金色の鳥篭 ― スジニの愛 ― 5
・・小鳥達の声が聞こえる。
ずいぶん明るくなっちゃった。早く起きなきゃ。
アジク、もう起きてるかな。
目は開いたのに、何だか頭がぼーっとしてる。
どうしたのかな。体が重い。
でもあったかい・・あったかくて、気持ちいい。
駄目だ・・
起きなきゃ。
今日は市場に行って、昨日壊れたあの車輪の修理を・・・・・・・
・・あ
アタシの肩に重い頭が乗っていた。
長い髪が頬を滑る。
暖かい息。
後ろから腰に廻された、逞しい腕。
大きな胸。
そして・・・あの香り。
おう、さま
アタシの、王様・・
規則正しいその寝息が首筋に掛かる。
アタシが少し身動ぎすると、腰を抱く力が無意識に強くなった。
・・よく眠ってるみたい。
思わず、頬の前に掛かる長い髪を指で弄ぶ。
引っ張られて少し痛かったのか、小さく「う、ん・・」と唸る王様。
子供の様なその声に、自然に頬が緩んだ。
何故だろう、目の奥がとても熱い。
やがてそれは本当に大きな粒になって、ぽとり夜具を濡らした。
昨夜。
それが現実だったのか、夢の中での出来事だったのか。
アタシは王様の大きな腕の中にいた。
手を空に伸ばしては、長い指で絡め取られ、
恥ずかしさに顔をそむければ、力強い腕と熱い唇がやってきた。
少し眠っては抱き合い、暗闇の中その存在を確かめては、また一つになった。
あんな王様を、今までアタシは知らずにいた。
いつも、兄弟のように接してきたから。
王様は優しかった。
柔らかく微笑んでは、アタシを腕に抱き、
頬を包むその両手は、まるで絹を撫でる様だった。
王様は強かった。
アタシが助けを求めても、王様は揺るがなかった。
そしてその力に、アタシは磔になったかのように動けなくなった。
『・・スジニ?どうした』
いつの間にかアタシは泣いていたらしい。
止めようとしても、溢れてくる涙に強い王様が戸惑った。
『スジニ』
『ごめんなさい・・自分でも止められなくて』
『辛かったら言え。お前の言う事は、全部聞いてやる』
罪悪感も、背徳の罪も、全てアタシは受け入れた。
すでに、心は業火に焼かれていたから。
だからどんな罰も、アタシには怖くなかった。
もう、王様に天弓で射抜かれても、アタシは笑っていられる。
笑顔で天に帰って行ける。
オンニ
赦して・・・
アタシは・・
アタシは、オンニの・・
「お前の鼓動が聞こえるな」
「王様?!」
「動くな。じっとして・・・このまま、話してよいか?
私も、今朝は少し恥ずかしいのだ。
まともにお前の顔が見られない。
お前が愛しすぎて、初めてのお前に無理をさせた。スジニ、大丈夫か?」
「大丈夫って・・どういうのが大丈夫じゃないのか、アタシには
分らないから」
「ふっ、そうか。そうだな・・・綺麗な髪だ、よく似合ってる。
スジニ。どうして髪を伸ばしたんだ?あの短い頭も、私は好きだったが」
「・・・」
「スジニ?」
「生きて行く、手段」
「手段?」
「アタシも、顔見て話せそうにないからこのままで聞いて。
・・弓と戦いしか出来なかったアタシには、生活って少し大変でね。
初めはまたスリで食べてたんだけど、アジクと一緒じゃいつまでも
そんな暮らしも出来なくて。だから大きな屋敷の飯炊きとか小間使
いとか、住み込みできる所を転々としてた・・
でもあの頭で男の格好だと、警戒されるの。子連れだから、余計にね」
「スジニ」
「女の格好してるとね、屋敷の奥様はアジクを可愛がってくれるし、
旦那様も良くしてくれたんだ。
幼子抱えたアタシは、どう見ても夫を失った可哀想な未亡人だったからね。
アタシが未亡人だって思ってる旦那の中には、下心見え見えの男も
いたけど、そういう人はアジクをダシにいい物食べさせてくれたよ。
ヤバイ雰囲気になって力ずくで来られる事があっても、アタシの方
が絶対に強いから、ボコボコにして後はひたすら逃げた。
この店を始めるまでは、そんな事の繰り返し。
・・呆れたでしょ。
昨夜、アジクがあんな事言ったのは、そんなアタシを見てたから。
だから、昨夜のアタシの言い訳は嘘ってわけでもない。
こんなアタシが王様に相応しくないってのも、ホント。だから・・」
アタシの肩に頭を乗せたままで黙って聞いていた王様。
しばらくするとクスクスと笑い出し、アタシを力いっぱい抱き締めた。
「痛っ!王様、痛い、痛いってば!」
「アハハハ。すまん、つい力が入った。でもよかった」
「え?」
「お前が強くてさ。そんな男はボコボコにしてやっていい。
自業自得だからな。
よし!婚礼の触れを出すついでに、そいつを探して私が罰してやろう。
高句麗の妃を手篭めにしようとした罪だ。これは結構な重罪だぞ」
「・・きさき?何、それ」
「豪華な婚礼は私も御免だが、一応私は国王だ。
近隣諸国への牽制もある。あまりささやかなのもな」
「ちょと待って、王様。アタシは・・」
「陛下。出立の準備が整いましてございます」
「うむ。分った、暫し待て。
スジニ。その話は国内城に着いてからだ、支度を手伝ってくれ。
やっとお前に鎧を着せてもらえるな。鎧も本来の着せ手が戻って喜
んでいるだろう」
国内城からの迎えが、すぐそこまで来ているという。
アタシの店の臨時の陣はすぐに取り払われ、
国内城に向かう準備が整った。
アジクは一緒に寝たチュムチとすっかり仲良しになり、
大きな体に隠れるように同じ馬に乗っている。
アタシは髪を縛り、目立たぬように男の格好で一人、馬に乗った。
出発の時。
静かに村を去ろうとしていたアタシ達の隊の前に、一人の男が現れた。
隊列の先頭。
そこにいる誰よりも精悍な顔をした武将の前に、その男は歩み出た。
「誰だ!!控えろ、無礼者!!」
警護の兵士が、すかさずその男を取り囲む。
粗末な身なりに、短く刈り込んだ頭。
静かに隊列の先頭の人物に礼をすると、真っ直ぐに向き合った。
「スジニさんは・・アジクは、どこですか」
「あ、スファンアボジ!ぼく、ここだよ!」
「アジク・・」
隊の中にアジクを見つけ、呆然と佇むその人。
けれどアタシは、その人の前に姿を出せずにいた。
兵士の中に紛れ、じっと息を潜めていた。
「そなたは、此処の者か?」
王様は、いつも隊の先頭にいる。
アジクを見上げるその人に、
王様は民に話しかけるあの優しい声で、そう聞いた。
「はい・・あなたは」
「この者達が世話になったようだな。礼を言う。
これは私の身内のものだ。今まで事情があって離れていたが、
今回国内城へと連れて帰る事になった」
「あなたは・・あなたには・・」
「下がれ!!無礼であろう!この方は、高句麗の王で在らせられるぞ!」
「よい、構わぬ。私に話があるのか。言うてみよ」
「高句麗の、王?
・・あなたが?」
相手の身分を聞いても、その人はその場を動かなかった。
それどころか、アジクを見つめていた顔を王様の方に向け、
真っ直ぐに体を起こすと、はっきりとした声でこう言った。
「あなたは、彼女を幸せに出来ますか?
俺に、そう誓えますか」
その問いに、周囲の者が一斉に緊張した。
皆、剣に手を掛け身構える。
だが、意外にもその空気を断ち切ったのは、王様本人だった。
「幸せに、か・・どうだろうな。その辺は、実は私も不安なのだ」
「何を!」
「陛下!!」
「おい!王様。あんたがそんな答えでどうするんだ!
昨夜はここにいる皆、寝不足なんだぜ!あんた達の事が気になってさ。
スジニのこの顔見て、ようやく安心してたってのに。
おい!どうなってんだ!うまくいったんじゃなかったのかよ!」
・・イヤだ・・止めてよ、チュムチ・・
「ここにいる将軍たちにも言われた事があるが、
私という人間は、どうやら女の気持ちというものにかなり鈍感らしい。
この年まで独り身なのは、やはりそれが原因だったのだろうな」
「陛下!!」
「将軍。この男は大丈夫だ。
こんな目でアジクを見る男は悪人ではない」
「ですが・・」
「そなた。名は、何という?」
「ヒョヌと申します。陛下」
「昨夜、私は8年待っていちばん欲しかったものを、やっと手に入れた。
私にとってそれは幸せな事だが、スジニがどう思ってくれたのかは、
少々自信がないのだ。
昨夜の私は、ひどく自分勝手であっただろうからな、きっと」
恥ずかしさで顔から火が噴きそうだ。
男って生き物は、どうしてこういう話を堂々とするんだろう。
「・・では彼女、舌は噛まなかったんですね」
「ん?」
「無礼を申しました・・・ふっ、そうか。よかった・・
陛下。もっと自信を持たれていいと思います。彼女が誰を待ってい
たのか、やっと分りました。私など、相手にされないはずだ。
・・・彼女をお願いします。それとアジクも。
あの子は頭がいい。きっと将来、陛下の立派な片腕になれる事でしょう」
「そなた。ただの平民ではないな。一体、何者だ?」
王様は、ゆっくりと馬から降りた。
目の前にいるヒョヌと、目線を合わせるために。
王様よりほんの少し背の低いヒョヌは、
真っ直ぐに自分と向き合った王に、深々と一礼した。
「初めてです。私は昔から軍人らしくないと言われ続け、
城を辞した後、心も体もすっかり魚屋になったつもりでいました。
今まで誰にも咎められなかったのに、さすが陛下ですね。
昔・・・私が使えていた城主は、人々から“悪魔”と恐れられていました。
幼くして城主になり、その風貌や力で城に攻めてくる敵を圧倒していました。
私は城主を尊敬していた。
私と同じ年頃なのに、あの存在感、あの絶対的な強さ。
陛下が我が城を落とした時、私はカグン将軍の許可を得て
城を離れたのです。尊敬する城主のいないカンミ城など、私には守
る価値がありませんでしたから」
驚くアタシのすぐ後ろにいた、その元城主がほんの少し表情を崩した。
長いまつげが伏せられ、唇が僅かに緩む。
ヒョヌは多分、その城主の顔を知らない。
目の前で毅然と馬に跨り、
風に長髪を揺らしているのがその人物であるのに。
「そうか、そなたカンミ城の・・少なからず私とそなたは縁あって
ここにいるという訳だな。
では、ヒョヌ。先ほどのそなたの問いに答えよう。
・・私は誓う。必ずその誓いは果たすと約束する。これでよいか」
「はい。そのお言葉を聞けて安心いたしました。
昨夜は私も眠れませんでしたが、これでまた商売にも励めそうです」
「うむ。そうだ、もしや昨夜の宴で出された魚。
あれはそなたの店のものか?」
「彼女が料理したのならそうでしょう。お召し上がりになられましたか」
「長い戦が続くと、新鮮な魚は貴重だからな。とても美味だった。
今夜も食したいのだが、どうだ?売ってはくれぬか」
「はい。眠れないついでに昨夜はずっと釣り糸を垂れていましたから。
ご注文に充分お応えできるかと」
「それは嬉しい。では、一人残していくからその者に渡してくれ。
私は、先を急ぐのでな。青将軍、頼んだぞ。
今夜の美味い酒のためにも、時間を掛けて良い物を選んで来い」
「・・はい」
「では出立だ。世話になった」
隊列が動き出す。
アジクはチュムチの腕の中から、その人に大きく両手で手を振っていた。
アタシは、隊の真ん中で兵士に囲まれ、その場を後にした。
見送るその人の視線を後ろに感じながら。
そして、アタシは国内城へと帰っていった。
あの日から、8年経っていた。
涙で前が見えなくなった、あの日から・・・
‐‐‐‐‐
「あ。では、さっそく魚をお持ちします。
それとも私の店までいらっしゃいますか?」
「・・いや。私が行こう」
「あ、はい。では、こちらです。すぐそこの角で」
「そなた」
「はい」
「隊はどこだったのだ。その・・・カンミ城で」
「弓隊でございました。一応、隊長職を」
「そうか。そういえば、弓隊には忠義な隊長がいるとカグンに聞いた
事があった。
あの戦い・・我が軍の盾では、高句麗のあの矢は防げなかっただろう。
・・・すまなかった」
「・・・・・え?」
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