、舞の熱下がった?ポカリ買ってきた。
仁は、まだ寝てるの?あ、そうか!昨夜例の舞台の」
「うん、顔合わせを兼ねてあちらのバレエ団の方と会食だったの。
このお話、光栄なお話だけど自分にはどうかって悩んでたでしょ?
返事を延ばしてたら、楠さんが直接彼に逢いにきてくださって。
“今回の役のイメージは影山さんなんです。この間ロンドンで一緒
に踊った時、もう僕の頭の中にはセンターで踊る影山さんが見え
ていた。あなたでなきゃ駄目なんだ。僕に任せてもらえませんか。
面白い舞台にしましょう”って。あの絢也さんにそこまで言われた
ら、お断りなんて出来ないじゃない?最後は私が返事しちゃった。
“分かりました。演らせていただきます!”って」
「ハハハ、さすが、瞳だ。今回絢也氏は、振り付けと総合演出なん
だろう?あの舞台に仁を選ぶなんて。あの人のセンス、凄いや。
只者じゃないよ。だって、瞳・・・“ボレロ”だよ!
まさか、仁に・・なんて考えもしないじゃないか。
仁のタップでボレロ。
しかも群舞は絢也氏率いる超一流バレエカンパニー。
あぁ、これは絶対稽古、見学させて貰わなきゃ」
「バーニーおじちゃん。おはよ!」
「あ、舞。おきてだいじょうぶ?おねつは?ん、こっちおいで」
まだ眠い目を擦りながら、起きて来た舞。
この世の中に、こんなに可愛い存在があったなんて
僕は今まで知らなかった。
仁と瞳の娘。
僕の、“姪”
瞳は僕が舞を甘やかしすぎるとよく怒るけれど、
生憎と僕は親じゃない。
無責任に可愛がることが出来るのが、叔父の特権だ。
(難しい日本語は木島代表の受け売り)
実際、家を空けがちな仁より僕の方に舞は懐いている・・
と思う。(思いたい)
それに驚いた事に、これを“隔世遺伝”というんだそうだが、
舞は死んだ僕たちのマムにとてもよく似ていた。
8分の1だけしかアメリカの血は入っていないのに、
僕たち兄弟よりその血は濃そうだった。
仁にその事を言うと、おぼろげにしかマムの顔を憶えてない
あいつは、複雑な顔をする。
「バーニーおじちゃん!まい、おねつさがったよ」
「よかったね。でもまだ静かにしてなきゃだめだよ」
「いいの~!バーニーおじちゃんとあしょぶの!」
「う~ん、おじちゃんね。今日はおしごとなんだ。
新しい劇団の人の試験なんだよ。今日は木島のおじちゃんが
いないから、僕が責任者だからね」
「しぇきにんしゃって、なに?」
「舞。今日だけバーニーおじちゃんは
“一番えらいひと”なんだ」
「あ、仁。起きたのか?
朝からごめん、ちょっと仁に話があって」
寝起きの仁が長い髪をかきあげながら、リビングに入ってきた。
上半身裸で白いスウェットを腰で穿き、大股で部屋を横切ると、
冷蔵庫から出したミネを僕に放り投げる。そして自分は、
2リットルボトルの烏龍茶の封を乱暴に切り、テーブルに浅く
腰掛けながら、大きなボトルごとゴクゴクと飲みだした。
・・つくづく絵になる男だと、自分の兄ながら思う。
こんな姿でさえ、仁の体からはオーラが漂っている。
「お前、責任者って立場が気になってるのか?
いいじゃないか、実際お前は劇団副代表だ。
木島はお前に任せるって言ったんだろう?ならお前の好きに
やればいいんだよ。いくら近いからって韓国から口出しできゃ
しないんだから」
「いいのかな、僕の判断で」
「これはこれは、“ice man”さんのセリフとは思えないね。
お前の判断はいつも冷静で間違いがない。ハッキリ言って木島
より信頼できるね。あいつ、時々女を自分の趣味だけで取るか
らな。伝説の劇評家、バーナード・シン・ワイズマンのオーディ
ションを受けられるなんざ、今年の奴らは運がいいのさ」
「ありがとう、仁。
ところでお前、今日のダンス審査大丈夫だろ?」
「おう!やりますよ~。だから早起きしたんだから。
飯、まだだろ?食ってけ。瞳!バーニーの分も頼むよ」
「は~い!もう舞がその気でいるわ。
ママのお手伝いしてくれるのよね?」
「はい。おじちゃん、じゅーすのんで。とまともたべてね」
「ハハ、まいったな・・」
「では、これより第18期“劇団宇宙”研究所入所試験を
開始いたします。受験者の皆さん、試験番号順にお並び下さい。
始めに劇団副代表、影山 信より挨拶がございます」
募集人数30人。受験者444人。
Auditionは始まった。
そして、僕は。
稽古場から溢れんばかりに並んだその群衆の中に、
朝の彼女の顔を見つけていた。
何百人もいるその空間で、
彼女のいるスペースだけ、不思議に僕には輝いて見えた。
コラージュ mike86
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