金色の鳥篭 ― スジニの愛 ― 6
アタシ達は国内城へと帰ってきた。
急な知らせに慌てて用意したのか、
アタシの部屋とアジクの部屋が新たに城内に作られていた。
初めて見る豪華な調度品や、広い室内。
アジクは興奮し、城内を走り回ってはお師匠様に叱られている。
そんなアジクが可愛くて、チュムチも一緒になって大騒ぎするものだから、
今度は2人並んでコ将軍に懇々と説教を喰らっていた。
その日の午後、アタシはパソンオンニの所に出かけた。
8年ぶりの再会。
オンニはアタシの顔をしばらく呆然と見つめた後、
涙をいっぱいに溜めた目でアタシの頭を拳固で殴り、猛烈に怒った。
全身から湯気を出さんばかりに大声を出すオンニに、そこにいた皆は、
思わずすくみ上がる。
「オンニ・・ごめん」
「ごめんだって?何が悪かったんだ?え?何を謝ってるんだい!
あんたはちっとも分かってないよ。何の相談もされず、ひと言の別れの
言葉も無しに急に消えちまうような奴が、まだ私の事をオンニって
呼ぶのかい!・・どれだけ心配したと思ってるんだ。
私はね、あんたの本当の肉親のつもりだったんだ。それを!!」
「オンニ・・ごめん・・あの時は仕方なかったんだ。
・・アタシには他に出来なくて」
「それが他人行儀だってんだよ!今さらどのツラ下げて・・」
「もう、パソンオンニ。全然素直じゃないんだから。
昨日、スジニさんが帰ってくるって知らせ受けて、嬉しくてずっと
泣いてたのよ。まったく無理しちゃって」
「余計な事言うんじゃないよ!
無理な・・もんかね。私ゃ、別に・・」
パソンオンニはバツが悪そうな顔をして、横を向いて頭を掻いた。
それを見て、ふふっと笑ったタルビオンニは、腰を伸ばし、
大きなお腹を擦りながら、アタシの顔を覗きこむ。
アタシの顔に何か付いてでもいるんだろうか。
微笑んだ顔のまま、念入りに観察していたタルビオンニは、
やがてそっと、アタシの耳に小さな声で呟いた。
「間違っていたらごめんなさいね。
スジニさん、もしかして王様と?」
「・・え?」
「だから。そう、なんでしょう?」
「えっ・・何言ってるの?アタシ、何の事だか」
「うふふ、顔、赤いわよ。そう・・そうなの・・よかった」
突然のその問いに、アタシは激しく動揺してしまった。
王様の名前を聞いただけで、あの力強い腕の感触を一瞬で思い出したし、
その熱い吐息さえも、耳元に感じられる様な気がしたから。
急に体が熱くなり、鼓動も早くなる。
不得意な嘘に、目も泳いでいたのかも知れない。
タルビオンニはアタシを抱き締めて、優しく背中を擦ってくれた。
「やっぱり。スジニさん、あなたすごく女らしくなったもの。
姿かたちじゃなくて、とっても優しい顔になった。
昔も可愛かったけどあの時とは違う・・
あなた、自分で気付いてないかもしれないけど」
「アタシ、変わったの?」
「うん。綺麗になったわ、とても柔らかな顔してる。
王様の想いが伝わったのね。
あなたがいない間、王様がどんな想いであなたを待っていたか・・
周りも辛かったのよ。
チュムチさんも王様が大好きだから、いつも心配しててね。
王様はいつもどこか寂しげで、遠くを見ている事が多かったわ。
どんなに素晴らしい戦勝祝いの宴席でも、王様は決して羽目を外さない。
決して心から笑ったりしてなかったの。
あのね。宴席の王様の左隣の席。そこは誰も座れないのよ。
いつも小さな小瓶が置いてあるその席。
皆、知ってたけど黙ってた。そこは王様が用意したあなたの席だったのよ」
「アタシ、アタシは」
「スジニさん。王様をお願いね。
あなたがそんな表情なら、きっと王様は今頃太陽のような笑顔だわ。
高句麗もこれで安泰。あなたは国の母になる」
「タルビオンニ」
「うわっ!・・イタタ。思いっきり蹴られちゃった。
この所、動きが激しくて。そろそろ出たいって言ってるのかも。
チュムチさんの子だもの、無理もないけどね。
あ、ほら、また動いた。ね、スジニさん、少し触ってみる?」
今にも生まれそうな、タルビオンニの大きなお腹。
アタシは、そこにそっと手を添えた。
思ったよりずっと力強い胎動が、指を通して伝わってくる。
命の繋がりを、指がアタシに訴えていた。
「うふふ。あなたも早く赤ちゃんを、ね?
あなたも若いし、王様も待ちきれなかったんだろうから、
案外早いわね、きっと」
タルビオンニ。
それは、アタシには出来ないんだよ。
アタシには、その資格なんてない。
傍にいるだけでいいんだ。
王様に今、アタシが必要なのならそれだけでいい。
王妃にも、高句麗の母にもアタシはならない。
アタシは、アジクを、王様を護れれば、それだけでいい。
アタシはね。
アタシは・・・・
「あぁ、待っていた。君を今、戦場に連れていくのは
陛下が反対したけど、将軍達が君の弓が必要だと。
悪いが、準備して会議に出てくれないか」
国内城に戻ったアタシに、カンミ城主が遠慮がちにそう呟く。
アタシ達より半日遅れて到着したカンミ城主は、
あの朝から、まだアタシの顔を正面から見ていなかった。
この人のそんな態度は昔から珍しくはないけれど、
無表情のその奥に、小さな笑顔が隠れているのがアタシには分かった。
きっとヒョヌといい再会が果たせたんだろう。
「すぐに行くわ。そのために戻ってきたんだもの、それは当然よ。
ね、アジクは?」
「さっきまでチュムチと遊んでいたけど、今眠っている。
疲れたんだろう。陛下がアジクの護衛にカムドンさんを指名した
あの人は優しいし、心配する事はない」
「そう・・」
素早く身支度を整えて、アジクの部屋を覗いた。
部屋付きの子守りの女性は、どうやら言葉が話せないらしい。
よく眠っているアジクの頬を撫で、アタシは弓を担いだ。
部屋を出ると、目の前にまだカンミ城主がどっかと座っていた。
長い足を窮屈そうに折り曲げて、アタシの顔を見上げている。
アタシの怪訝そうな顔が面白かったのか、
その唇がほんの少し左に曲がった。
「カンミ城主。あんた、そこで何してるの?」
「君の護衛」
「はぁ?どうしてアタシに護衛なんか」
「君は妃になる人だろ?当然だ」
「あんたまで・・バカな事、言わないで!」
「ふっ」
その瞬間。
心に何かが引っ掛かった。
何か説明のつかないもの。
黒く思い蓋が心の隅に掛かったような・・
何?この変なもやもや。
コレ・・何?
「隊長!!な、隊長だよな!」
「うわっ!本物だ。綺麗になりましたねぇ。
そうだ、隊長!聞いてくださいよ。
こいつ、隊長がいなくなってから恋しくて毎晩泣いてたんですよ」
「バカ!何て事言うんだよ!」
大声を上げながら、かつての弓隊の部下がアタシを取り囲む。
アタシが弓を教えた兵士達。
かつては同じ釜の飯を食べ、同じ部屋で眠った。
誰もアタシの事を女扱いしなかった場所。
気が楽で、楽しくて、馬鹿な話にいつも大声で笑って。
そんな皆の近況と昔話に自然に顔が綻んだ。
「そうだ、隊長。隊長の所に男の子がいるって聞いたんだけど」
「うん。アタシの甥。8歳の男の子」
「8歳かあ、うちの娘の婿には少し年下だな」
「お前は本当にバカかよ。
お前にそっくりのあのネズミ顔の娘、嫁にさせる気かぁ?」
大笑いした次の瞬間。
何故か突然アタシの耳には、一切の音が聞こえてこなくなった。
辺りを見回しても、そこはただの静寂。
その静寂の中で、自分の心臓の音だけが耳に響いている。
ドク、ドク・・・ドク・・ドク・・
嫌だ。
何かが違う。
何かが起こってる。
アタシは、ここに居ちゃいけない・・
「隊長?」
「隊長!どうしたんですか?どこへ!」
アタシの護衛。
部屋を出る時の違和感。
子守りの女性。
眠っているアジク。
・・・アジク?
そうだ・・・・・アジク!!!
根拠もないのに、アタシには確信があった。
急に走り出すアタシに、カンミ城主が槍を手に後に続く。
部屋の前に着いた途端、全ての音が耳に戻ってきて、
アタシの頭は更に混乱した。
ダーン!!
大きな音を立て、厚い部屋への扉が開く。
そこにはもうアジクの姿はなかった。
子守りの女性は、ただおろおろと首を横に振るばかりだ。
護衛の兵士に私が詰め寄ると、アジクはカムドンさんと一緒だという。
「ダメ・・・・ダメよ!!」
「どうしたんだ。大丈夫、一緒にいるのはカムドンだ。
きっとすぐ戻ってくる」
「違う・・きっと違うの・・・火天会が。
・・・火天会、ああ!!!」
「火天会?」
「連れ戻さなきゃ、探して・・・アジクを、探し・・」
「落ち着くんだ。大丈夫、まだ遠くには行ってない」
カンミ城主がアタシの腕を強く掴んだ。
頭の中が混乱して、アタシには自分が抑えられない。
強く掴んでいたアタシの腕を、カンミ城主は自分の方に引き寄せた。
「嫌!行かなきゃ、アジクを・・アジクを捜して!」
「分った。捜すよ。だから君は落ち着け」
「何をしているんだ。何があった」
・・・王様
外に繋がる階段の途中。
大声で言い合うアタシ達を、王様が訝しげに見ていた。
アタシの腕を掴んでいたカンミ城主が、そっとその手を離す。
アタシは、思わず目を伏せた。
「ここで何をしている。何があった、スジニ」
もう1度、同じ問い。
こういう時の王様は、少し怒っている。
ここ数日で、アタシにはそんな王様の気持ちが少し分るようになった。
今、王様にそれを弁解している時間はないけれど。
「・・アジクが」
「アジク?アジクがどうした」
興奮して震えているアタシを、今度は王様の腕が掴む。
いつのまにか、コ将軍も近くに来ていた。
「アジクがいないの・・早く、捜して・・」
「アジクを?どうしてだ」
「火天会が・・火天会・・」
「火天会?何故そこに火天会が出てくる」
「離して!アタシ、アタシが行かなきゃ!!」
その時、子守りの女性が小さな包みをコ将軍に渡した。
その内容を少し読んだ将軍は、厳しい顔で王様にそれを渡す。
王様は、カンミ城主にアジクを捜せと目で合図した。
震えが止まらない。
涙が止まらない。
王様は手紙を読みながら、アタシの表情を窺っている。
やはり、ここに来るべきじゃなかった。
王様の傍にいてはいけなかったんだ。
アタシが、女としての自分を抑えられなかったから。
アタシの・・・アタシの想いが・・・アジクを・・・
「これは私宛の手紙だ。
チュシンの王の息子を預かったとあるが。これは?」
「だから・・だからそれは・・」
「チュシンの王は、私だ。
私はそう思ってきたが・・王の息子だと?」
叫び出したい。
ここから消え去りたい。
こんな・・こんな事を恐れていたのに。
だから、アジクをひとり、育てていたのに。
アジクの命が脅かされる事を。
王様に知られる事を・・何よりも恐れていたのに・・
アタシの腕を掴む王様の手に力がこもる。
そして今度は両肩を掴まれ、目の前に引き寄せられた。
今朝もアタシの肌の上を滑っていたその唇。
その唇が、静かに動いた。
「スジニ。何を知っている」
「言いたく・・ない」
「スジニ!」
「・・こうなる事が怖くて逃げていたの・・これを知られたくなくて・・
アジクの・・命を護りたく・・て」
「どういう事だ」
「・・・アジクは・・あの子は・・・・
王様の息子です」
王様が息を呑む音がアタシにも聞こえた。
信じられない事実に、その目がアタシを見つめ続ける。
そして・・その目が過去を追い始めた。
「アジクは、王様の子。
そして・・・・アタシの、姉の子です」
全ての点と線が繋がった瞬間。
王様は、まだアタシの顔を見つめていた。
やがて。
強く掴んでいたアタシの肩から、王様の手が滑り落ちた。
「ごめんなさい。アタシには話せなかった・・
ううん、話したくなかった。
本当は嘘であって欲しいって、今でも思ってるから」
「お前は今までずっと、その想いを抱えて生きてきたのか。
そして護ってきた。私と、あの人との子供を」
「信じたくなかった。でもアジクは、どんどんあなたに似てきて。
苦しかったけど愛しかった。どうしようもなく愛しくて」
「お前に・・・お前に何と言ってやったらいい・・・
・・・私は、お前に何をしてやればいい・・」
執務室の冷たい椅子。
アタシが座っているそれは、罪人が座る硬い椅子。
王様を悲しませた。
王様に謝らせてしまった。
何よりも大切なアジクを護れなかった。
これは、アタシが望んでした事。
アタシは、全てを引き換えにして王様を愛した。
そんな顔をしないで下さい、王様。
全ての罪は、アタシにある。
アタシが、アジクを必ず取り返しますから。
将軍とカンミ城主が、アジクの行方を見失ったと言う。
慌てて椅子を立つアタシの腕を、王様が優しく掴んだ。
「そうか・・分った。
スジニ・・お前を連れて行く所がある。ついて来い」
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