創作 叫ぶ靴音 2
自転車操業、「叫ぶ靴音」。2話でございます♪
今週は息子のインフルだとかでバタバタしていて書けるかとても
心配でしたが、何とか間に合いました~。当然3話はまだ書き途中・・
今回は仁の過去話の中に、さらに回想シーンが。
死んだ妹、美雪を忘れられない仁・・苦しんでいます・・
「・・・なるほど。自慢するだけはある。いい脚だ」
仁がドアの鍵を開けると、
すらりと長い脚を黒いミニスカートで強調し、
真っ赤なセーターと同じ色の唇を、魅力的に濡らした女が
立っていた。
仁は、劇団員だという女の顔にうっすらと見覚えがあったが、
それが本公演の舞台の上だったのか、
稽古場を覗いた時に見たものだったのかは思い出せなかった。
ましてや女の名前など、知るはずもない。
「褒めるのは脚だけ?他も見てよ」
「脚だけ見れば充分だろ。ソレ目的なら」
暖房の入っていない仁の部屋。
ドアを押さえている仁の手を強引に押して入ってきた
奈々と名乗る女は、その寒さに体を震わせる。
香水の残り香に強烈な酒の匂い。
仁は、鼻を鳴らして天を仰いだ。
「やだ・・どうして暖房入れないの?
ここ、ただでさえコンクリート打ちっぱなしなのに」
奈々は、殆ど家具の無い仁の部屋を遠慮なく見て歩く。
そして奥に寝室を見つけると、バッグとコートをベッドの上に
放り投げ、どさっとその上に座った。
「そっか・・寒いけどこれから熱くさせてくれるのよね。
少し冷たいくらいの方が気持ちいいわ、きっと」
・・・寒いのはあの夜を忘れないためだ。
あの日は、雪が積もっていた・・
まだ開け放したままのドアの前。
仁は、ベッドの端に座った女の脚を見ていた。
引き締まった足首。
ピンと張ったふくらはぎ。
組んだ脚の付け根が、ミニスカートの中から少し覗いている。
いつもならGOサインが出るはずなのに、今夜は何も感じない。
仁は小さく首を振ると、魅力的なその脚の持ち主に向かって、
こう言った。
「悪い。気が変わった。そんな気分になれない。
あんたずいぶん酔ってるだろう?俺は酔っ払いを抱くのが嫌いなんだ」
「ここまで入らせといて何?仁は誰とでもOKって聞いてたのに。
まさか私が気に入らないの?違うわよね」
仁はドアを開けた事を後悔していた。
確かに今夜は1人で居るには辛かった。
その温もりで、全てを忘れられる・・
そう思ってもみた。
だが女が部屋に入ってきた途端、その気持ちは急激に冷めていた。
仁の中に眠るもう一人の仁が、それは駄目だとブレーキを掛けた。
相手は団員。
女のプライドを傷つけず、やんわりと断るつもりが、
奈々の態度と言動が仁を苛立たせた。
・・・気に入らない?当たり前だ。
だってあんたは・・あいつじゃない。
「とにかく帰れ。酒臭い女はごめんだ」
「・・アルバイトの帰りなの。お客に注がれちゃって・・
あなたってそう言う物言いするんだ。でも仁は冷たいけど、
ベッドの中では優しいって聞いたわ。
私、冷たい男、好きよ。あなたってすごくセクシーだもの」
・・・うんざりだ。やっぱり今夜は静かに過ごしたい。
もうすぐ日付が変わる。だから・・
「帰ってくれ、先輩。あんただってこれからって人だろう?
俺みたいな男と寝たって、あんたのスキルは上がらない。
先輩だと思うからこれでも我慢してるんだ。
俺を怒らせないうちに帰った方が・・」
「あら!可愛い~!この携帯。これ、あなたの?
イメージと違うわね。あはっ、ストラップ、プーさんなんだ」
奈々は、ベッドサイドに置いてあった携帯を手に取り、
仁に向かって顔の横でストラップを振って見せた。
「離せ!それに触るな!!!」
寝室に飛び込んできた仁は、片手で奈々の手首を掴み、
思い切り強くベッドに押し倒した。
「キャーッ!」
弾みで奈々の手から携帯が滑り落ちる。
仁はベッドの上に落ちたその携帯を、すばやく掴んだ。
「痛い・・!何するの・・離し、て・・」
「人の物を勝手に触るな!」
「可愛い携帯だったからちょっと触っただけなの・・
ごめんなさい・・」
思い切りきつく締め上げた手首を、仁はようやく離した。
目の前には、脅えたような奈々の顔。
唇を噛み締め、仁を見つめている。
やがて静かに奈々は目を閉じた。
自分を押さえつけている仁の腕に、微かに指を伸ばして。
仁が押し倒した拍子に赤いセーターが乱れ、胸元から白い肌が
覗いている。その色の白さに、仁は思わず息を吐いた。
「・・お願い、キスし・・」
奈々のその言葉が終わらない内に、仁はその唇を奪っていた。
噛み付くようなそのキスに、奈々の息があがっていく。
頭の芯が痺れるくらい長いキスの後、その白い胸元に仁は強く口づけた。
「ぁ・・」
奈々は小さな喘ぎを漏らすと、吐息と共に呟いた。
「仁・・愛してるの・・・・」
仁の動きが突然止まる。
まるで固まってしまったかのように、仁は動かなかった。
奈々は驚き、慌てた。
「・・え?あ、どうしたの?」
その言葉が合図になったように、仁が起き上がった。
ベッドから降りると、驚く奈々の手を引き、強引に立たせ、
バッグとコートを掴むと、そのままドアへと強く腕を引いて行った。
何が何だか訳が分らない奈々は、身をすくめ、唇を震わせる。
「どうして?・・私・・」
「帰れ」
「仁!」
「帰れ。出て行ってくれ・・頼むから」
搾り出すような声でそう言うと、仁は奈々を押し出し、
荷物を押し付け、後手でドアを閉めた。
「ちょっと、ヤダ。ねぇ・・開けてよ。私・・何かした?」
「・・・・」
奈々はドンドンとドアを叩きながら、仁の名前を呼んだ。
深夜の廊下にそれは悲しく響いていく。
何分そうしていただろう。
仁から何の応答も無い事が分ると、
奈々は力が抜けたようにドアの前にしゃがみこんだ。
そしてまだドアのノブを握っているであろう仁に向かって、
ひとり言のように呟いた。
「・・・ゴメンなさい、悪かったわ。あの携帯、大切な物なのね。
仁・・私ね、あなたが入団してから、ずっとあなたを見てたの。
気になって、目で追って・・まるで初めて恋する中学生みたいに、
研究生の授業もよく窓の外から覗いてたのよ。
ふふ、他の研究生は気付いてくれるのに、あなた全然私を見て
くれなかった。代表には、「仁はダメだ」って言われるし、
結構バレてると思ったのに。
琴絵はね、私の一期後輩なの。
あなたと付き合いだして、あの子疲れてるみたいだった。
でね、私聞いたの。“どうしたの?”って。
先輩面して、親切そうに。
あの子、話してくれたわ。仁が自分を見てないって。
仁の心の中には他の誰かがいて、自分はただ体だけの存在なんだって。
“それじゃあ、別れたら”って勧めたのも私・・
酷いわよね。自分でも嫌になる。
でもね。今日、私・・本当に勇気を出して来たのよ。
こんな私でも、お酒の力を借りないとこのドアを叩けなかった。
慣れた女でも演じなければ、あなたに抱いてもらえない。
そう思って・・お願い、仁。もう少し私の話を聞いて」
最後は泣き声が混ざった奈々の声。
仁は、その奈々の声を聞きながらドアに背を預けると、
まだ手の中に握り締めていた携帯を、静かに開いた。
待ち受け画面の中で、仁が笑っていた。
鬼ごっこでもしているのだろう。
実家の園庭で子供達に追いかけられ、満面の笑顔で走っている仁。
それはおそらく、美雪が隠し撮りしたもの。
たった2年前の自分の姿。
メールボックスを開けると、
そこには未送信のメールが数件並んでいた。
最後のメールは、一言だけ。
「仁。愛してる」
仁はパチンと画面を閉じると、
ドアの外にいる奈々に声を掛けた。
「悪かった。痛くなかったか」
「え?う・・うん」
「1週間くれないか。だから、今日は帰ってくれ」
「1週間?そしたら会ってくれるの?本当に?」
「・・ああ」
「分ったわ。じゃあ・・来週、来るわね」
奈々がドアから手を離したのが分った。
長い廊下を歩き、稽古場へのもうひとつのドアを開ける音。
それが閉まっていく低く響くギィという音と同時に、
仁はガクンと膝を落とし、両手で耳を塞いだ。
『お兄ちゃんは心配症なんだよ。ううん、過干渉!美雪はもう大人だもの』
『大人はもっと自分を大切にするもんだ。お前まだ18だろ!』
『もう18よ!!大人だわ。そして20歳になったら堂々と結婚できる。
・・・何を怖がってるの?美雪がパパ達に何か言うか、心配?』
『大きな声出すな。親父に聞こえるだろ?話がある。俺の部屋に来い』
『嫌。また、“俺には出来ない”でしょ。聞き飽きたよ。
それとも、決心してくれたの?ココを離れてよそへ行く事。
ね?2人で暮らそう。
それ以外の話は聞きたくない・・・着替える。レッスンするの』
『待てよ、おい!美雪!!』
耳を塞いでいてもまだ聞こえる声。
あの夜の事は、全て鮮明に憶えている。
窓の外が少し明るくなっていた。
奈々が寒いと言っていた理由が分かった。
いつのまにか雪が降っていたのだ。
あの日の景色と同じように。
一面の雪の園庭。
美雪を抱き締め、叫び続けた幼稚園のホール。
運ばれる美雪の手から、滑り落ちた白い携帯・・
「くそっ!」
仁は、タップシューズを棚の上からひったくると、
乱暴にドアを開け、稽古場に走っていった。
暗い稽古場の大鏡が、窓から射す月明かりと雪の光に反射していた。
仁はタップシューズを履くと、
稽古場の灯りも点けずにステップを踏み始めた。
タタン。
タタン。
タタタタタタ、タタタタタタ・・
どんどん激しくなるリズム。
体を苛める事で、仁は頭を空っぽにしたかった。
「うお~~~っ!!!」
深い叫びと共に、仁が踊る。
その仁の靴音が、深夜の稽古場に鳴り響いた。
『バーレッスンはね。毎日続ける事が大事なのよ。
1日休むと自分に分り、2日休むとパートナーに分り、3日休むとお客さんに
分っちゃうんだって。アハハ、これ、どっかで読んだ受け売りだけどね。
お兄ちゃん、知ってた?』
『何だ?それ・・おい、明日お遊戯会なんだからいい加減にレッスン
止めろよ。まだやる事が残ってるんだ。準備が出来ないだろ!』
『ねぇ。明日のお遊戯会。職員で出し物やるんでしょう?
お兄ちゃんは何やるの?』
『ん?あぁ・・・・白雪姫』
『白雪姫~?アハハ、まさかお兄ちゃんが王子様?』
『仕方ないだろ?他に男の職員なんていないんだから』
『白タイツ穿いて、ちょうちんブルマーで??アハ!想像できない~っ!』
『笑うなよ。俺だって“こんな衣装嫌だ!”ってお袋に言ったんだ』
『本当にそんな衣装なの~?それ絶対ママに遊ばれてるよ~。
アハハハ・・超ウケる。マジお腹痛い・・』
『こいつ!笑ったな?いつまでも笑ってると、こうだぞ!!』
『キャハッ!くすぐったいよ、お兄ちゃん。
いや~~タイツ王子~、助けて下され~!』
ふざけてくすぐった美雪の体。
その予想外の柔らかさに、目眩がしそうだった。
腕の中の美雪が突然振り向いた。
背伸びをして、仁の首に腕を廻す。
『キスしよう。お兄ちゃん』
『美雪?』
『白雪姫は、王子様のキスで眠りから覚めるのよ。
どうせ明日の白雪姫は、サユリ先生でしょう?
その前に美雪が練習してあげる』
『バカ言え。おい、止せよ!』
『私達の毒リンゴは、自分達の意思とは関係なく兄妹になっちゃった事。
そのリンゴをこのキスで消してあげる。
これ、美雪のファーストキスよ。欲しくないの?』
『美雪・・・・おい!止めろ!』
美雪の腕を振りほどき、仁はまた作業に戻った。
わざとらしいその背中に向かって美雪は言った。
『意気地無しね・・お兄ちゃん』
仁の足が止まる。
その荒い息使いが、稽古場に響く。
いつしか涙が流れていた。
もう枯れたと思っていた涙。
仁はそのまま、ロッカールームに下りて行き、
誰のかも分らないスポーツタオルを摘み上げ、首に掛けると、
そのまま、
真夜中の街へと走って行った。
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