鳳仙花が咲くまでに 13話 「プロポーズ」
遂に寺田と再会してしまった操。
そして、今回。彼女の過去が明らかに・・
「久しぶり。買い物か?元気そうだな」
「・・演出」
「バカだな、オレンジ散乱してるじゃないか。待ってろ」
ガード下や携帯ショップの前に、私が落としたオレンジが
何個か転がっていた。目ではしっかりと見ているのに、
どこかその光景は何かの映像の一部の様で。
私は、寺田がオレンジを拾っている姿をただ呆然と眺めていた。
「ビニール貸せ。ホラ、これで全部。
何作るんだ。サンドウィッチか?お前、料理上手かったからな。
見ろよ、お前が居なくなって俺、痩せただろう?」
「急いでるの、ごめん」
「突然お前が消えて、俺が“はいそうですか”と言うとでも
思ってたのか?今まで何処にいた。捜したんだぞ」
突然の再会に動けない私の二の腕を、大きな手が掴む。
力では到底敵わない事は分かっている。
幾度この手で殴られ、幾度この手に抱かれてきただろう。
情緒不安定で破壊的な性格の寺田は、心の捌け口を私で埋め
ていた。
評判の悪い舞台評、資金繰りがつかない劇団運営。
機嫌が悪くなると、寺田は人前で私を罵倒し殴った。
そして他人が慌てて止めに入ると、嘘の様にそれは収まった。
私は気の弱い女ではない。
殴られてもただ耐えている従順な女でもない。
“止めて”と叫び抗議する私に、殴った後の寺田は別人の様
に優しかった。
「お前だけだ」と囁き「愛してるんだ」と泣いて懇願した。
私は、この人を愛していたのだろうか。
何故、6年間も別れられずにいたのだろう。
自分の事なのに、今でもそれがどうしてなのか分らない。
役が欲しかった。有名な女優になりたかった。
実際寺田は、同期の誰よりも先に私を重要な役に抜擢した。
若かった私は「愛している」という言葉に酔っていたのかも
しれない。“愛されている”という錯覚で、傲慢になっていた
のかもしれない。
「痛っ、逃げないから離して。人が見てる」
「お前のその強気な声。変わってないな」
私達の異様な空気を感じてか、その場にいた何人かが遠巻きに
見ていた。大男が女の二の腕を掴んでいる図だ。
確かに普通じゃないだろう。
近くのマックに席を移し、
2年振りに私は寺田と向かい合った。
「あの時は悪かった。焦ってたんだ、絶好のチャンスだと思って。
2年も前だ。もう“過去”さ。許してくれるよな?
なあ。今度、太陽が下北で本公演をやるんだ。
この先に新劇場出来るだろう?そこのこけら落し。
な、凄いだろ?ついこの間まで100人そこそこのスタジオ公演して
た俺がキャパ1000の下北劇場だぞ!
有名俳優の出演交渉に時間が掛かったが、これでやっと俺も
メジャーになれる。
今まで俺をバカにしてたやつらを見返してやるんだ」
「相変わらずなのね。まだそんな事・・
あの時の私は、演出の言葉を信じてたわ。
でも木島代表は演出が言っていた様な人じゃなかった。
影山さんの事だって」
「あいつは何の苦労もせず親の遺産で下北に劇団を建て、
子分の醜聞に乗っかって世間に出た奴だぞ。頭のいいお前が、
まさかあんな奴についてるとは思わなかったよ。
な、操・・演劇界がやっと俺を認めようとしているんだ。
金やスキャンダルやそんなくだらない物じゃなく、真っ当な
目で評価してくれる人達が出てきたんだよ。
見てろ、木島なんかすぐに追い越してやる。
操・・実は主役はお前で、と考えてる台本があるんだ。
下北の舞台が終わったらやろう。な、いつ帰ってくる?
影山から聞いてるだろう?」
「影・・誰?」
「影山信さ。バーナード・シン・ワイズマン。
アメリカ生まれのインテリ演出家。
・・おまえの男だろうが」
「ちょっ、ちょっと待って!先生と会ったの?」
「いや、会っちゃいない。ちょっと電話をな。
お前が世話になってるんだ、挨拶しなきゃいけないだろう?
ふっ、あいつ宇宙の副代表なんだってな。木島が留守なのを
いい事に、次回公演の演出までやるそうじゃないか。
さすがやり手の元劇評家。ice manだったっけ?
そのうち宇宙は乗っ取られるな。
木島は飼い犬にやられるのか・・ヘヘ、面白い」
「話したのね」
「もうひと月も前だぜ。仁そっくりの声だな。
あいつお前に言ってないのか?はっ、本気でお前を護るつもり
かよ。思ったより頭悪いな、あの男」
頭の中が混乱して、何から考えていいのか分らなくなっていた。
先生が、寺田と話した?
私が寺田の所に戻る?先生が私の事を護るって?
何を言ってるの?
何を言ってるの・・この人・・は。
「お前、綺麗になったな。こんないい女だったか?
・・おい。夜、出て来ないか。これから劇場と打ち合わせなんだ。
2時間もすれば終わる。だから終わったら、な?」
寺田はテーブルの上に置いた私の携帯を弄り始めた。
自分のナンバーが削除されている事に気づいたのだろう。
自嘲気味にふっと笑い、簡単に操作を終えると、
私の手元にそれを滑らせた。
「冷たいな。俺の名前くらい入れておけよ」
「演出。いいえ、寺田さん。彼とどう話したかは知らないわ。
でも、彼が私を護るって言ったのならそれがすべてよ。
はっきり言うわ。私は戻らない。
今の私は先生を、影山信を愛しているから」
「・・・・・もう1回言ってみろ」
「何度でも言うわ。先生を愛してる。だからもう私に構わないで。
私がどれほど苦しんだか、どれほど涙を流したか、何も知らない
くせに。先生との出逢いは運命だと想うの。
苦しみから立ち直った私に、生きる道を与えてくれた。
先生はね・・私を丸ごと愛してくれたの。過去も涙も全て一緒に。
演出みたいに私を利用したりしない。先生は、私を包んでくれる。
私だけがいればいいって。私の笑顔が好きだって。
一緒に芝居を作って、一緒に笑って。
私は先生の支えになりたい。私は、先生の為に生きたいの」
寺田の顔色が変わっていく。
爆発しそうなその顔・・ああ、そうだった。
こうやって、私は寺田の暴力を受けていた。
最後の、あの時も。
そして、あの子を・・
「本気で惚れてるって言うのか。あの男に」
寺田の唇が、わなわなと震えた。
「お前、俺にはそんな顔、見せた事なかった。
あの男には見せるのか・・・・あの男には・・」
2年前。
陽性反応の検査薬。思いもかけなかった妊娠。
私は産みたかった。
私の中の命を殺す事など考えられなかった。
寺田の答えは分かっていた。きっと堕ろせと言うに決まっている。
あの日、思い切って妊娠を告げようと劇団事務所に行った私に、
寺田はこう命じた。
『今、1人味方にしておきたい人がいるんだ。
今夜、お前のバイト先に呼んでおくから、接待を頼む。
いいか、頼んだぞ。くれぐれも粗相するなよ。
“大事な客”だからな』
言い出せるような雰囲気ではなかった。
寺田はイライラしていたし、
こういう時に口を出すと間違いなく拳が飛んで来る。
私は溜息を吐きながらも、言われるままにバイトに行った。
入団する時に辞めてきた水商売。
だが、入団した翌月には、私はまた違う店で働いていた。
何より時間に都合がついたし、短時間で稼げたから。
ただ前と違っていたのは、その店を紹介したのが寺田だったこと。
寺田は私を、完全に自分のテリトリーの中に閉じ込めたのだ。
その日は朝から雨で、しかも給料日前だったせいか
客足は今一歩だった。
だが9時過ぎに、寺田が招待したという客が10人連れでやって
きて盛大に飲んでくれたおかげで店は盛り上がり、
釣られるようにその後の客足も段々伸びていった。
私も、寺田に言われたからではないが、楽しい酒の団体に気を
許し、特技の一気飲みや(お腹の子の為にはやりたくなかった
けれど)アイドル歌手のモノマネで、店中の客の喝采を受けて
いた。
団体の中の中年紳士が店長と話し出したのは、
11時を過ぎた頃だった。
そして私は・・店長に呼ばれた。
『操ちゃん、今日はもういいよ』
『え?私、今日12時までですけど』
『あぁ。あのお客さんから指名が入ったんだ。
寺田さんからも電話貰ってね。
お互いに話ついてたんだね。あの人、どっかのお偉いさん
なんだって?ここはいいから、早く行ったほうがいいよ』
『どういう事・・ですか』
『そういう事・・なんじゃないの?
断っておくけど、これは操ちゃん個人の事だから。
あくまでも僕と店はこの件にはノータッチね』
追い立てられる様に店を出ると、
そこにはさっきの客が車の前に立っていた。
傘で顔を隠し、足早に通り過ぎようとした私を太い声が
引き止める。
『どこに行くんだい?あなたが操さんでしょう。
私に恥をかかせるつもりかな』
『・・仰ってる意味がよく分かりません』
『そう?寺田君は私に持ち帰っていいと言ってくれたんだが。
まだ人通りも多い。ここでゴタゴタするのは店にも迷惑だ。
君もプロでしょう・・早く乗りなさい』
寺田が私を売った。
その事実は、寺田の激しい暴力より私にとって衝撃だった。
「愛している」という言葉は、嘘だったのか。
「お前だけだ」と囁いたのは、嘘だったのか。
他に何人も女がいるのを知ってはいたけれど、
愛されているのは私だけだと思っていた。
でもそれは違った。
私は寺田にとって、自由に切れるカードでしかなかったのだ。
『・・停めて下さい』
『聞いていないのかな。来年早々、NYで小劇場対象のフェス
ティバルがある。それで今、出演するに値する劇団を探して
いるんだ。寺田君の所も候補に挙がっていてね。
劇団にとっても、君にとっても、そんなに悪い話ではないと
思うが』
『・・停めて下さい』
『寺田君は承知なのかな。私はどちらでも構わないんだよ。
これは君達が言い出した事だ』
『いいから停めて!!』
「私はもう子供じゃない。
いつまでも演出に引きずられてた私じゃない。
愛がどういうものかが分ったの。
彼のためなら、今の私は何でも出来るわ」
「あの時、車から降りたお前のせいで俺はまたチャンスを
逃がした。俺のためには何も出来なかったって事か。
愛が分かっただと?ふざけるな!」
「大声出さないで。こんな所で・・そう。
そう言って演出は私を殴ったのよ、あの夜」
強引に車を降り、1人アパートに逃げ帰った私。
部屋の明かりも点けず、部屋の真ん中にただ呆然と座る。
何時間経っただろうか・・そして静かに、部屋の鍵は開いた。
『操、どういうことだ』
『・・・』
『大事な客だと言っただろう』
『どうして』
『たった1回じゃないか。俺が許可してるのにどういうつもり
だ。お前は俺の言う通りにしてればいいんだ。
こういう時のために、お前を置いておいたのに』
『・・どういう、事?・・・・嘘でしょ』
『少し芝居が出来ると思っていい気になりやがって。
“太陽”は俺の劇団だ。俺がする事にいちいち口出しするな。
何様のつもりだ・・・生意気なんだよ、お前は』
『・・やめて・・嫌!!・・・この子・・嫌!
お腹だけは・・蹴らない・・で・・・』
止めてくれる人のいない深夜のアパート。
寺田は静かに、無表情で私を殴り続けた。
やがて私が意識を失いかけると、合鍵を叩きつけ部屋を出て
行った。足元に生暖かい感触が広がっていく。
薄れ行く意識の中で、私は拓海の携帯番号を押していた。
「そうよね、もう2年も前。“過去”なのよ。
もう立ち上がれないと思ってた。
でも私、いま自分の足で立ってるでしょう?
私にまっすぐに立つ力を与えてくれたのは、私の従姉弟と影山
さんのタップ。もう1度、芝居をやりたいと思わせてくれたのは、
木島代表の演出と宇宙の舞台。そして先生が“愛”をくれたの。
演出・・今日、逢えてよかったのかも知れないわ。
・・・さようなら」
「待て!おい、操!!」
立ち上がる私の腕を、また寺田が掴む。
寺田の目を見ながら、私は静かに、その腕に手を掛けた。
さっきとは比べ物にならない弱い力。
それは、呆気ないくらいに簡単に外れた。
「私、驚いてるの。もしも演出に逢ったら、きっと冷静でいられ
ないと思ってたから。でも私、今とても落ち着いてるわ。
ちゃんと演出の目を見て“さよなら”も言えた。
過去を過去として受け入れられたの。
これはきっと今まで私を支えてくれた人のおかげ。
そして・・先生のね。こけら落し、成功祈ってるわ。
演出は飲み過ぎると頭痛が起きるから気をつけて。じゃ」
細い螺旋階段を下りて外に出ると、
駅前の時計は4時をとっくに過ぎていた。
部活帰りの高校生の団体が、入り口付近で大騒ぎしている。
「あぁ、間に合わなかった。もう、稽古始まっちゃった。
今から作って机に置いといたら稽古の合間に食べるかなぁ。
ふふ、食べないわね、きっと」
「置いといていいよ。食べるから」
「先生!!」
いつの間にか、目の前に先生が立っていた。
そっと私の手から買い物袋を受け取ると、
もう片方の手で私の手を握った。
「どうしたの?稽古は?4時から始めるって」
「始めたよ。4時に始めて、10分でまた休憩にした。
君を迎えにきたんだ」
「どうして?」
「僕の見えるところに、君がいないから。
君の視線がないと、何だか落ち着かない」
「あら?甘えん坊なのね。今日は」
「いつだってそうさ。
だって僕は“マザコン”なんだろ?」
「あ、自分で言ってる。認めちゃうの?
影山さんにまたからかわれるわよ」
「言わせておくさ。いいんだ、事実だから。
・・あ!カツサンド?早く作ってよ。
さっきからお腹鳴ってるんだ。ホラ、聞こえるだろ?」
「ふふ・・アハハ、可笑しい」
「そんなに可笑しいかな」
「うん。可笑しい・・」
繋いだ手を握り直し、私達はガードをくぐった。
そして本多劇場の前まで来た時、急に先生は立ち止まった。
「傍に居てくれないかな」
「ん?」
「いつも僕の傍に居て欲しいんだ。
そしていつも僕を“先生”って呼んでいて欲しい。
もう“バーニー”って呼べって無理強いしないよ。
君が僕を“先生”って呼ぶ声、好きだから・・
分かってる?プロポーズのつもりなんだけどな。
返事が欲しい。操・・Will you marry me?」
「くっくっ・・ハッハハハ」
「ちょっと、おっさん!!うっせーよ!」
「よせよ田中!構うなって!あっちの席、行こうぜ」
「直人、これで逆転だ。準備は終わった。
お前の悔しがる顔が見たいぜ。早く帰って来い。
ついでに操も返してもらおうか。
・・さて、ネットも飽きたなぁ。
あと1回、ドーンと打ち上げて終わりにするかな。
これで俺も有名演出家だし、そろそろ身辺を綺麗にしとかない
と。しかしあいつ、変な事言ってたなぁ。
愛だ?信頼だと?ハハ、そんなもん・・あるかよ」
コラージュ、mike86
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