金色の鳥篭 ― スジニの愛 ― 3
「痛っ!」
「どうしたの?イモ」
「ん?ちょっと、何かこの荷車、変なのよ。
ね、アジク。ちょっと手、離してみて?」
「うん。こう?」
「そうそう。あれ?何が変なんだろ・・あっ・・ギャッ!!・・・あ~あ」
「・・イモ。動かなくなったよ」
「はぁ~そうみたい。またやっちゃったかな。アジク!ゴメン。原因究明に
少し時間ちょうだい。多分、この辺をちょこっと弄れば直ると思うんだよね」
「ねぇ~、誰か男の人呼んだほうがいいんじゃないの?」
「失礼ね。アタシは今までだって、1人で何でもやってきたのよ」
「この間スファンアボジに、お店の机の脚、直してもらってたじゃないか」
「あ、あれは・・重いからやってくれるって・・ヒョヌさんが」
「スファンアボジは、イモに惚れてるからね」
「惚れっ・・・・アジク!誰があんたにそんな事!」
「市場の人、みんな。スファンだって言ってた。
そんなの、ぼくにだってわかるよ」
「はぁ~・・・とにかく。これを直さなきゃ。アジク、向こうで遊んでて」
「りょうーか~い。ね、あそこで石投げしていい?」
「いいわよ。でも足元滑るから気をつけてね!」
「だいじょーぶ~!」
あ~あ・・こりゃ車輪自体がやられてるのかな。
アジクにはああ言ったけど、これ、どうすればいいの?
いつの間にか荷物が多くなり過ぎたんだ。
初めは、身ひとつだったのに。
まったく、ただでさえ、この荷車古いから。
参ったな・・こんな所、誰も通らないし。
・・アハハ。
そういえば、こういう時って、チュムチが役に立つんだよね。
人間離れした馬鹿力だから、こんなの片手で持ち上げちゃうかも。
『スジニ!お前、人使い荒いぞ。俺は優秀な傭兵なんだ。
こんな雑用に俺を使うなんざ、10年早いってもんさ。
こりゃ、結構な額もらわなきゃ、割に合わねえな!』
なーんて、ごねるかもしれないけどさ。
所詮チュムチはお人好しだもん。
ぶつぶつ言いながら、きっと手伝ってくれる。
それで、パソンオンニの所に運んでくれるんだ。
鍛冶屋に着いたら、どさっと荷車をチュムチが下ろして・・
それを見たパソンオンニは、きっと怒ってこう言うんだよ。
『こら!お前達!!道具を粗末に扱う奴があるかい!
お前達は壊すだけ壊して、後はしらんぷりして“さあ、直せ!”だ!
作った人への感謝が足りないんだよ。
悔しかったら荷車の1つくらい自分で作れってんだ!』
あっはっは!・・絶対言いそう!
でかいチュムチの頭を叩くもんね、オンニは。
パソンオンニには誰も敵わないもん。
あの時、相手が王様でも、鎧が間に合わないってプリプリ怒ってたし・・・
・・・・さ。
やろうっと。
昔を思い出してたって、荷車は直らない。
いつまでもアタシがこんなだから、壊れたのかもね、この荷車。
早くしないと日が暮れちゃう。
えーと・・道具、どこに仕舞ったっけ?
「ね~、イモ~~見てー!向こうからすっごく早い馬が来るよ~」
「何~?ちょっと待って、まだ掛かりそうなのよ」
「早馬だよ!すっごく早いんだ。それがこっちに向かって走って来るの~!」
「・・早馬?」
夕日に照らされて、初めはよく顔が見えなかったんだ。
馬から下りる姿で、もうアタシにはそれが誰だか分かっていたけど。
癖のある、その歩き方。
ゆっくりと、真っ直ぐにアタシの前にやって来る。
髭、生やしたんだね。
少し・・痩せた?
アタシは、変わったでしょう?
こんな姿、王様に見られたくなかった・・
「それは、お前の荷物か?」
・・ああ。
王様の声だ。
変わってない、この声。
その言葉に答えることなんか出来ない。
涙を堪えるのに精一杯で。
その顔を、まともに見ることも出来ない。
アタシは・・ここに、王様の傍に居ちゃいけないのに。
「車輪が外れたのか?どれ、見せてみろ」
「・・どうして?」
「あぁここか・・修理すればまだ動きそうだな」
「どうしてここにいるの?どうして、ここが分かったの?」
「しかし古い荷車だな。これは荷物が重すぎるんだ」
「・・行かせて。ここでアタシには会わなかったんだって、そう思って」
「いや、もう2度と行かせはしない」
「駄目なの。あなたの傍にはいられないの、だから・・・
ここでアタシによく似た人に逢っただけ。そう、思ってください・・行かなきゃ」
「好きにしろ!お前が来ないのなら、私がお前の傍に行くだけの事だ」
「あなたは王様でしょう?王様は、王宮にいなくちゃいけないじゃない」
「お前のいる所が私の王宮だ!・・少しここで待っていろ。
私に付いている者と、宮をそっくり連れてくるから」
“オマエノイルトコロガ、ワタシノオウキュウ?”
それは、どういう意味?
あの時、アタシに言った“綺麗”という言葉の意味も
まだ分らないのに。
背中を向け、王様が早足で歩いていく。
その肩が少し怒っている。
あぁ・・変わってない。
あの背中を、何度夢に見ただろう。
また逢えた。
それだけで・・・それだけでまた1人、生きて行ける。
不意に王様の足が止まった。
アタシの足は固まったかのように、そこから動けずにいた。
王様の目がアタシを見つめている。
どうして、そんな目でアタシを見るの?
それは・・その目は。
男の人が女のアタシを見る目なのに。
アタシは・・・アタシは。
あなたの、ただの“友達”でしょう?
「行くな!お前が黒朱雀になっても、世界を火の海にしても、
お前は私の傍にいろ!
私がお前の傍にいるから。私が、全て止めてやるから・・
だから・・もう何処へも行くな・・・・・スジニ」
大きな腕が、アタシを抱き止めた。
痛い・・・
夢じゃない。
王様の腕が、アタシを抱いている。
アタシの・・名前を呼んでいる。
この痛みまでが、こんなに愛しい。
アタシは、こんなにもこの腕を待っていた。
この腕から逃れるなんて、アタシには初めから出来なかったんだ。
たとえ、業火に焼かれても。
たとえ、この腕で息を止められても。
たとえ、
オンニを裏切る事になっても・・・
王様。
あの時の匂いです。
あなたの匂いは・・・
あの日のまま・・・
アタシがその背中に腕を廻した時、王様の体が少しビクンと跳ねた。
髪に掛かるその吐息が、とても熱い。
あなたは、アタシを待っていてくれたの?
こんなアタシが、傍にいてもいいの?
髪を撫でる大きな手に、一層力がこもる。
王様の鎧から、アタシの涙が流れて落ちた。
その後。
大勢の従者と共に、コ将軍が船着場にやって来た。
大袈裟なその大軍にアタシが顔をしかめると、
王様はフッと横を向いて照れた様に頭を掻いた。
コ将軍はアタシを見た途端、あの無骨な表情をぐちゃぐちゃに崩して、
大粒の涙を流した。
対峙した敵が震え上がるという天下の武将が、
ただ涙を流して微笑んでいた。
アジクは突然現れた大軍と、自分を取り囲む大男達に目を丸くしていた。
しばらくボーっとしていたけれど、彼らが自分の敵では無いと分ると、
好奇心丸出しで、軍の周りを走り始めた。
「こら!アジク、大人しくしてなさい。危ない物もいっぱいあるのよ」
「ねぇねぇ、イモ~~!すごいよー。このよろい、本物だ!
ちょっとおじさん、この剣、ほんとうに切れる?」
「もう・・アジク!!」
やがて、あの壊れた荷車は馬に引かれ、アジクは将軍の馬に、
アタシは、王様の馬に無理矢理乗せられた。
横抱きにアタシを鞍に乗せ、後ろから王様が手綱を握る。
その頬に少し赤みが差しているように見えるのは、きっと・・夕日のせい。
軽く咳払いをして、王様は鐙を蹴った。
「痛っ!王様・・そんなに押さえつけなくても。
いくらアタシでも、馬の上からは逃げないですよ」
「いや、お前は分らぬ。お前は空を飛ぶ鷹だ。
油断すると、また何処かへ飛んでいくかも知れないからな」
「もう逃げませんってば」
「なぁ、スジニ」
「・・はい」
「1つだけ聞いていいか?」
「嫌って言ってもいつも聞きますよね」
「ふっ・・あぁ、そうだったな・・・あの子は、誰の子だ」
「あの子は、アタシが育てています」
「そんな事を聞いてはいない。あの子は・・お前の子、なのか?」
王様は、前を走る将軍とアジクの馬を見つめ、そう言った。
固く強張ったその表情。
やがて大きく息を吐き、静かに下唇を噛む。
「・・いいえ。あの子は8歳です。他の子と比べて小さいけれど。
私が宮から離れたのも8年前。私の子であるはずないでしょう?」
「では、誰の子だ」
「聞くのは1つ、って言いましたよ」
「スジニ!」
「アタシの、姉の子です。あの子はアタシの・・甥」
「甥?姉って」
「イモ~~!すごいよー!このアジョシの馬、すっごく早いね~!」
「コラ!危ないわよ。ちゃんと掴まっていなさい、アジク!!」
「ね~~!その人が“ペーハー”だったんだね!
イモがずっと待ってた“ペーハー”なんでしょう~?」
「・・アジ、ク」
恐る恐る振り向いて見た王様は、真っ直ぐに前を向いていた。
そして、アタシの顔を見ることもなく、アタシの頭を片手で強く抱き寄せた。
「王様?」
「待っていた。私も、お前を」
「・・・」
「そう、8年だ・・高句麗の王が今まで妃を娶らず、側室さえ置か
なかったのは誰でもない、お前のせいだ。
民も臣下も皆、心配している。お前の責任は重大だぞ」
「責任?・・あは、何ですか?それ」
「跡継ぎのいない高句麗など私の命さえ絶たれれば、それで終わりだ。
お前は知らないだろうが、高句麗にはもう、ホゲさえもいない。
一応私は王なのでな。色々周りもうるさいんだ。
私が何度首を横に振っても、
あちらこちらから、“我が姫を・・”と、申し入れがある」
「ありがたく貰っておけばよかったじゃないですか。
それに大体、どうしてそれが、アタシのせいなんですか」
「言わなければ分らないのか。さきほど、お前は私に応えただろう?」
王様の言う言葉の意味。
アタシにだって、それは分かってる。
でも、アタシが逃げなかったのは妃になるためじゃない。
抱き締められて、やっと分った。
もう、この人から決して離れられはしないと。
アタシの全ては王様の物。
だけど・・高句麗の母になんて、アタシはなれない。
だって・・・
だって、アタシは。
「王様の傍にはいます。でも、それとこれとは」
「私の命令だと言ってもか?
大体、私の命令を聞かないのは、昔からお前だけだった」
「どうしてアタシばっか?
命令無視は昔、チュムチとフッケ将軍だってやったでしょう?」
「バカ!それとこれとでは意味が違う!」
「バカとは何ですか、バカとは!!」
「お前がこの期に及んで、そんな色気のない事を言うからだ」
「友達同士で、色気も何もないでしょう!」
「・・誰が・・友達だって?」
「だって、そうなんでしょう?
大切な友達を失って寂しいって・・あの時、言ったじゃない」
「お前・・」
「馬の上での大声の痴話喧嘩はお止め下さい、陛下。皆が笑っております」
「あ」
コ将軍の声に気がつくと、アタシ達の周りの兵が皆、クスクスと笑っていた。
真っ赤になった王様が、それに気付いて強く手綱を引いたものだから、
それを合図に、笑い声は辺りに響き渡るくらいに大きくなった。
「王・・様?」
「姿は変わっても中身は同じだな。安心した。
だがもうこの話は終わりだ。もう口答えするな。お前は、私が嫌いなのか」
「そんなわけ・・あるわけないでしょう」
「では、好きなのだな」
「・・・」
「もういい。これ以上待つのは御免だ。
お前の答えを待っていたら、また8年掛かってしまう」
「王様!」
「お前の言い訳は、後で寝所にてゆっくり聞いてやる。だからもう喋るな。
さあ、陽が落ちる。少し急ぐぞ、掴まっていろ!ハッ!!」
あの噂は本当だったんだ。
王様の馬は千里を一瞬で駆け抜けるって。
あっという間に将軍達の馬を追い越し、気がつけばそこにはアタシ達だけ。
王様は笑っていた。
初めは、小さくアタシに微笑んで。
やがてアタシが少し困ったような顔をすると、今度は大声で笑い出した。
王様の片手は、アタシの頭に添えられたまま。
それが心地良くて・・力強くて。
でもアタシには、流れていく景色がよく見えなかった。
それは、涙で滲んでいたから。
王様の胸に、顔を埋めていたから・・
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