鳳仙花が咲くまでに 4話 「雨上がりの初デート」
土曜日の定期便。今回は4話です。
思いも寄らない展開で、MIYUKIを追い出されたバーニーと操。
2人の初めてのデートです。今回は殆ど2人の会話。どんな夜になるのでしょうか・・
今年の梅雨は、例年に無く雨が少ないらしい。
天気予報のキャスターはTVで毎日“空梅雨、空梅雨”と言って
いるけれど、僕には初め何の事だかよく分からなかった。
日常会話は、もうなんの問題もない。
最初はまず英語で考え、頭の中で軽く翻訳してから言葉にして
いたのも、今ではダイレクトで日本語が頭に入ってくる。
でも日々生活していく中でのこまごまとした決まり事や、
こういう日本語特有な表現に出くわすと、まだまだ理解が足り
ないのだと痛感する。
しかしそれは新鮮な発見の連続で、
その驚きまでが今の僕には愛しかった。
その空梅雨の中、昨日から今日の昼過ぎまで珍しく降り続いた
雨は、僕がMIYUKIに行く頃にはすっかり上がってはいたけれど、
商店街のアスファルトには、まだところどころ大きな水溜りが
出来ていた。
意に反してMIYUKIを追い出された僕達は、
お互いに話すきっかけが掴めずに、闇雲にただ歩いていた。
操は俯いたまま、まだ何かを考えている。
そして時々歩調を乱しては、水溜りを飛び越すために
肩に掛けた大きなバッグを重そうに抱え直す。
僕は、小さな肩からその大きすぎるレッスンバッグを
取り上げた。
「持つよ」
「大丈夫です。持てますから・・あ」
「ダンス、今日レッスンだったの?」
「ええタップの・・
さっきはシューズ忘れちゃって取りに行ったんです」
所詮小さな街だ。
目的も無く歩いていた僕達は、
気付いたらまた駅前まで戻っていた。
「お腹、空いたよね。ごめん、気が利かなくて。
まさか今日、こんな事になるとは思ってなかったから、
実は僕も混乱してる。
いつかは言おうと思ってた。
でも、日々の忙しさで自分を誤魔化してたんだ。
とにかくどこか入ろう。松原は、何が食べたい?」
「あの、先生、私」
「言いたい事、あるよね、当然だ。一方的に僕の想いばかり
話したから。少しばかり頭に血が上った。
ハハ、拓海の芝居が上手かったせいだな。
でも言ってよかった。僕は後悔してないよ。
まさか、まだ冗談だと思ってないよね」
「・・・」
「ここでいい?常さんの飯食べるつもりだったから、僕は
和食の気分なんだ。ここね、仁のお気に入り。
酒もいいのが揃ってる。かなり旨いよ」
「あの、先生。私、やっぱり帰ります」
「僕はまだ帰したくない。それに、今夜きちんと話さないと
いけない気がする。早く入って。もうすぐ8時過ぎる。
ここソワレが終わると急に混んじゃうから」
その店は本当に仁のお気に入りで、僕が日本に来てまず連れ
て来られた店だった。(もちろんMIYUKIは別として)
旨い料理と旨い酒があり、和食といっても堅苦しい感じのない
家庭料理が中心。
肉じゃがのイモは煮崩れて溶けかかっているし、締めは自家製
麺の塩ラーメンと、根菜カレーが定番。
デートのカップルは殆どいない、男の隠れ家みたいな店だった。
それでも芝居が跳ねた後は、各劇場からのチラシを持った人達
ですぐに満席になる。
ここのマスターは必要以上の事はまるで話さない。
(常さんとは真逆)
引き戸を開けた僕の顔を見て「いらっしゃい」と笑顔でカウンター
から軽く会釈するだけだ。そして、「いつものお席へどうぞ」と、
また静かに厨房へと戻っていく。
僕は、奥まったその席に操をエスコートした。
「ここは僕ら兄弟の指定席。仁は顔、知られてるだろ?
落ち着くんだってさ。仁はね、ああ見えてバターたっぷりのフレ
ンチや、香辛料の効いた料理がダメなんだ。世界中飛び回ってる
くせに、米が無いと生きていけない男なんだよ。
仁に言わせると、仕事が忙しくて凝った料理を作らなかった母の
せいらしいけどね。どうする?強いんだよね。
さっきビール飲んでたから冷酒にする?」
「とんでもない!拓海の言う事、全部信じないで下さい!
もう・・飲みません」
「ハハ、そう?ここは料理も酒もいいけど、ご飯が旨いんだ。
適当に頼んでいい?嫌いな物あったら言って。
僕も結構好き嫌いあるから」
「あの」
「昼飯がコーヒーとコンビニのサンドウィッチだけだったから、
腹ぺこなんだ。話は飯食ってからにしよう・・
フラれる前だって食事する権利はあるだろ?」
操はやっとクスっと笑うと、小さく首を縦に振った。
一通りオーダーしてしまうと、今度は料理が来るまでが気まず
かった。操はメニューや、壁に掛かった芝居のポスターを見る
ともなく眺めている。
僕は、今日やけに本数の多い煙草にまた手を伸ばした。
「信先生は、」
「ん?あ、ごめん。煙草だめだった?」
「いえ、大丈夫です。でも少し意外・・
先生、煙草吸われるんですね。私、初めて見ました。
稽古場や事務所じゃ吸ってらっしゃらないでしょう?」
「あ、ああ・・仕事中や、気が張ってる時は別に吸わなくて
いいんだ。僕がこれを必要なのは、精神的に不安定な時かな。
1人で酒を飲む時とか、考え事する時。
そうだね、今日のこの煙草は・・・ん~・・君のせい」
「私?」
「夕方、僕の部屋の前に来たよね。廊下で足音がして、ドアを
開けたら、君がいた。いきなり君が現れて正直僕はうろたえた。
まさか君が僕のテリトリーに飛び込んで来るとは思わなかった
から。部屋の窓から走って帰る君を見送って・・
その姿が見えなくなってもそこを動けなかった。
月間ミュージカルの原稿の締め切りが迫ってるのに、PCに向か
う気にもならなかった。
だからMIYUKIに行ったんだ。心が落ち着かなくて。
だからさっきからこれが手放せない・・
今、僕のここには君の事しかないよ」
僕は胸を拳で叩くと、正面から彼女を真っ直ぐ見つめた。
すると操は、やっと僕の顔をまともに見返した。
そういえば、こんなに間近で操を見たのは初めてだ。
タップの帰りだといっていたその顔は、シャワーを浴びた後だ
からか、ほとんど素肌に近かった。
素肌に透明なリップが艶やかに光っている。
突然衝動的に、僕はその唇に触れたくなった。
それは、どう表していいのかも分からない感情。
胸を襲う強烈な痛みと、甘いときめき。
自然に操の頬に指が掛かる。
親指が唇に・・軽く触れる。
操は、突然の僕の行動に動けずにいた。
そして唇に指が掛かった瞬間、びくっと慌てて顔を伏せた。
その僕達の微妙な空気を破ったのは、運ばれてきた料理の香り。
色気のない事に、その柔らかい香りに僕の腹は堪らずにグ~っ
と鳴った。
顔を伏せたままだった操は、とうとうクスクス笑い出した。
体に裏切られた僕は、「アー!」と声を出し、ひとつ息を吐く。
チキンサラダと、揚げ出し豆腐、出汁巻き卵。
さつまいもの天ぷらに、金目鯛の煮付け。
そして・・豚汁と白いご飯。
テーブルに載った料理は、何の変哲も無い家庭料理。
「まいったなあ、今日は散々だ。あ、まだ笑ってる・・
こら、笑い過ぎだ。こうなったらとにかく食べてからだ。
口説くのはそれからにする。
適当に選んじゃったけどよかったかな。嫌いな物あった?」
「いえ。でも先生のイメージ変りそうです。
今の顔、可笑しかった・・でもこの匂い。本当、いい匂いだわ。
お腹鳴るのも無理ないですよ」
「まだそんな事言うんだな。一体どんなイメージだったんだ?
僕は、こんな奴ですが」
「ふふ、ごめんなさい。私もお腹空きました。いただいていい
ですか?わ~、どれもおいしそう・・何だか懐かしいな、こんな
家庭料理久しぶり。私、料理大好きなんですけど、こういうのっ
て1人暮らしだとあんまり作らないから。特に天ぷらはね。
1人分揚げるのって手間なんだもの。あ、おいし・・」
「よかった。味覚ってさ、結構重要だよ。
自分がおいしいと思う物を、一緒においしいと思ってくれるって、
嬉しいものだよね。
松原は本当に旨そうに食べるね、気持ちがいい。
ホラ、このサラダも食べて、旨いよ・・ね?
この店はあっさりした味の物が多いけど、このチキンだけは、
かなりスパイシーなんだ。こういう味は、僕が懐かしい味だな。
NYにこういうチキンの店があるんだよ。
・・さっき僕がアメリカ人だって聞いて驚いてたね。
僕と仁は、日本とアメリカのクォーターなんだ。5才の時、事故
で仁は記憶を無くした。事情があって仁は日本に僕はアメリカに。
つい3年前まで別々に暮らしてたんだ」
「・・あ、だから初めて逢った時。
3年前、大切なもの見つけたって」
「憶えててくれたんだ・・うん。仁が僕を思い出してやっと僕は
僕になれた。それまでの僕は、自分の境遇や仁への理不尽な
憎しみで歪んでいたから。仁や、瞳や、皆に出逢って、僕はやっ
と心から笑えたんだ・・嬉しかったよ」
先生の話し言葉には少し、独特の訛りがあるなとは思っていた。
初めて逢った入団試験の朝。
コンタクトを落とした私に声を掛けてくれた先生。
少し微笑みながら、私の前に立っていた。
あの時。
試験で興奮してたから、お礼もろくに言えなかった。
一緒に探した何10分か。
試験が迫っていたせいで、異常にテンションが高かった私の話を
優しく聞いてくれた先生。
時々大笑いしながら、目と指は地面を這っていたあの時間。
「じゃ・・」
去って行く先生がサングラスを外した瞬間、
私は悲鳴をあげていた。
だって、“影山 仁”だと思ったんだもの。
あまりにも、そっくりだったんだもの。
数時間後の試験会場。
その代表席に先生が座っていた時の私の驚き。
先生は冷静な声で、「どうしました?」って私に聞いた。
どうしたかって?
どうしてそんな落ち着いた声で聞くの?
こんなに胸がドキドキしているのに。
その灰色の瞳に、魅せられてしまっているのに。
芝居だけを支えに生きようって決めた、私。
裏切られ、男性を信じられなくなっていた、私。
この人は、“影山 信”・・演出家で、劇団副代表。
的確な分析、冷静な演技評価。
上演中の様々な舞台の核心をついた批評。
先生の授業はいつも新鮮で、少し芝居が出来るつもりになって
いた私に改めて自分の力の無さを痛感させてくれた。
先生に褒めて欲しくて。
先生に認めて欲しくて。
今の私は、それだけのために生きていた。
先生の目だけを見つめていられればよかった。
先生が私を呼ぶ声を聞いていられるだけでよかった。
もう傷つきたくない。
だから私だけの片想いでいい。
なのに、どうしてそんな真っ直ぐな瞳で私を見つめるの?
どうして私なんかを「好き」と言うの?
この人は信じられる?
この人の目は真実?
寂しそうに過去を話すこの人を、抱き締めてあげたい。
不器用に笑うこの人を、包んであげたい。
信じていい?
・・この人は、しんじて・・いいの?
「松原?・・松原!どうした」
「あ、いえ。ごめんなさい・・何でしたっけ?」
「1人暮らしの話だよ。あぁ、やっぱり聞いてなかったな?
君は、時々授業中もそんな顔する時あるぞ。
今度そんな顔したら、居残りだな。
・・寝不足?バイト、遅くまでなの?」
「そうですね。早くはないです。終わるの12時頃なので」
「12時?遅いな。家は神泉だったよね。バイトはどこで?」
「渋谷ですけど・・あの・・
どうして家が神泉だってご存知なんですか?」
「劇団副代表の特権。職権乱用」
「信じられない!先生ってそういう人?考え変えます」
「ハハ、調べたのは君だけだよ。他の奴らは自宅かアパートか
も知らない。興味の問題さ。そうだ、1人暮らし。どう?
やっぱり、寂しい?」
「う~ん、そうですね、初めは。もう慣れましたけど」
「寂しさってね、麻痺するんだよ。自分では慣れたつもりでも、
心は悲鳴あげてたりする・・僕も1人だった。
11歳からたった1人で生きてきた。マムが入院してしまって、
他には誰もいなかった。いつも腹を空かせてたし、その日食べる
事だけで必死だったから、手料理なんか大人になるまで食べた事
もなかった。
だからとても偏食でね。食べられない物がとても多い。
日本に来てから、瞳や常さんが色々世話焼いてくれて、少し克服
したけどね。炊き立ての白いご飯も、焼き立ての魚も、カレーだっ
てここで初めて食べたんだ。
ね、僕がこっちに来て、一番感激した料理。何だと思う?」
「クイズですか?そうですね・・日本料理ですよね。
何だろう、お寿司とか?」
「残念。正解はね、卵かけご飯」
「ぷっ!卵ご飯?そんなの」
「おかしいだろ?でも生で食べてるの見たのは、アメリカじゃ
ロッキーくらいだ。第一そんな食べ方があるなんて知らなかった
し。でね、仁の家で初めて食べたんだ。
旨かったなあ・・世の中にこんな旨い物があるって感動したよ」
信先生が笑う。
少し恥ずかしそうに、でも真っ直ぐに私を見て。
「好きな人がいるの?」
「え?」
「考えたら君の事、何も知らないんだ。
ただ“僕が好きだ”ってだけで。でも僕の正直な気持ちだよ、
僕は嘘はつかない。僕は君に苦しんで欲しくない。君の悲しそう
な顔も見たくない。だから好きな人が他にいるなら、はっきり
そう言ってくれていい。僕は諦めないけど」
「先生、矛盾してるわ。それに、それじゃ、断れないです」
「じゃ、断らなければいい」
「先生!・・あの・・1つだけ、聞いていいですか」
「どうぞ」
「私を“好き”だって言いましたよね」
「YES」
「私の事、何も知らないのに?」
「詳しくはね。君も、僕を知らないでしょ」
「私の事、詳しく知ったらきっと幻滅します」
「そんな日本語は知らない」
「先生!」
「名前で呼んで欲しいな。僕は、バーニーだ。
バーナード・シン・ワイズマン。稽古場以外ではそう呼んで。
影山の名前はあくまでもビジネスネームだから。
実際僕をそう呼ぶのは家族と親しい友人だけだ。
僕は、君にもそう呼ばれたい」
「せん・・」
「バーニーだよ。言ってみて」
「・・バー・・ニー」
「いい響きだ。綺麗だったんだね、僕の名前。
僕は自分の名前が初めて好きになった」
「せ・・」
「あぁ~!やっぱり操だ~久しぶり!元気そうじゃない!
あれ?ねえ、あんた操よね?」
「・・・・え?」
聞きなれたその声は、すぐ後ろから聞こえてきた。
ゆっくり振り向いた私の顔は、どんな顔をしてただろう。
まだ逢いたくなかった以前の劇団の同期。
かつての親友だった。
コラージュ、背景 mike86
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