★BGM「スミレ」~冬ソナ・OST~久しぶりのソウル。その中心部にあるコンサート会場。5年前、ここで、米国の歌手Mを招いてコンサートが開かれた。あの時・・・。大き過ぎるほどの責任感を背負って、僕は照明監督を引き受けたのだった。僕に内緒で、コンサートを見に来たユキと再会したのも、このロビーだった。もう、5年になるのか・・・。「インス!」懐かしい声に振り向くと、笑顔のマリが手を振っていた。傍らには小さな女の子が立っていた。その子が、マリの手を振り払い、僕に向かって走って来た。「おじちゃん、こんにちは」ニューヨークで生まれ育ったはずの子が、上手に韓国語を話した。「ちゃんと挨拶が出来るんだね」「うん!」「マミ・・・ちゃん、だっけ?何歳?」「3歳!」マリの娘マミは、小さな指を3本立てて僕に見せた。「韓国語だけじゃないのよ。英語はもちろん、日本語も・・・私が教えたの」「将来有望だな」「父はすでにマミをあてにしてるわ」そう言ってマリは、笑った。「マミがいるからゆっくり・・・って、わけにもいかないけど。時間ある?お茶でもどう?」「打ち合わせまでには、まだ間があるから、僕はいいけど。君は・・・?ご主人はいいの?」「インスの口から、ご主人・・・なんて言葉を聞くと変な気分」「じゃあ、何と言えばいい?」「ま・・・何でもいいけど。大丈夫よ。リハーサルに入って、そのままずっと・・・コンサートが終わるまで会えないから」「僕のことは何て・・・?」「ソウルでお世話になったおじさん」「世話になった・・・おじさん・・・?」「他に言い方がある?」マリは小さく笑って、マミの手を引いて歩き出した。 僕たちは、近くのカフェに場所を移し、改めて再会の挨拶を交わした。「長い間会っていなかったのに、そんな気がしないよ」「そうね・・・私も。さっきからそう思ってた」ブランクを感じさせないのは、マリが頻繁にメールや絵葉書を送って来ていたからだろう。ロスでの生活の様子。かつての恋人、カズヤとの再会。そして、結婚。娘マミの誕生。折に触れて、マリは僕に便りを寄越した。「でも、君は変わった」「えっ・・・どんな風に?」「すっかり母親らしくなった」僕は感じたままを言った。「相変わらず、きれいだよって言ってほしかったなあ」「相変わらず、きれいだよ」僕たちは顔を見合わせて笑った。コーヒーを飲みながら、互いの近況報告をしている僕たちの傍らで、マミはおとなしくジュースを飲んでいた。それでも、ふたりの会話が気になるらしく時折、僕の様子を窺うそぶりを見せた。僕は、「マミちゃんは、パパとママどっちが好き?」と聞いてみた。「ママ」マミはためらわずに答えた。「どうして?」「だって・・・パパは、マミとあそんでくれないもん」「それは、お仕事があるからよ」と、マリが言った。「よそのおうちのパパは、にちようびはおうちにいるのに、マミのパパはにちようびもおしごとなの」「マミちゃんは、パパのことが好きなんだね」マミは、「うん!」とうれしそうに答えた。「おじちゃんは、にちようびはおやすみ?」「お仕事のことが多いかな。マミちゃんのパパと同じだよ」「おじちゃんのこどもは、さびしいっていわない?」僕は、思わずマリの顔を見た。「僕は・・・結婚してないから、子供はいないんだ」「そうなの・・・。どうしてけっこんしないの?」「どうして・・・って、聞かれても・・・困ったなあ」「おじちゃんを困らせるようなこと言っちゃだめよ」母に叱られたと思ったのか、マミはうなだれた表情をした。「お嫁さんになってくれる人がいないんだ。マミちゃん、僕のお嫁さんになってくれる?」マミは、一瞬考えた後、「パパにきいてみる」と言って、僕を笑わせた。それから、マミは会話に加わることもなく、椅子にもたれて持って来た絵本を読み始めた。 「ところで、フランスではロマンスは芽生えなかったの?」「仕事のことばかり考えていたからなあ」「忙しくたって、恋愛はできるでしょ?」「君も僕を困らせる質問をするんだね」「困らせるつもりはないけど・・・」「パリジェンヌを口説くほどの語学力がなかった・・・って、ことだな」ふと気づくと、絵本を読んでいたはずのマミが居眠りをしていた。「あら、やだ・・・眠ってる」マリは、マミを引き寄せると、小さな頭を自分の膝に乗せてマミを寝かせた。僕は、来ていた上着を脱いで、そっとマミに掛けてやった。「運命って信じる?」2杯目のコーヒーを飲みながら、マリが言った。「運命?」「ニューヨークにいるはずの彼と、ロスで偶然出会った時、これが運命なのかしらって思ったわ」会えるはずのない場所で、会えるはずのない人と出会った偶然。それを、運命だと言うマリに、僕はちょっと嫉妬した。「僕とのことは?」だからこそ、意地悪な質問が口を突いて出た。「インスとは、不思議な縁・・・って、思う」「不思議な縁か・・・」確かにそうかもしれないと、思った。「別れても、いつも気になって。いつも少しだけ関わっていたくて・・・メールや絵葉書を送り続けたの」ふたりの暮らしに終わりを告げ、出て行ったマリを恨んだ時期もあった。4年という歳月をかけて、マリへの感情は徐々に穏やかなものに移り変わって行った。そして、今は心からマリの幸せを喜べるようになった。「彼が、韓国で初めて踊るステージに、インスが照明監督として関わる・・・これも、不思議な縁よね」マリがしみじみと言った。会ったことのないマリの夫が、ステージ上で躍動する姿が目に浮かんだ。実際に目の当たりにした時、彼にどのような色の光がふさわしいと、僕は感じるのだろうか。 「あれから・・・会ってないの?」マリが、誰のことを言っているのか解っていた。「ねえ、答えて」「聞いてどうする?」「インスには、幸せになってほしいの」「捨てた男の行く末が心配?」「真剣に言ってるのよ」「会っていない」「どこにいるかも・・・?」「知らない」「どうして知らないなんて簡単に言えるの?」「5年も経ってるんだ。いまさらどうなるものでもないだろう」僕は、腕時計を見るふりをした。「もう時間だ」テーブルの上の伝票を掴もうとした手をマリが押さえた。「元気に育っていたら、マミより大きくなっているはずよ」僕は、マリの膝枕で眠り続けているマミを見た。「結婚しない理由は、今も心の中にユキさんがいるからよね?」マリが次の言葉を言おうとした時、僕の携帯が鳴った。「打ち合わせが始まる。君はどうする?」「私も、行くわ。会場のロビーで、両親と待ち合わせてるの」会計を済ませて、後ろを振り向くとぐずぐずしている様子のマミが見えた。寝ているところを無理に起こされて機嫌が悪いのだろう。僕は、カフェの隣に手作りクッキーの店があることを思い出した。「マミちゃん、パパにお土産を買おうか?」僕は、マミの手を引いて、カフェの外に出た。動物の形のクッキーを買ってあげると、マミはすっかり機嫌を直してニコニコしていた。「知らない人が見たら、まるで親子ね」マリが何気なく言ったひと言。その言葉どおりに、僕たちを親子だと思った人がいた。通りをはさんだ向こう側に、ユキがいたことを僕はまったく気づかなかった。